| 1945年の原爆投下直前まで広島市内に住んでいたが、現在の府中市に疎開し難を逃れた。 |
| 中学は大分県別府市で育つ。 |
| 河村英文は根来の姉と高校が同級。 |
| 県立府中高校時代はエースで、県内では有名なピッチャーだった。 |
| 当時の広島はレベルが高く広瀬叔功、木下強三ら、同期は7人がプロ入りした。 |
| 1955年東京鉄道管理局に入る。 |
| 翌1956年には熊谷組の補強選手として都市対抗野球大会に出場し、決勝戦で日本石油の藤田元司と投げあったこともある。 |
| 1957年に投手として国鉄スワローズに入団。 |
| 同年3試合に登板しているが、早々に二軍落ち。 |
| 同年二軍の試合(小樽)で、読売ジャイアンツの馬場正平(ジャイアント馬場)から本塁打を放った。 |
| 試合後馬場に声をかけると、「生まれて初めてホームランを打たれたよ」と言われたそうである。 |
| 馬場は一軍の公式戦では本塁打を打たれていない『聞き書きみんな、野球が好きだった』p52。 |
| その後、監督の宇野光雄からの打診により、高校・社会人でそれぞれ短期間経験した捕手に転向することとなった。 |
| 球団幹部からは「金田正一の球をノーサインで捕って一人前」と無理難題に近い要求をされ、実家を養わなければならない根来は受け入れるしかなかった。 |
| 捕手としてのデビュー時は極度に緊張。 |
| 監督の宇野光雄は主審に「このキャッチャー、新人だから頼むよ」と言った。 |
| その時は意味が分からなかったが、1球目はストレートで主審が「ストライク!」のコール。 |
| しかしパスボールし、ボールは当時は低かったバックネットの網に直接当たった。 |
| 観客は失笑、チームメイトも「ストライクをパスボールしたヤツ、初めて見た。 |
| それもストレートだよ」と大笑い。 |
| 監督が主審に言った意味が後から分かったという『聞き書きみんな、野球が好きだった』p71。 |
| 最初は金田がサインを出した。 |
| 金田は直球、縦に割れるカーブ、スライダーに近いカーブと三種類しかなく、大きな手振りでサインを出すので、何を投げるかは分かり易かったが、それでもバッターは打てなかったという『聞き書きみんな、野球が好きだった』p75。 |
| 金田の投球を必死に研究し、やがて直球とカーブを投げる際の微妙なフォームの相違を発見し、1961年頃からはノーサインで捕れるまでになった。 |
| その努力に金田も恩義に感じてか、後にロッテオリオンズ監督に就任すると根来をコーチに招くなどしている。 |
| 王貞治が第1号本塁打を打った時の捕手である。 |
| このため王が500号を打ったあたりから、節目の本塁打を打つたび、「第1号はどんなボールでしたか」と、新聞記者からよく電話が掛かってきたという。 |
| 王は開幕戦から鳴り物入りでデビューしたにも関わらず、26打席無安打が続き、とても悩んでいるという噂が流れていた。 |
| 根来も捕手転向時にはとても苦労したため、王が可哀そうになり、投手の村田元一に「お前、同じ東京(出身)だろ。 |
| 打たせてやれよ」と冗談で言った。 |
| 第1号本塁打の球種はスライダーだったそうである『聞き書きみんな、野球が好きだった』p66。 |
| 打撃面では、100安打以上を記録したシーズンは1度も無かったが、1964年には当時のセリーグタイ記録である8打席連続安打を達成している。 |
| 1965年頃からは、平岩嗣朗や岡本凱孝にマスクを譲ることが多くなった。 |
| 1967年に阪急ブレーブスに移籍し、2年間プレーした後1968年に現役を引退。 |
| 引退後は西本幸雄監督下の阪急や金田・山内一弘各監督下のロッテ、武上四郎・中西太・土橋正幸・関根潤三・野村克也各監督下のヤクルト、土井正三・仰木彬各監督下のオリックス各球団で、1年も欠かすことなく、コーチ・フロントとして活躍しリーグ優勝や日本一に関わる。 |
| オリックス二軍監督時代には、河村健一郎コーチの進言を受け、入団一年目のイチローを一年間、1番センターで使った |
| その後、オリックスの編成部に入り、2001年オフに退任した。 |
| のち加藤俊夫→大矢明彦→古田敦也に継がれてきたスワローズ球団の正捕手の背番号27は根来から始まる。 |
| 審判・平光清は自著の中で、400勝の金田のようにノーサインで容赦なく投げてくる投手の快速球を受け続けながら、みずからは決してPRすることのなかった「ゴロちゃん」のような縁の下の力持ちこそ、真のナンバーワン捕手ではないか、と述べている『「憧れの記憶」野手編』、p121(ベースボール・マガジン社、2007年9月)平光清『審判失格―それでも私は野球が好きだ。 |
| 』p217、218(ニッポン放送出版)。 |
| 2009年11月27日、神奈川県藤沢市内の病院にて胃がんのため死去。 |
| 根来の訃報を受けた金田正一は「(根来さんは)私の野球人生に欠かすことの出来ない人物だった」と語った |