| ケーキ屋「パルナス」三国ヶ丘店(堺市北区)に勤める両親の息子として生まれる。 |
| 柏原高校(現・東大阪大学柏原高等学校)卒業後、551蓬莱に就職するもしばらくして退職、その後は色々な職を経験するも長続きしなかったという。 |
| 10代の頃にケーキを持って島田紳助の家にいきなり押しかけ、弟子入りを志願したことがある。 |
| 紳助には当時すでに弟子が1人いたため断られるが、吉本興業のタレント養成所であるNSCへの入学を勧められ、のちに同校の第4期生として入学した。 |
| NSCでは「ホンコン・マカオ」というコンビを組み、「ホンコン」の芸名を名乗ったが程なくコンビ解消。 |
| のちに同期の蔵野孝洋(現・ほんこん)に「ホンコン」の名を譲り渡し、蔵野が2代目「ホンコン・マカオ」を結成。 |
| しかし2代目「ホンコン・マカオ」も長くは続かず、1986年6月に板尾と蔵野で新たにコンビ「130R」を結成した。 |
| その後ダウンタウンが司会を務めていた『4時ですよーだ』に王子役で出演したりしていたが、1991年よりフジテレビ系列『ダウンタウンのごっつええ感じ』にレギュラー出演したのを機に、全国区にその名を知られるようになる。 |
| 同番組内のコントの代表作に「板尾係長」に始まる「板尾○○」シリーズ、「シンガー板尾」などがある。 |
| 積極的に前に出るタイプの芸風ではないため、ダウンタウンや今田・東野の芸風と比較すると大人しく控えめな印象があるが、シリーズ企画「ごっつの車窓から」などの個人にスポットが当たる場面では自身の飛びぬけた発想を遺憾なく打ち出し、『ごっつ』の歴史に残るインパクトを与えた。 |
| ダウンタウンがメインを務める番組を中心に様々な番組に出演し、その飄々としたキャラクターで人気を博す。 |
| 1994年、当時14歳の女子中学生を相手に淫行に及んだとして、大阪府青少年健全育成条例違反容疑で逮捕された。 |
| これにより一時芸能活動を停止したが、松本人志ら芸人仲間たちの働きかけもあり、1年後に復帰した(事件は相手の少女が別件で補導された際に発覚したもので、少女は板尾に対して18歳と自称したこと、合意の上での行為であったことなどから、事務所を解雇されるまでには至らなかった)。 |
| 復帰一発目の仕事は松本の単独ライブ『寸止め海峡(仮)』への出演。 |
| ただし復帰後はお笑い芸人という職業柄、松本に収録中「よっ!犯罪者!」(クイズコーナーで優勝したとき)「まさか前科者が持っていくとはね。 |
| 」と呼ばれるなど、愛のある「イジり」をもって迎えられた。 |
| その例として『ダウンタウンのごっつええ感じ』における板尾のキャラ、シンガー板尾の復帰第一曲タイトルが「年下の女の子」になる等がある。 |
| 近年は深夜枠のバラエティ番組を中心に出演している。 |
| 『虎の門』(テレビ朝日)の「しりとり竜王戦」ではそのシュールな発想力を発揮し、「永世しりとり竜王」として歴代最多の優勝回数を誇った。 |
| また2001年には、木村祐一と漫才コンビ「イタキム」を結成してM-1グランプリに出場、準々決勝まで勝ち進んだ。 |
| 2010年3月には、約9年ぶりに木村祐一と2人きりの舞台であるトークライブ「ざっぱ」が開催され、木村のゆるせない話や板尾が最近観た映画の感想など、気の向くままのフリートークが繰り広げられた。 |
| この「ざっぱ」は現在も定期的に開催されている。 |
| 2000年代頃よりテレビドラマや映画、舞台など、俳優としても活動。 |
| 脇役ながら独特の存在感を放ち、怪演が注目を集めている。 |
| 2009年8月16日午後11時ごろ、長女が1歳10か月で急死。 |
| 20日に都内のホテルで「お別れ会」がしめやかに営まれた。 |
| 2010年、疲労が原因で体調不良を訴え出演予定だった舞台『NECK』を降板。 |
| 入院などはせず舞台以外の他の仕事は休むことなく続けた。 |
| 2010年10月からは『板尾ロマン』(テレビ東京)がスタートし、自身の番組では在京キー局初の冠番組を持つことになった。 |