| 『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』などでのフリートークにおける独創的・即興的な発想力による笑いのスタイルに特徴を持つ。 |
| また『ダウンタウンのごっつええ感じ』で見られる作りこんだコントを得意とし、コントでの役になりきる自らのスタイルを「憑依芸人」と名づけている。 |
| 自身のレギュラー番組や舞台などには出演者としてだけでなく、自らの番組の企画・構成も行い制作にも積極的に関わる。 |
| 様々な人物やメディアから「天才」と評され、お笑い界以外にもミュージシャンや俳優、作家などにも多くのファンを持つ。 |
| コンビとしてだけでなく、ピンでも「人志松本のすべらない話」「働くおっさん劇場」などのテレビ番組の出演や、ビデオ短編「頭頭」、DVDオリジナルコント短編集「HITOSIMATUMOTOVISUALBUM」などを制作し、2007年には初の映画監督作品『大日本人』を発表するなど、クリエイターとしての多彩な活躍を見せる。 |
| 「笑いと悲しみは紙一重・表裏一体」という考えを持っている『松本人志仕事の流儀』。 |
| 『ごっつええ感じ』のコント「トカゲのおっさん」や、映画『大日本人』は笑いと哀愁を両立させた作品となっている。 |
| 貧乏だった少年時代の話を松本は心から面白いと思って披露しても、悲しい話として同情を受けてしまうことがあるという。 |
| 『ごっつええ感じ』の頃は、ハードな下ネタやグロテスク・バイオレンスなネタなど狂気的なほどのブラックな笑いを度々見せていた。 |
| 現在はそういった類の笑いへの興味は大分無くなっている理由は過去のコントを見返した際に「今観直してもやっぱり面白い」と思えたのはブラックな笑いではなかったから。 |
| 年齢・芸歴を重ねたことや、結婚したことがきっかけではないかとも自己分析している。 |
| 『松本人志のコントMHK』では図面に描いた通りにやる「良質」なコントを目指したという。 |
| 尊敬する芸人と公言しているのは藤山寛美、ビートたけし、志村けん、島田紳助の名前を挙げている。 |
| 寛美のことについては、「この人は素で面白い人なのではなく、面白い人を演じることの天才なのだ」と評した。 |
| ビートたけしは、映画監督「北野武」としても尊敬しており松本自身が監督した映画「大日本人」のカンヌ国際映画祭での記者会見の時に北野について聞かれ「たけしさんを意識してないと言ったら嘘になるし、リスペクトしてますが、勝ちたいとも思ってます。 |
| 」と語っている。 |
| 過去に雑誌に連載していた映画批評「シネマ坊主」で好きな北野映画3本は「その男、凶暴につき」、「キッズ・リターン」、「ソナチネ」を挙げている。 |
| しかし、熱心なファンであるために「HANA-BI」「菊次郎の夏」「座頭市」は良い点は賛美しつつも総合的に厳しい評価をした。 |
| 映画批評本 シネマ坊主(2002年、日経BP社)ISBN4822217337 シネマ坊主2(2005年、日経BP社)ISBN4822217442 シネマ坊主3(2008年、日経BP出版センター)ISBN4822263215近年は松本とたけしが共演する番組も多い。 |
| 紳助とは現在は友人関係にあり、M-1グランプリの審査員として紳助と共に2004年度を除き全て出演した。 |
| また、松本をM-1の審査員に誘ったのも紳助だった。 |
| 紳助は紳助・竜介時代に、ダウンタウンの芸風の方向性を紳助が、松本に問いただすと、模索中ながらもある程度の確信がある旨を明かし、後に紳助は、ダウンタウンの漫才の方向性が正しかった事に衝撃を受け、これが紳助・竜介を解散するきっかけになった。 |
| その後、紳助が芸能界引退を発表する前に、唯一松本にだけ引退する旨を打ち明けた。 |
| 父親の仕事の関係上、様々な公演チケットがよく手に入る環境にあり、吉本新喜劇などの舞台をよく観に行っていた。 |
| テレビのバラエティ番組も好きで、ザ・ドリフターズなどの番組もよく観ていたほか、笑福亭仁鶴、桂春蝶らの落語も好んで聴いていた。 |
| また小学校時代、友人と漫才コンビを組んで実際に人前で演じるなどしていた。 |
| 基本的にドラマには出演しないというスタンスで、自らが企画した『伝説の教師』以外は友情・特別出演。 |
| 『伝説の教師』の出演には同じく『鉄道員』出演まで演劇関係の出演をしなかった志村けんの影響があったといわれている。 |
| ダウンタウンが司会の番組ではスーツを着用することが多く、ネクタイの先をズボンに入れるのが拘り。 |
| このスタイルを相方の浜田のファッションが「ハマダー」と支持されているのに対抗し「ヒトシー」と名付けた(特に世間に浸透はしていない)。 |
| その他の番組では、ラフな格好であることも多い。 |