| 採用試験のエントリーシートで小論文として出題されたテーマ『私が目指すアナウンサー像』について「足を使って現場に行ってリポートできるアナウンサー」という理想像を記した。 |
| 取材現場でのリポートでは、用意された原稿を読み上げるという本来の「アナウンサー」としての役割ではなく、自ら現場で見たものや聞いたものを原稿にまとめていくという「記者」としての役割をこなしている。 |
| テレビ初登場は入社2日目の「スーパーモーニング」。 |
| この時、ゲストコメンテーターで元TBSアナウンサーの木元教子に「声と姿勢がいい」と賞賛された。 |
| また、憧れのアナウンサーは?と質問された時には、当時フジテレビアナウンサーだった小島奈津子を挙げ、その場に居た人たちを驚かせた。 |
| 地元の宮崎県には地上波放送局がTBS系列、フジテレビ系列の2局しか無い為、あまりテレビ朝日の番組は馴染みが薄かったという。 |
| やじうまプラス(土曜日)で、何かの長さを確認するために、154cmの彼女が横に立たされ、当時のコメンテータである、北野誠から「松尾はマッチ棒か」と冷やかされたことがある。 |
| タレントの中山秀征や同僚アナからは、その風貌や仕草から「昭和の香りがするアナウンサー」といわれている。 |
| 長らく154cmだった身長が、入社して以降155.8cmまで再び伸び始めた。 |
| 入社1年目に、現在ではテレビ朝日の正月恒例特別番組となった『徳光&史朗の暴走おやじアナ』のツアー進行役を務めた。 |
| 番組中、大御所アナを相手に「四の五のおっしゃらずに次に参りましょう」と、歯に衣着せぬ発言し、翌年以降、この番組の進行役を務める同局新人アナは『n代目・四の五の娘』と呼ばれるようになった。 |
| 『日本語アクセント辞典』(NHK放送文化研究所)、『国語辞典』(三省堂)、『放送で気になる言葉』(日本新聞協会)の3点セットは、生放送中にまで傍に置いておく必需品となっている。 |
| 特にアクセント辞典は、自身に染み込んだ宮崎弁のアクセントと標準語の違いに悩まされているため重視している。 |
| 「スーパーJチャンネル」内では、CM入りの直前のカメラショットでこれらの本があるのが確認できる。 |
| ブラッド・ピットやブルース・ウィリスらと対談した時は、なるべく専門の通訳を介さないように、自ら英和・和英辞典を持参して挑み、無事に対談を成功させている。 |
| 「スーパーJチャンネル」を担当していた時には週の前半は、出社するとすぐに主要日刊紙に一通り目を通し、気になった記事をコピーしてノートにしたうえでその日取り上げるロケ内容を提案し、その取材先に取材交渉してアポイントメントを取り、主にカメラマンと音声担当の3人班で実際に取材に向かっていた。 |
| 勤務時間に於ける業務内容ではアナウンサー業よりもディレクター・記者業をメインにこなしている。 |
| 2005年9月の地元の台風災害取材では、9月11日に行われた第44回衆議院議員総選挙の直前だった事から局を挙げて準備に取り掛かっていたため、休暇を取って宮崎へ行く事は非常に困難な状況にあったが、宮崎県にテレビ朝日系列局が無い(宮崎県でのテレビ朝日系列局はテレビ宮崎があるが、テレビ朝日系列のニュース番組は昼の「ANNニュース」しか放送されていない)事を理由に自ら取材することを希望し、「やじうまプラス」土曜日スタッフも後押しした事で局から休暇の許可を得た。 |
| 10日土曜日の「やじうまプラス」終了直後に宮崎に出発、翌日投票日の昼には東京にとんぼ返り、夜の「選挙ステーション」に政党本部での現場取材を担当した。 |
| ANNアナウンサー賞の各部門の中で、秀逸な自主企画・取材を発表したアナウンサーに贈られる「原稿のないもの部門・優秀賞」は、専門職の記者を多数擁しているキー局ではアナウンサーが自ら取材する機会が極めて少ない事情に加え、概ね記者職を兼任している各地の地方局アナウンサーと競合したため、本来ならば厳しい条件下にもかかわらず、キー局テレビ朝日のアナウンサーとして初受賞した。 |
| 自然災害取材のほかにも、小児癌患者への取材を、アナウンサーとしてのライフワークの一つとして継続して行っている。 |
| この取材を通して、プライベートでリボンキャンペーンの一つである『ゴールドリボンウォーキング』にも参加している。 |
| 勤務時間外でも事件に遭遇した時にすぐ取材ができるように、専用の携帯デジタルカメラを常に持ち歩いている。 |
| アナウンサーという立場については、「様々な人の思いを含んだその場の空気を、どんな言葉に変換して伝えよう」、「取材相手に共感したり反発したり、時には情に棹差して流されてしまったり、葛藤しながらも、ニュースを通して視聴者の方と今の時代を踏みしめていく」ということを日々考え自覚しながら活動していると述べている。 |
| 2007年1月には、宮崎県知事選挙で当選した東国原英夫が初めて在京官庁を訪問した際、「スーパーJチャンネル」で単独取材した。 |
| 宮崎弁でインタビューをした。 |
| 大学3年生時のテレビ朝日の入社試験では最終試験のカメラテスト(三宅島災害のVTR)で、極度の緊張と映像に映された惨状にショックを受けてレポートできずに思わず泣き出してしまった。 |
| 1年目の「はい!テレビ朝日です」進行役の担当時、ゲスト出演した黒柳徹子の話に感涙。 |
| 3年目の「やじうまプラス」で中越地震を取り上げた際はかつて自身が取材したときの現地の悲惨な光景を思い出し、しばらくニュースを読み上げる事ができなくなってしまった。 |
| 5年目の「牛の角突き」の取材では、取材で世話になった村民の住居が土砂崩れで被災している光景、震災で死んだ牛などの家畜の墓、生き残った牛が闘牛大会で健闘する姿にそれぞれ泣き通しであった。 |
| 6年目の「頑張る人応援バラエティ体育の時間」女性アナ大会の、「30秒間VTRを見ながらレポートをする」という体内時計の正確さを競う種目にて、誤差が約1.2秒という好成績を残し勝利。 |
| その際、小宮悦子に日頃から言われていた「誤差は2秒以内、3秒はダメ」という言葉を実践できたことに思わず涙。 |
| 7年目の岩手・宮城内陸地震の被災状況取材中に、立派に育ったいちご畑が、畑主の避難により出荷もできず実も苗も全て朽ち果てていく運命にあるという話を聞いて涙。 |
| 9年目の「Qさま!!プレッシャーSTUDY特別編みんなで漢字検定受けちゃうぞ〜奇跡が起きた合格者大連発SP〜」において、業務命令で2ヶ月間の勉強の末、準1級に初挑戦し合格し涙。 |
| 2007年7月16日に、自身が出演する地元宮崎県PRの祝日特別番組が放送される予定であったが、放送開始17分前に新潟県中越地方で上述の地震以来の大地震(新潟県中越沖地震)が起こり、緊急特番編成になった為一週間後の平日まで延期された。 |
| 2008年7月24日未明に発生した岩手県北部沿岸地震の際には、テレビ朝日の緊急報道特別番組の進行を勤めた。 |
| さらに取材後記として公式ホームページに掲載されたコラムでは、中国国内の人権問題、環境問題、毒餃子事件をはじめとする日中の外交諸問題が依然として改善が停滞しているとして「ちっとも解決していません」と指摘しており、しかしながら一般市民個々人のレベルでは、「中国語を駆使してコミュニケーションを取れれば互いの不信感は薄れていくというのを実感した。 |
| 本来では担当となっていない金曜日の放送であったが出演し、同じく卒業となるメインキャスター小宮悦子と坪井直樹アナとともに最後の挨拶をした。 |