| ヤクルトが1999年に受け入れた野球留学選手の一人で野球後進国ブラジルの指導者としての経験を積むことも目的としたため、契約金などは支払われていない。 |
| 同期にはツギオ佐藤(登録名は「ツギオ」)がいた。 |
| 1997年には母国ブラジルで野球代表にも選ばれ、4番で出場している。 |
| 一方で投手としても活躍し、全国大会で5イニング15奪三振という記録を立てたこともある。 |
| 2001年まではファームで好成績を残していたが、球団がフルに外国人選手枠を使っていた事情もあって、一軍ではプレーできなかった。 |
| 2002年にロベルト・ペタジーニと真中満の抹消時に、外国人枠と外野が同時に空いたため1軍初登録。 |
| 5月30日には、1軍初出場・初スタメンを果たした。 |
| 守備位置はライトで、2打数1安打1四球と結果を出した。 |
| しかしペタジーニ復帰に伴い登録を抹消され、1軍定着は出来なかった。 |
| この年、第15回IBAFインターコンチネンタルカップブラジル代表として招集され、2本塁打を放つなどの活躍を見せている。 |
| 2004年3月19日に日本国籍を取得し、外国人枠に縛られず出場機会が増えるきっかけとなった帰化前は、松元・ユウイチ・ダニエル(YuuichiDanielMatsumoto)が名前で、登録名はユウイチ松元であった。 |
| この年は20試合に出場、28打数11安打、打率.393の好成績を残している。 |
| 2005年開幕を1軍で迎えると、シーズンを1軍で過ごした。 |
| 最終的には75試合に出場、打率.241・33安打・2本塁打・13打点・2盗塁。 |
| 8月27日には自身初となるサヨナラヒットを放つなど頭角を現した年となった反面、一塁手での出場も25試合あったが、失策が付かずとも取り損なう場面があり、守備に苦戦する一年となった。 |
| 2007年春季キャンプ中の2月12日、打撃練習中に足元に落ちていたボールを踏んで転倒、全治3ヶ月の靭帯断裂と診断された。 |
| 5月末に復帰した際も、ランナーと交錯して全治2ヶ月の左手小指骨折を負い、怪我が続くシーズンとなった。 |
| 7月28日から復帰してからは好調を維持し2軍では打率.397、5本塁打、長打率.691と圧倒的な数字を残し、8月23日に1軍昇格。 |
| 対阪神戦に即出場し、1号満塁本塁打を含む4打数4安打6打点の大活躍をみせた。 |
| 9月22日には自身初の4番打者でスタメン出場、5打数4安打と結果を残した。 |
| シーズン最終戦の10月9日、対横浜戦で13試合ぶりに4番でスタメン出場、3号逆転2ラン本塁打を放ち、引退と退団が決まっていた古田敦也の期待に応えた。 |
| 最終的に8月に1軍復帰してから33試合に出場、打率.340・3本塁打・16打点の好成績を残した。 |
| 12月5日の契約更改では400万円アップの年俸1600万円(推定)でサインし、背番号も49に変更することが発表された。 |
| 2008年2月末に持病の腰痛を発症しリハビリに時間を割いたが、4月にファームで復帰。 |
| 好成績を残して、5月3日に昇格した。 |
| チームに少ない代打のクラッチヒッターとして活躍、2度お立ち台にも上がった。 |
| シーズン後の契約更改では、異例ともいえる勤続10年手当ての導入で500万円アップの年俸2100万円(推定)でサインし、引退した真中満の背番号31を受け継ぐことになった。 |
| 2009年は開幕一軍に残るがシーズン中盤まで代打での出場がほとんどであり、勝負どころでは左の中継ぎをコールされて代打の代打を送られるシーンも多々あった。 |
| 8月7日に登録を抹消されるが、この後主砲のジェイミー・デントナ、さらには主将の宮本慎也まで抹消されてしまうなど主力の離脱が相次ぎ8月28日に再登録される。 |
| その後投手の補充によって9月10日に再び抹消されるが、この後今度は川島慶三の怪我による離脱などもあって9月25日に再々登録される。 |
| 9月28日の阪神タイガースとの直接対決で5番ファーストでデントナの代わりにスタメン出場し、ヤクルトを得意とする安藤優也投手から6回裏に均衡を破るセンターオーバーの2点タイムリー二塁打を放ちお立ち台にもあがっている。 |
| さらにCS出場を決める阪神との直接対決第一戦の10月8日の試合にも先発出場し、この日も先発であった安藤から3回裏に貴重な追加点となるライトオーバーのタイムリー二塁打を放っている。 |
| 初のCSでの打席は代打で出場して三振であった。 |
| 2010年開幕一軍スタートとなるがすぐに登録を抹消される。 |
| その後も登録・抹消を繰り返し、5月5日に抹消されてから3ヶ月1軍に上がってくることはなかった。 |
| 8月6日に上田剛史の抹消に伴い、一軍に昇格。 |
| その日代打で出場し、3年ぶりとなる一発を横浜スタジアムのバックスクリーン横に叩き込んだ。 |
| 8月20日にナゴヤドームでの中日戦で7番左翼で先発出場し、3打数2安打1打点(1死球)と結果を残す日もあったもののそれ以外は代打での出場がほとんどでシーズンを終えた。 |