| 1987年7月24日、後楽園球場で行われたジュニアオールスターゲーム(現在のフレッシュオールスターゲーム)中継が自身の実況デビューだった。 |
| この日の中継は東京(ニッポン放送)・大阪(ABC)・名古屋(東海ラジオ)・広島(RCC)各局の若手アナウンサーがリレー形式で2回ずつを実況するスタイルで、総合司会兼9回の実況を深澤弘が担当したちなみに、この日実況を担当した彼以外の若手アナウンサーは、ABCからは松原宏樹アナ、東海ラジオからは北山靖アナ、RCCからは橋本(裕之か雅明かは不明)アナの3人だった。 |
| 公式戦での実況デビューは同年8月9日、広島市民球場で行われた広島東洋カープ対横浜大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)戦でこの日の松本は第2予備カードの中継班としてスタンバイしていたため、本来の実況担当ではなかった。 |
| しかし、この日の「ショウアップナイター」のメインカードだったナゴヤ球場での中日対巨人戦で、プロ初先発だったルーキーの近藤真一がノーヒットノーランを達成して試合が2時間足らずで終了。 |
| 余った時間は予備カードを中継することになったのだが、下関で行われていた第1予備カードのヤクルト対阪神戦が雨のためノーゲームとなってしまい、急遽、第2予備カードである広島市民球場での広島対大洋戦を中継することになり、試合途中からの実況デビューとなった。 |
| 、その時の解説者が2007年シーズンを最後に解説者を勇退した森中千香良であり、松本は「森中さんには色々な事を教えて頂きました」と、恩人との思い出を振り返っている(2007年12月19日の『ショウアップナイターネクスト』など)。 |
| 日本シリーズの実況デビューも同じ年の1987年(10月29日)であり、異例の実況デビュー年・新人スポーツアナウンサーの大抜擢となった(だが、翌1988年と1989年は日本シリーズは担当していない)。 |
| 1990年代以降は毎年1戦から2戦は担当しており、第一線で活躍するスポーツアナウンサーとなった。 |
| 野球実況の看板アナへ。 |
| 独特の絶叫型実況と取材内容の綿密さで人気を博し、某試合で当時読売ジャイアンツの松井秀喜(現ロサンゼルス・エンゼルス)が、打った瞬間にそれと分かる特大の本塁打を放った際に発した「行った〜!!何処まで行く〜!!」、ある剛速球の投手が空振り三振を奪った際に発した「バットがボールに当たらない!!」など、多くの名台詞を生んでいる。 |
| 一方、日本プロ野球のみならず、アメリカメジャーリーグベースボールの実況中継も担当、シーズンによってはアメリカで3ヶ月間過ごし、現地から衛星生中継で実況を担当することもあった。 |
| 現在ではニッポン放送のスポーツ実況のエース格となっている。 |
| そのため担当試合のほとんどは同局のメインカードで、裏送り中継に登場することは皆無に等しい。 |
| 2008年6月29日に東海ラジオ向けの横浜ベイスターズ対中日ドラゴンズ戦を担当する予定があったが、雨天中止になってしまった。 |
| その2年後の2010年4月6日に広島RCCラジオ向けに東京ヤクルト×広島を担当している。 |
| また、長年ナイター中継の前番組であるショウアップナイタープレイボールの進行役(火~金曜)を担当する一方で過去、2007年シーズンは、当日の実況担当者がショウアップナイタープレイボールの進行役を兼ねる年があり(ニッポン放送制作日のみ)、2010年シーズンも平日に限りこの方式が取られた(土曜・日曜は松本が担当)。 |
| 、1998年のシーズンオフから、ナイター時間帯の帯番組(『松本ひでおのヨッ!お疲れさん』『ショウアップナイターニュース』『ショウアップナイターストライク!』『ショウアップナイターネクスト』『松本ひでおのショウアップナイターGO!GO!』『ショウアップナイターバッテリー』)のパーソナリティも担当するようになった。 |
| これにより、ニッポン放送の平日夕方は年間を通じて彼が出演するという活躍ぶりで、彼がスポーツ中継の枠を超えたニッポン放送の看板アナであることを証明している。 |
| 前述の通り、入社時にロッテ番を担当したのが縁で千葉ロッテファンとなった松本だが、その最たるハイライトは2005年のパ・リーグプレーオフ・第2ステージ(福岡ソフトバンクホークス対千葉ロッテマリーンズ)の第5戦(ヤフードーム)だった。 |
| 2勝2敗で迎えたこの試合、千葉ロッテは3-2で福岡ソフトバンクを下し、1974年以来実に31年ぶりとなるリーグ優勝を決めた。 |
| 最後の打者川崎宗則が左飛に倒れた瞬間、松本は「ロッテ優勝~!!」と感極まって号泣しながら声を張り上げた。 |
| 松本は、若手時代から長らく低迷期に沈むロッテを見つめ続け、また当時から親交を深めている選手・スタッフが多かったこともあって、優勝決定の瞬間には様々な思いが去来し「ダッチロールのように感情がこみ上げてきて」(本人の後日談)思わず涙してしまったのだというこの日、後輩アナウンサーの飯田浩司は業務を終え、電車で帰宅する道中でこの中継を聴いていたが、向かい側の座席の乗客がイヤホンで実況を聴きながら、松本が号泣するのと全く同じタイミングで涙しているのを目の当たりにし、松本に共感している人が目の前にいることに感銘を受けたという。 |
| しかし、ロッテが日本一にまで駆け上がった同年の日本シリーズは実況を担当しなかったこの号泣が「冷静さを欠いた」と査定されたために、ロッテが日本一を決める可能性がある第4戦以降の実況担当から外されてしまったとも言われるが、松本は後日「リーグ優勝決定後福岡の街で騒ぎすぎて喉を潰し、第1戦の実況を胡口和雄アナに交代してもらった」と釈明している。 |
| 同様にロッテが出場した2010年のシリーズは実況を担当している。 |
| また実況アナウンサーの先輩でもある元ニッポン放送の深澤弘は「こんなの実況じゃねえな」と苦笑交じりに一蹴した。 |
| この「号泣実況」、今となっては共演者やスタッフ・リスナーにとっては笑いのネタとなってしまっており、ニッポン放送の携帯サイトで着うたとして配信された。 |
| また、この試合の解説は田尾安志と板東英二のW解説で、後に板東はニッポン放送の別の番組でこの時のことを振り返り、「初めて球団とアナウンサーが癒着している事を知った」と冗談交じりに話している。 |