| 広島県三次市出身。 |
| 永川勝浩とは三次市の同じ少年野球チームに所属した幼なじみ。 |
| 高校時代も1度だけ公式戦で対戦があり、この時は3打数3安打だった。 |
| しかし東都大学野球時代は永川から1本もヒットを打てなかった。 |
| 三次高校時代は、2年夏のベスト16が最高、3年夏は2回戦敗退。 |
| 東都の駒澤大学に進学し、2年秋からレギュラー。 |
| 卒業後は、社会人野球の日産自動車に入社。 |
| 第76回都市対抗野球大会ではチームの準優勝に大きく貢献。 |
| 首位打者を獲得し、久慈賞を受賞した。 |
| その年オランダで行われたIBAFワールドカップでは日本代表に選ばれ、2005年度社会人野球ベストナインを受賞した。 |
| 2005年大学生・社会人ドラフト3巡目で広島に入団。 |
| 本来は遊撃手だが、プロ入団後は二塁の守備に就くようにもなった。 |
| 土のホームグラウンドの影響もあってか失策が多かった。 |
| 強肩と俊足を生かし、守備範囲が広いが、遊撃手の見せ場の一つである間一髪のダブルプレーが捕球→送球の動作が俊敏でないためアウトにできなかった。 |
| 開幕直後攻守にミスが目立ったが、ブラウン監督が辛抱強く起用し続けた結果、開幕当初1割にも満たなかった打率を3割近くに上げ、好守も見せるようになるなど短期間で攻守ともに急成長。 |
| また得点圏打率は3割5分を超え、三塁打は狭い広島市民球場を本拠地とし、右打者ながら8本を放ち、両リーグ通じて単独トップ。 |
| 盗塁もチームトップの13個。 |
| 東出輝裕と二遊間を守り、広島打線の1、2番コンビとして定着した。 |
| しかし、9月26日の試合前の練習中、コーチのノックがイレギュラーして右目を直撃、検査の結果「右眼窩部打撲」と診断され登録抹消。 |
| 横浜・吉村裕基、中日の佐藤充と争ってきた新人王争いにはまだまだアピールが必要であり、また、ルーキーでありながらチームの攻守の要であるため梵本人は勿論、チームにとっても非常に痛い戦線離脱であった。 |
| その日はベンチ裏で人目もはばからず号泣。 |
| そして10月14日の阪神戦で復帰し、8回に代打出場。 |
| そのまま守備に就き、打球も無難に処理しファンを安堵させる(守備時には未だ赤い目に防御用ゴーグルを着用であった)。 |
| 最終的には打率.289、安打数130という結果でルーキーシーズンを終えた。 |
| その結果、横浜の吉村裕基に倍以上の票差をつけて入団会見での公言通り2006年度新人王獲得。 |
| 広島の新人王は1997年の澤崎俊和以来9年ぶり、野手では1984年の小早川毅彦以来チーム2人目である。 |
| 同級生で二遊間を組む東出と2人でゴールデングラブを受賞することを目標にしている。 |
| そのため、秋季キャンプでは東出と常に行動を共にする等、息を合わせている。 |
| 7月13日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)で先制ソロにタイムリーを含む2二塁打を放ち、守備ではファインプレーも飛び出し、その日のお立ち台に立った。 |
| そのヒーローインタビューで、試合中マウンドへ寄った(投手・黒田博樹)ときのことを聞かれて「黒田さんがワンパターンなリズムで投げてたので間を置きたかった」とルーキーにもかかわらず大胆な発言をした。 |
| オフに背番号を6に変更。 |
| また、実家であるお寺を、ブラウン監督が直々に訪れている。 |
| 12月16日に男児が誕生する。 |
| 梵の新人王受賞を記念して、地元三次市の |
| 720mlの本醸造酒で、梵英心のサイン入りポストカードが1枚付いている。 |
| 2006-2007のオフにローカルラジオ番組DOTHECARPにてDJのひとりを務める。 |
| その際リスナーからDJ名が公募され、「DJ-Ashin」と名付けられた。 |
| 守備面も向上を見せ、ショートとしては両リーグ唯一の100併殺を達成。 |
| 失策はショートではセリーグ最多だったが、RF(レンジファクター)(守備率を参照)は両リーグでも1位だった。 |
| 守備面ではエラーこそ多かったものの、RFを発展させたRRFでは鳥谷敬をわずかにしのぎセ・リーグ1位であったただし、鳥谷より出場試合は40試合以上少ない。 |
| また両リーグ合わせると金子誠がトップ。 |