15431
15596
175290
%E6%A2%A8%E6%9C%AC%E5%AE%AE%E5%AE%88%E6%AD%A3%E7%8E%8B
%E6%A2%A8%E6%9C%AC%E5%AE%AE%E5%AE%88%E6%AD%A3%E7%8E%8B
%E6%A2%A8%E6%9C%AC%E5%AE%AE%E5%AE%88%E6%AD%A3%E7%8E%8B
%E6%A2%A8%E6%9C%AC%E5%AE%AE%E5%AE%88%E6%AD%A3%E7%8E%8B
%E6%A2%A8%E6%9C%AC%E5%AE%AE%E5%AE%88%E6%AD%A3%E7%8E%8B
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 梨本宮守正王の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
梨本宮守正王(なしもとのみやもりまさおう、1874年(明治7年)3月9日-1951年(昭和26年)1月1日)は、皇族、軍人。1904年(明治37年)に大勲位菊花大綬章を受章している。
生涯
| 久邇宮朝彦親王の第4王子として1874年に誕生。 |
| 当初は多田と名付けられたが、梨本宮家相続にあたり、守正と改名した。 |
| 梨本宮家は初代守脩親王のあと、山階宮家出身の菊麿王が後継者となったが、のちに実家を継ぐことになったため梨本宮家を離れ、代わって守正王が相続したものである。 |
| このため、実際には3代目であるが、公式には守正王が2代目とされている。 |
| 1896年(明治29年)に陸軍士官学校卒業後、1903年(明治36年)にフランス留学。 |
| これに先立つ、1900年(明治33年)に鍋島直大侯爵の二女伊都子と結婚。 |
| 方子女王、規子女王の2女をもうける。 |
| 日露戦争では、参謀本部勤務。 |
| 次いで第3軍付き武官として出征した。 |
| 戦後、再度フランスへ留学。 |
| フランス陸軍大学を卒業。 |
| 第16師団長など部隊長を歴任し、陸軍大将に累進し、元帥の称号を賜った。 |
| 軍事参議官、日仏協会総裁、在郷軍人会総裁、大日本武徳会総裁などを歴任。 |
| 1943年(昭和18年)、伊勢神宮祭主に就任した。 |
| 1945年(昭和20年)に、皇典講究所第6代(最後)総裁就任した。 |
| 敗戦後、占領下で運命は暗転する。 |
| 神宮祭主であったことから国家神道の頭目であるとみなされ、皇族としてただ1人A級戦犯として戦争犯罪人に指定され、巣鴨プリズンに拘置される。 |
| 本人も身の覚えがないと自覚しており、半年後に釈放されたが、宮邸に帰宅してみると、集団強盗に襲われ家財の多くが盗難に遭っていたという(犯人の一部は逮捕された)。 |
| 実際にも、同じ皇族の元帥でも、統帥部長を長く務め軍部の動向にも大きく影響を及ぼした閑院宮載仁親王や伏見宮博恭王に比べれば、ほとんど軍務や時勢には関与しておらず、「誰も覚えていなかったような過去の人」(秦郁彦)、「間違いで引っ張ったとしか思えない」(半藤一利)という評されている引用は、「歴代陸軍大将全覧 大正篇」P252より、中公新書ラクレ、2009年。 |
| 1947年10月に皇籍離脱。 |
| 1951年(昭和26年)元旦に、自邸で逝去。 |
没後
| 伊都子妃は、守正王亡き後も「最後の貴婦人」として振舞い、規子女王の二男広橋儀光、次いで久邇宮多嘉王の三男龍田(梨本)徳彦夫妻を養子に迎えた(梨本徳彦夫妻養子に先立ち、儀光とは離縁)。 |
| 1976年(昭和51年)8月19日に94歳で逝去した最晩年に、回想記『三代の天皇と私』(講談社)を公刊した。 |
血縁
| 父:久邇宮朝彦親王。 |
| 母:原田光枝子。 |
| 兄弟:男子-邦憲王-邦彦王-守正王-多嘉王-暢王-男子-鳩彦王-稔彦王。 |
| 兄弟:女子-智當宮-栄子女王-安喜子女王-飛呂子女王-絢子女王-素子女王-懐子女王-篶子女王-純子女王。 |
| 方子女王-規子女王。 |
| 儀光(養子、後に絶縁)。 |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
久邇宮朝彦親王
父
幕末から明治時代初期の皇族。伏見宮邦家親王の第四王子。「ともよし」とも読む。通称に中川宮。 |
|
|
大正天皇
日本の第123代天皇。諱は嘉仁(よしひと)。幼少時の御称号は明宮(はるのみや)。お印は壽(じゅ)。明治以降で初の一夫一妻制をとった天皇。 |
|
|
久邇宮邦彦王
久邇宮邦彦王(くにのみやくによしおう、1873年(明治6年)7月23日-1929年(昭和4年)1月27日)は日本の皇族で陸軍軍人。久邇宮朝彦親王の第三王子。階級及び... |
|
|
李方子
日本の元皇族。梨本宮家に生まれ、旧大韓帝国の元皇太子で日本の王公族となった李垠の妃。 |
|
|
李垠
初代大韓帝国皇帝高宗の第7男子。母は純献貴妃厳氏で純宗の異母弟。同国最後の皇太子であり、日本の王公族、李王。大韓帝国時代の称号は英親王。 |
|
|
閑院宮載仁親王
閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう、慶応元年9月22日(1865年11月10日)-1945年(昭和20年)5月20日)は日本の皇族、陸軍軍人。伏見宮邦家親王... |
|
|
伏見宮貞敬親王
江戸時代の日本の皇族。伏見宮第19代。伏見宮邦頼親王の王子。幼称は嘉禰宮(かねのみや)。天皇候補に名が挙がったことがある。寛政9年(1797年)8月親王宣... |
|
|
朝香宮鳩彦王
朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこおう、1887年(明治20年)10月20日-1981年(昭和56年)4月12日)は日本の皇族、軍人。朝香宮家の初代当主。1947年(昭和2... |
|
|
多嘉王
多嘉王(たかおう、1875年(明治8年)8月17日-1937年(昭和12年)10月1日)は日本の皇族。久邇宮朝彦親王の第五王子。伊勢神宮祭主となる。 |
|
|
華族
1869年から1947年まで存在した近代日本の貴族階級のことである。公家に由来する華族を公家華族、江戸時代の藩主に由来する華族を大名華族(諸侯華族)、国家... |
|
|
東久邇宮稔彦王
日本の旧皇族、陸軍軍人。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は大勲位。功級は功一級。皇籍離脱後は東久邇稔彦(ひがしくになるひこ)を名乗った。貴族院議... |
|
|
李玖
李玖(りく/イ・グ/이구、1931年12月29日-2005年7月16日)は李王垠の第二子。父は大韓帝国の元皇太子で李王、母は日本の皇族である方子女王。王公族としての... |
|
|
鍋島直大
幕末期の大名。肥前国佐賀藩第11代(最後の)藩主。明治・大正時代の政府高官。侯爵。佐賀藩10代藩主・鍋島直正の次男。明治維新以前は茂実(もちざね)と称... |
|
|
賀陽宮邦憲王
賀陽宮邦憲王(かやのみやくにのりおう、1867年7月2日(慶応3年6月1日)-1909年(明治42年)12月8日)は日本の皇族、伊勢神宮祭主。 |
|
|
岸信介
日本の政治家、官僚。内閣総理大臣(第56・57代)。位階は正二位、勲等は大勲位。旧姓佐藤(さとう)。元衆議院議員、CIAエージェント。満州国総務庁次長、商... |
|
|
杉山元
大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将、陸軍大臣、太平洋戦争開戦時の参謀総長。福岡県出身。陸軍士官学校12期。陸軍大学校22期。陸軍大臣、参謀総長、教育総監... |
|
|
畑俊六
日本の陸軍軍人。最終階級は元帥陸軍大将。偕行社会長。位階勲等は正三位勲一等功一級。兄・英太郎は陸軍大将・陸軍省軍務局長・関東軍司令官、長男・俊八は... |
|
|
広橋真光
昭和時代の華族(伯爵)・内務官僚。近衛文麿・東條英機両首相の秘書官を務める。戦後、千葉県知事を1ヶ月だけ務めた。 |
|
|
上原勇作
明治~昭和期の陸軍軍人。元帥陸軍大将従一位大勲位功二級子爵。陸軍大臣、教育総監、参謀総長。日向国都城(現宮崎県都城市)出身。妻は野津道貫の娘、槙子。 |
|
|
武藤信義
日本の陸軍軍人。元帥、陸軍大将、正二位勲一等功一級男爵。関東軍司令官兼駐満大使兼関東長官・教育総監・軍事参議官・東京警備司令官等を歴任した。 |
|
|
梨本宮守正王さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|