| 1949年(昭和24年)9月21日-山口県下関市で、日本人の父と在日韓国人3世の母との間に非嫡出子として生まれた「元妻・美智子氏が初めて語る・松田優作日本国籍への想い」『週刊文春』2007年5月17日号、文藝春秋。 |
| 織川隆「松田優作とふたりの女」『新潮45』新潮社、2006年1月号。 |
| 父親は長崎出身の保護司で当時39歳、郷里に妻子を持つ180センチメートル近い大柄な男性だった松田美智子『越境者松田優作』2008年、新潮社、65、96、108-110、121-130頁。 |
| 2人の異父兄がおり、兄弟仲は良かったが、次第に自身の出生の秘密に気付き始め、それが原因で孤独を感じるようになる。 |
| 1966年(昭和41年)-下関市立文洋中学校卒業。 |
| 下関市立第一高等学校(現:山口県立下関中等教育学校)に進学。 |
| 1967年(昭和42年)-11月、「米国へ行って弁護士になれ」との母親からの厳命により、不本意ながら下関市立第一高等学校を2年で中退し、叔母夫妻を頼って米国籍を得る為に渡米する。 |
| カリフォルニア州モントレー郡シーサイド市のシーサイド高校に入学、1年足らず滞在。 |
| 1968年(昭和43年)-叔母夫妻の離婚訴訟や言葉のギャップなどに悩み、9月、母に無断でシーサイド高校を中退し帰国。 |
| これより前、中学時代より空手道を修行しており、流派は不明だが弐段を允許されている徹子の部屋に出演時に自ら語っていた。 |
| 帰国後は極真会館本部池袋道場で稽古をしていた。 |
| その経験は、後のアクションシーンの随所に活かされる。 |
| 長兄一家の池袋のアパートに居候して東京都豊島区にある私立豊南高等学校夜間部普通科の4年生に途中編入。 |
| 1969年(昭和44年)-3月、豊南高等学校卒業。 |
| 1970年(昭和45年)-4月、関東学院大学文学部入学。 |
| 1971年(昭和46年)-3月、文学座の入所試験を受けるも一次の筆記試験で不合格。 |
| 同年5月、金子信雄主宰の劇団「新演劇人クラブ・マールイ」に入団。 |
| ここで最初の妻美智子と知り合う。 |
| 1972年(昭和47年)-関東学院大学文学部中退。 |
| 同年4月、文学座付属演技研究所十二期生となった。 |
| 文学座同期には阿川泰子、高橋洋子、山西道広、1期後輩に中村雅俊、1期先輩に桃井かおりがいた。 |
| 役者に専念するために、6月には大学に退学届を出す。 |
| この頃、『突撃!ヒューマン!!』のヒューマン/岩城淳一郎役のオーディションを受けたという 「特撮専門誌宇宙船」 VOL.36(1987年6月号)の夏夕介のインタビューより。 |
| 村野は自身が出演していた『飛び出せ!青春』のプロデューサーである岡田晋吉が新人俳優を探していることを聞き、松田を推薦した。 |
| このことが『太陽にほえろ!』に出演につながる。 |
| 1973年(昭和48年)7月20日-刑事ドラマ『太陽にほえろ!』にジーパン刑事としてレギュラー出演、その活躍・殉職シーンが話題となる。 |
| 同年9月、『太陽にほえろ!』出演を機に「現在は松田優作という通称名を使っているので番組の関係者にも知られていませんが、もし僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが失望すると思います」という理由で法務省に帰化申請を行い、日本国籍を取得。 |
| 通名だった松田優作が本名となる。 |
| 1973年(昭和48年)-志垣太郎主演の東宝『狼の紋章』にてスクリーン・デビュー。 |
| 1974年(昭和49年)-、黒木和雄監督、ATG、映画同人社提携作品の時代劇映画『竜馬暗殺』。 |
| 主演の原田芳雄と共演し、時代劇初出演。 |
| 続いて同年公開の澤田幸弘監督、日活制作のコメディ・青春映画『あばよダチ公』で映画初主演。 |
| サスペンスドラマ『赤い迷路』に、山口百恵の叔父役でレギュラー出演。 |
| 1975年(昭和50年)刑事ドラマ『俺たちの勲章』に、中村雅俊とのコンビでレギュラー主演を果たす。 |
| 1976年(昭和51年)1月27日放送の刑事ドラマ『大都会闘いの日々』第4話「協力者」にゲスト出演。 |
| 1976年(昭和51年)1月31日-前年7月19日に行なわれた『俺たちの勲章』の鹿児島ロケ打ち上げの際、19歳の予備校生に対して共演者Eと共に暴力を振るい、全治3か月の重傷を負わせた容疑で警視庁新宿警察署に逮捕される。 |
| (逮捕時の新聞記事には「ジーパン刑事、逮捕される」の見出しがついた)このため、毎日放送の4月新番組『隠し目付参上』をクランクイン寸前に降ろされ、1年間の謹慎生活を送る鶴田浩司「松田優作の死」『ニッポン映画戦後50年』1995年、朝日ソノラマ。 |
| 事件の真相は、鹿児島市内の飲食店でスタッフが地元のOLを交えて打ち上げをしていた時、解散近くになってスタッフとOLとの一組のカップルができあがった。 |
| 打ち上げ終了後、このカップルがタクシーを拾おうとしているのをOLの友人が見つけ、カップルについて行こうとした。 |
| そこで松田とEが「野暮なことをするなよ」と引き止めようとしたところ、彼女と押し問答になり、それを目撃した予備校生が木刀を持って駆けつけ、松田に木刀を振り上げた。 |
| そこで松田とEが予備校生に反撃した、ということだったという(出典は脚注4)。 |
| 身柄を東京拘置所に移された後、傷害容疑で起訴され、同年3月10日、東京地裁で懲役10月、執行猶予3年の有罪判決を受ける。 |
| 1976年(昭和51年)5月-東映『暴力教室』(岡本明久監督)がクランクイン。 |
| これにより映画復帰を果たす。 |
| また、同年に公開された時代劇『ひとごろし』では、アクション映画という松田優作のイメージとは異なる臆病な侍を演じ、時代劇初主演となる。 |
| 1976年(昭和51年)7月25日-アルバム『まつりうた』で歌手デビュー。 |
| 1977年(昭和52年)- 刑事ドラマ『大都会PARTII』でテレビに本格復帰。 |
| 角川映画『人間の証明』棟居刑事役で主演。 |
| 1978年(昭和53年)-村川透監督の東映セントラルフィルム映画『遊戯シリーズ』第一作『最も危険な遊戯』主演(同年『殺人遊戯』、翌年『処刑遊戯』)。 |
| 1979年(昭和54年)-村川透監督角川映画『蘇える金狼』(翌年『野獣死すべし』)そして澤田幸弘監督のアクション映画『俺達に墓はない』主演。 |
| また、映画では初主演になる推理・ミステリー映画『乱れからくり』(泡坂妻夫原作、児玉進監督)。 |
| TVドラマ『探偵物語』に主演。 |
| 本放送時は、中盤から視聴率が低迷したものの、一部に熱狂的なファンを生んだ。 |
| この頃多くのアクション映画に主演しているが、ボブ・ディランをもじった朴李蘭の名で、劇団の旗揚げも行う。 |
| 傷害事件の執行猶予満了。 |
| 1980年(昭和55年)-村川透監督の東映映画『野獣死すべし』では、撮影のために過酷な減量をし、原作のハードボイルドとは異なる鬼気迫る演技で主演。 |
| この年には澤田幸弘監督のにっかつ映画『レイプハンター狙われた女』、村川透監督、舘ひろし主演の東映映画『薔薇の標的』で初友情出演。 |
| この時期を境にアクション映画からしばらく距離を置き、演技派俳優への道を模索する。 |
| 1981年(昭和56年)-泉鏡花原作の文学作品『陽炎座』、松田優作の楽曲が織り込まれ、かつ、主人公の少年愛的な場面を描いた工藤栄一監督の『ヨコハマBJブルース』に主演。 |
| それまでのイメージを一新する役柄を演じる。 |
| 1983年(昭和58年)-森田芳光監督の映画『家族ゲーム』では、数多くの賞を受賞。 |
| 1985年(昭和60年)-『それから』で再び森田芳光作品に出演し、主人公を好演する。 |
| 1986年(昭和61年)-映画『ア・ホーマンス』製作途中で、作品の方向性に関して意見が食い違ったため、監督が降板。 |
| 自らがメガホンを取ることとなり、これが初監督作品となる併映は澤井信一郎監督作品『めぞん一刻』。 |
| やくざ抗争とSFテイストを融合した異色の作品であるこの作品は石橋凌、寺島進の映画デビュー作品でもある。 |
| ここで役者に開眼した石橋は松田を師と仰ぐ事となり、音楽活動と平行して俳優業にも力を入れていくことになる。 |
| 1988年(昭和63年)-深作欣二監督の時代映画『華の乱』では、国民的女優吉永小百合と共に主役を演じる。 |
| この撮影をしている頃から、松田優作は尿が出なくなり腹がパンパンに張っていたという。 |
| その後アメリカ映画『ブラック・レイン』に出演し、念願のハリウッドデビューを飾る。 |
| 同映画の撮影時点で自身が癌に侵されている事を知るが、延命治療を拒み、出演していた。 |
| なお、病気の事実を知る者は、撮影関係者では安岡力也のみであり、周囲にも堅く口止めがされていた。 |
| 1989年(平成元年)11月6日-午後6時45分、入院中の西窪病院(現在の武蔵野陽和会病院)で膀胱癌の腰部転移のため死去。 |
| 『ブラック・レイン』で高評価を得ていた松田には、ハリウッドからロバート・デ・ニーロとの共演作などの出演依頼も来ていた。 |
| 松田が弟の様に可愛がっていた仲村トオルは松田の遺体の前で「優作さん!起きてください!早すぎるよ!!」と泣き叫んだなお、仲村はのちに映画『ワルボロ』で遺児・松田翔太と、映画『劔岳点の記』で遺児・松田龍平と共演しており、後者では龍平演じる生田信の所属する測量隊が仲村演じる好敵手グループのリーダー・小島烏水と互いの健闘をたたえ、手旗を交換し合うシーンがあった。 |
| 『ブラックレイン』で共演した高倉健は、ブラックレインの演技によって松田がアカデミー賞に関わるであろうと判断し、前もってプレゼントを購入していた。 |
| 亡くなった翌日放送の『夜のヒットスタジオSUPER』に於いて、追悼で松田が出演していたVTRが流れた後に司会の加賀まりこが涙を流して追悼のコメントを語った。 |
| 遺作となったTVドラマ『華麗なる追跡THECHASER』は、「世界一速い女」フローレンス・ジョイナーと「世界で一番速く走っている様に見せられる男」松田の共演というコンセプトであったが、進行した病の為思うように走れなくなっていた松田は、脚本や演出に手を入れてかなりの改変を加えた。 |