| 1937年(昭和12年)10月19日、東京市日本橋区生まれ。 |
| 1944年(昭和19年)青森県八戸市へ疎開。 |
| 八戸市立柏崎小学校に在学。 |
| 1945年(昭和20年)3月10日、東京大空襲で実家の雑貨問屋が全焼し、廃業。 |
| 1947年頃両親が離婚し著書には、父親の戦争ボケが原因ともある母側に引き取られる。 |
| 1956年(昭和31年)3月、東京都立中野工業高等学校(食品化学工業課程)を卒業。 |
| 同年4月、「食べ物に苦労しない」という理由で森永乳業に入社。 |
| 同年8月、森永乳業を退社、漫画家を目指すため、漫画家清水崑に入門。 |
| 1958年漫画が『漫画サンデー』に掲載され、プロの漫画家となる。 |
| 1960年師匠清水崑に諭され、落語家への転進を薦められる。 |
| 1960年(昭和35年)8月15日、落語界入り。 |
| 清水崑の紹介で3代目桂三木助に入門。 |
| 三木助は弟子には「木久」の字をつけていたので、木久男の名をもらう。 |
| 1961年(昭和36年)1月16日、師匠三木助死去。 |
| 同年3月10日、8代目林家正蔵(後の林家彦六)一門へ移籍、「木久蔵」と改名。 |
| 1965年(昭和40年)9月、二つ目昇進。 |
| 1967年(昭和42年)5月、当時の本牧亭席亭の妹(武津子夫人)と結婚。 |
| 結婚式のダブル・ブッキングをしてしまい、来賓が激怒自分の結婚式と同じ時間に他人の結婚式の司会の営業をしていた。 |
| そのため自分の結婚式には、新郎席に柳家小きん(後の6代目柳家つば女)が代理人として座るという事態となった。 |
| このことは「クイズダービー」の問題(三択問題)になった。 |
| 1969年(昭和44年)11月9日、『笑点』のレギュラーとなる。 |
| 現在のメンバーで一番連続出演期間が長い(桂歌丸は、手術に伴う休演がある)。 |
| 1973年(昭和48年)9月、真打昇進。 |
| 1975年(昭和50年)9月29日、長男・宏寿(後の林家きくお、2代目林家木久蔵)誕生。 |
| 1978年(昭和53年)シングル「いやん、ばか〜ん」をリリースし歌手デビュー。 |
| 翌年には「飛び出すな!!」をリリース。 |
| 1981年(昭和56年)12月、日本で初めてラーメンについての単行本を出し、ラーメン・ブームの火付け役となる。 |
| 1982年(昭和57年)1月29日、師匠林家彦六死去。 |
| 同年2月7日放送の『笑点』で彦六追悼特集に兄弟子2代目橘家文蔵、林家枝二(現:7代目春風亭栄枝)、弟弟子林家九蔵(現:三遊亭好楽)と出演。 |
| 同年5月、全国ラーメン党を結成。 |
| 「木久蔵ラーメン」チェーンの展開を始める。 |
| 同年10月27日、現在の事務所である「有限会社トヨタアート」を設立。 |
| 同年12月、総領弟子林家時蔵が、兄弟子の5代目春風亭柳朝門下より二つ目で移籍(時蔵は、元は弟弟子)。 |
| なお、子飼いではないためラーメンの販売やいやんばかんダンスは免除されている。 |
| 1987年4月、2番弟子(2番弟子は香盤上であり、子飼いでは総領弟子)林家きく姫が入門。 |
| 1989年3番弟子林家彦いちが入門。 |
| 1991年(平成3年)、芸歴30周年。 |
| 1992年(平成4年)、社団法人日本漫画家協会正会員。 |
| 同年、社団法人落語協会理事に就任。 |
| 同年、4番弟子林家久蔵が入門。 |
| 1995年、5番弟子林家きくお(現:2代目林家木久蔵)が入門。 |
| 1996年、6番弟子林家きく麿が入門。 |
| 1998年(平成10年)、大長編ドラえもん『ドラえもんのび太の南海大冒険』にて、声優に挑戦。 |
| 2001年(平成13年)、芸歴40周年。 |
| 2005年(平成17年)、JAROのCMキャラクターになる。 |
| 2006年(平成18年)、野村證券のCMに出演。 |
| 2007年9月21日、ダブル襲名(別項)。 |
| 2008年(平成20年)10月、9番弟子林家扇が入門。 |
| 2009年(平成21年)3月、10番弟子林家木りんが入門。 |