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プロフィール
- 柳沢敦とは
- 概要
- 来歴
- セリエA
- Jリーグ復帰後
- エピソード
- 所属クラブ
- 個人成績
- 個人タイトル
- CM出演
- 関連項目
- 関連サイト
柳沢敦(やなぎさわあつし、1977年5月27日-)は、富山県射水郡小杉町(現射水市)出身のサッカー選手である。ポジションはフォワード。 元日本代表。
概要
| スペースの作り方、オフ・ザ・ボール、ダイレクトプレーを得意とする。 |
| 2002年日韓W杯での日本の得点、予選リーグ突破に貢献した。 |
| 反面、シュートチャンスでもシュートではなく、パスを選択してしまう欠点がある。 |
| 本人も「点を取るだけがFWではない」 |
| 一方で、高い技術と器用さをフィリップ・トルシエやジーコなど歴代の日本代表監督から評価され、コンスタントに代表メンバーに招集されたが、代表での得点は親善試合に偏っており、その勝負弱さはしばしば批判の的となっていた(後述)。 |
来歴
| ラーメン屋を営む両親のもとに生まれた。 |
| 小学校1年になり小杉SSCに入団しサッカーを始め、中学時代にはFCひがしジュニアユースに所属し、U-15日本代表に選出されている。 |
| 1996年に富山第一高校卒業後、鹿島アントラーズに入団し5月にナビスコ杯アビスパ福岡戦でプロデビューをとげた。 |
| この年はリーグ戦で5得点をあげている。 |
| 翌1997年は8得点をマークして新人王に選出され、さらに1998年にも22得点を記録するなど鹿島のエースに成長した。 |
| 岡田ジャパンでA代表へ初招集され、1998年2月15日の親善試合オーストラリア戦で代表デビューを飾った。 |
| 4月4日の対京都パープルサンガ戦では1試合4ゴールも記録している。 |
| 5月5日の対ジュビロ磐田戦でもハットトリックを達成。 |
| しかし、代表での得点は無く(後述)、岡田監督からはゴールへの執着心に欠ける点を指摘され、フランスW杯の最終メンバーに入るには到らなかった。 |
| 1999年に新しく日本代表監督に就任したトルシエ監督下の指揮するU-23代表のエースとして期待されていたが、シドニー五輪アジア1次予選最中にチームを無断で抜け出して、当時の恋人梨花と密会していたとの記事が写真週刊誌フライデーに掲載されたことが原因となり、チームから強制的に外され、その後も一時期代表に呼ばれなくなった。 |
| 2000年は6月6日に行われたハッサン二世国王杯のジャマイカ戦でA代表初ゴールを挙げた。 |
| レバノンで開催されたアジアカップサウジアラビア戦では高原との交代で途中出場したものの、絶好の決定機にシュートしないなど、消極的なプレーにいらだったトルシエ監督によってわずか7分後に奥大介との交代を命じられた |
| 翌2001年は12得点をあげ鹿島のJリーグ優勝に貢献しJリーグベストイレブンを受賞した。 |
| 2002年の日韓ワールドカップにもFWとして選出された。 |
| W杯ではゴールを決めることができなかったが、ロシア戦で決勝点につながるアシストを記録するなど活躍をみせた。 |
| 中田英寿からもチーム内のMVPとして戸田とともに名前を挙げられている。 |
| これらの活躍が評価され、2003-2004シーズン開幕前にイタリアセリエAの古豪サンプドリアに期限付きで初の海外移籍を果たした。 |
| 同年12月24日にはモデルの小畑由香里と入籍。 |
セリエA
| 2003年から2004年シーズンはサンプドリアでリーグ戦15試合に出場するも無得点に終わった。 |
| クラブ側に契約延長の意思は無くサンプドリアを退団、引き続き海外でのプレーを希望し、同セリエAのFCメッシーナと契約、鹿島からの1年間の期限付き移籍の形をとった。 |
| 2004年-2005年はメッシーナ移籍後、8月22日コッパ・イタリアの1回戦でアチレアレから1ゴール1アシストの活躍でイタリア公式戦初ゴールをあげ、レッジーナとの海峡ダービーで決勝アシストを決め「柳沢は海峡の王様だ」との見出しが地元紙に載るなどしたが、リーグ戦では22試合で無得点に終わる。 |
| またこの期間、ジーコからも日本代表の招集がかからなくなった時期があった。 |
| シーズン途中からMFとして主に左サイドで起用されるようになる。 |
| W杯アジア最終予選イラン戦を控えた2005年3月22日、藤田俊哉の負傷離脱後に日本代表に緊急招集。 |
| これが2004年7月13日の親善試合セルビア・モンテネグロ戦以来8カ月ぶりの招集だった。 |
| イラン戦では途中出場を果たし、福西のゴールにつながるポストプレイをこなした。 |
| 6月3日のバーレーン戦では1トップとして先発に復帰し、W杯出場のかかった6月8日の北朝鮮戦では5試合523分ぶりのゴールをあげた。 |
| またコンフェデレーションズ杯のメキシコ戦では難易度の高いゴールをあげる活躍を見せた。 |
| 2005-2006シーズン開幕前には柳沢本人が残留を希望しメッシーナに完全移籍を果たす。 |
| ただ、このときはメッシーナ側に移籍金を満額払える余裕はなかったため移籍金の半額だけ払うという「共同保有」の形を取った。 |
| そのため、契約が満了した場合の優先交渉権は鹿島に残り、Jリーグのクラブが獲得を打診する際の窓口も鹿島になるという形を取った。 |
| シーズン開幕前には今年の注目選手として特集記事を組まれるなど、一定の評価を得ていたが、出場機会は乏しくノーゴールが続いた。 |
| 苦しいシーズンが続いたが日本代表に招集されたホンジュラス戦では2ゴールをあげるなどの活躍もみせた。 |
| ドイツW杯の出場に向け、12月には出場機会の少ないことに不満を訴えクラブに移籍を希望。 |
| 2006年2月28日に契約は解除され、2006年3月からW杯終了の6月末まで古巣鹿島への期限付き移籍という形で了承された。 |
Jリーグ復帰後
| 2006年の鹿島では背番号は13番をつけ、復帰戦となった3月11日のJリーグ開幕戦のサンフレッチェ広島戦ではスタメンでフル出場、ハットトリックを達成した。 |
| これがJリーグでは、自身3度目のハットトリックとなった。 |
| しかし同年3月25日のジェフ千葉戦で右足の痛みを訴えて交代、翌日に右第5中足骨骨折で全治2カ月と診断された。 |
| 怪我の影響が心配される中、2006年ドイツW杯日本代表の23人に選出され2試合に出場したが、消極的なプレーに終始し、無得点に終わり批判を浴びる |
| W杯終了後にはレンタル元のメッシーナとの交渉により、鹿島アントラーズへ完全移籍した。 |
| オシム新監督就任後の日本代表には選出されず、J復帰元年は4得点に終わった。 |
| 2007年シーズン前には本田泰人の引退を受けて鹿島の新主将、選手会長に就任した。 |
| ナビスコ杯準々決勝第2戦の広島戦で85日ぶりに復帰し2アシストを記録。 |
| しかし、リーグ戦では第5節を最後にフル出場がなく、田代有三、興梠慎三の台頭でスタメン落ちも多くなっていた。 |
| 2008年は出場機会を求め京都サンガF.C.への移籍を決断した。 |
| 低迷するチームの残留に貢献し、3月16日に移籍後リーグ2戦目の大宮戦で、ゴール前での混戦からこぼれ球を決め移籍後初ゴールを決める。 |
| 夏場以降はコンスタントに得点を重ね続け、従来課題であった得点力を改善し、自身2001年以来の二桁得点、同季の日本人最多得点である14得点をマークした。 |
| 同年は7年ぶりにJリーグベストイレブンにも選出された。 |
| 2009年もエースとして期待されたが、開幕前に痛めた左ひざの影響で本調子が出ずに4月に半月版の手術のため離脱。 |
| 15節に復帰してからは不動のレギュラーとして試合に出続けた。 |
| また前年度と同じく低迷するチーム事情により本来のポジションではない位置でのプレーを任せられチームの残留に貢献した。 |
| 2010年から佐藤勇人の退団を受け、サンガの新主将に任命された。 |
| 5月5日の清水エスパルス戦で、史上6人目のJリーグ通算100ゴールを達成した際、前日に第一子(長男)が誕生したことで、他のサンガの出場選手とともに「ゆりかごダンス」を披露した。 |
| しかし、クラブはその後も低迷が続き、J2降格が濃厚になった11月にクラブから戦力外通告を受ける。 |
| この決定に対し、サポーターからは疑問の声があがり、Jクラブとしては珍しく公式サイトにて声明文が発表された。 |
| 2008年以来の凱旋となった鹿島アントラーズ戦では、これまでの労をねぎらった横断幕が鹿島サポーターから掲げられ、交代時には大きな拍手が沸き起こった。 |
| 2011年、ベガルタ仙台に完全移籍。 |
| 背番号を今までの13から30にし、移籍会見では背番号だけの得点を決めたいと語る。 |
エピソード
| 最も尊敬する選手は三浦知良。 |
| 幼稚園児だった1983年10月、その年富山県で開催された第7回全国育樹祭開会式に出席していた皇太子明仁親王・同妃美智子(現在の天皇・皇后)の前で他の園児たちとお遊戯を披露する。 |
| 子どもたちは美智子妃を「近くにお見せしたいものがある」と誘い、美智子妃は子どもたちと手をつないで走り出し、柳沢も美智子妃のすぐ後ろを走った(その瞬間の報道写真が現在も残っている)。 |
| それから18年たった2002年、日本代表対スウェーデンの親善試合を天皇・皇后が観覧した際、選手ひとりひとりに声がけをした際、柳沢は皇后に「昔、富山に来られたときのことをご記憶でございますか」と尋ねた。 |
| 皇后はすぐに思い出し、柳沢が「そのときにお遊戯をしました」と明かしたところ、大変驚いたという。 |
| ドイツW杯2戦目の対クロアチア戦では加地亮からGKのタイミングを外したラストパスを無人のゴール前で受け、難易度の高いアウトサイドでゴール外にいるゴールキーパーの股下を抜いて外した |
| 集中力を欠いたパフォーマンスと受け取られフランスのレキップ紙は、「技術以前の問題だ」と断じている。 |
| 、世界各国から批判される |
| ジーコも柳沢を批判している |
| これは、試合後の「急にボールが来たので」とのコメントとあいまって中日新聞、2006年06月19日、それまでの代表におけるパフォーマンスの象徴とみなされている |
| ――なぜ彼はあの時、蹴らなかったのか?]。 |
| この発言はQBKとの略称が生まれるほどの反響を呼び |
| なお、帰国後のインタビューにおいて、「加地がシュートを打つ体勢だったから、打つと思ってキーパーにつめていこうという意識だったんですけど、シュートが急にこっちに来て、足を出して・・・。 |
| う~ん、予測できてなかったと言えばそうだった。 |
| ああいうのに反応できてこそとは思うし、やっぱり決めるべきチャンスだったと思いますね」と弁明している |
所属クラブ
| 1993年-1995年富山第一高校。 |
| 1996年-2003年鹿島アントラーズ。 |
| 2003年-2004年サンプドリア(レンタル移籍)。 |
| 2004年-2005年FCメッシーナ(2004年7月~レンタル移籍、2005年7月からは完全移籍)。 |
| 2006年-2007年鹿島アントラーズ(2006年3月1日から6月30日までレンタル移籍、2006年7月以降は完全移籍)。 |
| 2008年-2010年京都サンガF.C.。 |
| 2011年-ベガルタ仙台。 |
個人成績
| スーパーカップ1試合2得点。 |
| Jリーグチャンピオンシップ2試合0得点。 |
| Jリーグチャンピオンシップ2試合0得点。 |
| A3チャンピオンズカップ2試合1得点。 |
| 鹿島アントラーズ通算成績1996-2003年2006-2007年320試合110得点。 |
個人タイトル
| 1997年-新人王、Jリーグ優秀新人賞。 |
| 1998年-Jリーグベストイレブン、Jリーグ優秀選手賞。 |
| 2001年-Jリーグベストイレブン、日本年間最優秀選手賞、Jリーグ優秀選手賞。 |
| 2008年-J'sGOAL月間MIP(7月)、Jリーグベストイレブン、Jリーグ優秀選手賞。 |
関連項目
| サッカー日本代表出場選手。 |
| 2002FIFAワールドカップ日本代表。 |
| 2006FIFAワールドカップ日本代表。 |
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1977年
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柳沢 敦(やなぎさわ あつし)は、富山県射水... |
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1983年
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幼稚園児だった、その年富山県で開催された第... |
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