268
368
1035
%E6%A3%9F%E6%96%B9%E5%BF%97%E5%8A%9F
%E6%A3%9F%E6%96%B9%E5%BF%97%E5%8A%9F
%E6%A3%9F%E6%96%B9%E5%BF%97%E5%8A%9F
%E6%A3%9F%E6%96%B9%E5%BF%97%E5%8A%9F%20-%E6%A3%9F%E6%96%B9%E5%BF%97%E5%8A%9F%E3%81%8C%E6%AE%8B%E3%81%97%E3%81%9F%E8%A8%80%E8%91%89
%E6%A3%9F%E6%96%B9%E5%BF%97%E5%8A%9F
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 棟方志功の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- 棟方志功とは
- 来歴
- 作風・人物
- エピソード
- 作品
- 著書
- 主な共著
- ゆかりの施設
- 家族
- テレビドラマ
- 舞台
- 関連サイト
棟方志功(むなかたしこう、1903年(明治36年)9月5日-1975年(昭和50年)9月13日)は日本人の板画家。青森県出身。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。1942年(昭和17年)以降、彼は 版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。
来歴
| 1903年(明治36年)、刀鍛冶職人である棟方幸吉とさだの三男として生まれる。 |
| 豪雪地帯出身のため、囲炉裏の煤で眼を病み、以来極度の近視となる。 |
| 少年時代にゴッホの絵画に出会い感動し、「ゴッホになる」と芸術家を目指した。 |
| 青森市内の善知鳥神社でのスケッチを好んだ。 |
| 1924年(大正13年)、東京へ上京する。 |
| 帝展や白日会展などに油絵を出品するが、落選が続いた。 |
| 1928年(昭和3年)、第9回帝展に『雑園』(油絵)を出品し、入選する。 |
| 1930年(昭和5年)から文化学院で美術教師を務める。 |
| 1932年(昭和7年)日本版画協会会員となる。 |
| 1934年(昭和9年)佐藤一英の“大和し美し”を読んで感動、制作のきっかけとなる。 |
| 1936年(昭和11年)国画展に出品の「大和し美し」が出世作となり、これを機に柳宗悦、河井寛次郎ら民芸運動の人々と交流する様になり、以降の棟方芸術に多大な影響を及ぼすことになる。。 |
| 1945年(昭和20年)戦時疎開のため富山県西礪波郡福光町(現南砺市)に移住。 |
| 1954年(昭和29年)まで在住した。 |
| 志功はこの地の自然をこよなく愛した。 |
| 1946年(昭和21年)富山県福光町栄町に住居を建て、自宅を「鯉雨画斎(りうがさい)」と名付け、また谷崎潤一郎の命名にて「愛染苑(あいぜんえん)」ともよぶ。 |
| 1956年(昭和31年)、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に『湧然する女者達々』などを出品し、日本人として版画部門で初の国際版画大賞を受賞。 |
| 1969年(昭和44年)2月17日、青森市から名誉市民賞を授与され、翌年には文化勲章を受章する。 |
| 1975年(昭和50年)9月13日、東京にて永眠。 |
| 青森市の三内霊園にゴッホの墓を模して作られた“静眠碑”と名付けられた墓がある。 |
作風・人物
| 棟方の肉筆画作品は「倭画」と言われ、国内外で板画と同様に評価を受けている。 |
| 大変な近視の為に眼鏡が板に付く程に顔を近づけ、軍艦マーチを口ずさみながら板画を彫った。 |
| 第二次世界大戦中、富山県に疎開して浄土真宗にふれ、『阿弥陀如来像』『蓮如上人の柵』『御二河白道之柵』『我建超世願』『必至無上道』など仏を題材にした作品が特に有名である。 |
| 「いままでの自分が持っている一ツの自力の世界、自分というものは自分の力で仕事をするとうようなことからいや、自分というものは小さいことだ。 |
| 自分というものは、なんという無力なものか。 |
| 何でもないほどの小さいものだという在り方自分から物が生まれたほど小さいものはない。 |
| そういうようなことをこの真宗の教義から教わったような気がします」。 |
エピソード
| ゴッホのファンになって以来、頻繁にゴッホの名を語る棟方に対し周囲の知人は「風邪でも引いたのか」とからかったという。 |
| 志功は「アイシテモ愛しきれない オドロイテモ驚ききれない ヨロコンデモ喜びきれない カナシンデモ悲しみきれない それが板画です」と言った。 |
| 版画の「はん」を版ではなく板と書いてハンと読ませる。 |
| それは板の性質をちゃんと使うためであり、版だとそれを半分にしていることになるからだそうである。 |
| 埼玉県行田市にある「十万石ふくさや」が販売する「十万石饅頭」のパッケージデザインを手がけている。 |
| 清綱彫刻刃物製作所の彫刻刀を愛用。 |
| 棟方志功の作品名につく「柵」について、棟方志功は以下の様に語っている。 |
| 「柵というのは、垣根の柵、区切る柵なのですけれども・・・・・・、昔は城の最初のものを柵といったと聞いています。 |
| 何何の柵、どこどこの柵という城の形にならない、ただクイを打っていく、そんなようなモノでしょうか、「しがらみ」というものでしょうか。 |
| そういうことに、この字を使いますが、-->私の「柵」はそういう意味ではありません。 |
| 字は同じですが、四国の巡礼の方々が寺々を廻られるとき、首に下げる、寺々へ納める廻札、あの意味なのです。 |
| この札は一つ一つ、自分の願いと信念をその寺に納めていくという意味で下げるものですが、私の願所にひとつひとつ願かけの印札を納めていくということ、それがこの柵の本心なのです・・・・・・ですから納札、柵を打つ、そういう意味にしたいのです。 |
| -->たいていわたくしの板画の題には「柵」というのがついていますけれども、そういう意味なのです。 |
| 一柵ずつ、一生の間、生涯の道標をひとツずつ、そこへ置いていく。 |
| 作品に念願をかけておいていく。 |
| 柵を打っていく、そういうことで「柵」というのを使っているのです。 |
| この柵は、どこまで、どこまでもつづいて行くことでしょう。 |
作品
| 「画集」は相当数あり、装画等で共著も多い。 |
| 「板画」の代表作は以下。 |
| 御鷹揚げの妃々達々。 |
| 板画奥の細道 講談社文庫で1979年刊。 |
| 『棟方志功作品集 富山福光疎開時代』 東方出版、2004年。 |
| 『棟方志功 ヨロコビノウタ』 棟方板画美術館編、二玄社2003年。 |
著書
| 『わだばゴッホになる』日本経済新聞社、1975年12月。 |
| 『棟方志功 わだばゴッホになる』 <人間の記録>日本図書センター、1997年 ISBN4820542524。 |
| 『板極道』 中央公論社、1972年、中公文庫 1976年。 |
| 『板散華』 講談社文芸文庫、1996年初版は山口書店。 |
| 『棟方志功全集』 全12巻 講談社、1980年完結。 |
| 『棟方志功の絵手紙』 小池邦夫・石井頼子共編 二玄社、2006年。 |
主な共著
| 『新美南吉 おじいさんのランプ』 志功画、日本図書センター、2006年。 |
| 『谷崎潤一郎歌集 歌々板画巻』 志功画、中公文庫、2004年。 |
| 『保田與重郎歌集 炫火頌』(カギロイシヨウ) 志功画、講談社文庫、1982年。 |
| 『孤高の画人 私の履歴書.画家2』 日経ビジネス人文庫、2007年。 |
| 熊谷守一/中川一政/東郷青児共著 。 |
| 『河井寛次郎 棟方志功』 <近代浪漫派文庫>新学社、2004年。 |
ゆかりの施設
| 250px|thumb|棟方志功記念館(青森市)。 |
| 棟方志功記念館(青森県青森市)-志功の私費によって建設された記念館。 |
| 青森県立美術館-作品常設展示。 |
| 埼玉県秩父市の羊山公園にある「やまとーあーとみゅーじあむ」では、志功の作品が観られる。 |
| 神奈川県鎌倉市鎌倉山のアトリエ跡に棟方板画館がある。 |
| 富山県南砺市福光町には、かつて居住していたところに棟方志功記念館「愛染苑」が建てられている。 |
| 湊川神社(兵庫県神戸市)-拝殿天井画(1956年作)ほか、「御楠樹図」奉納。 |
テレビドラマ
| 渥美清『おかしな夫婦』(1971年10月27日-1972年3月30日、フジテレビ)共演:十朱幸代。 |
| 片岡鶴太郎『花王名人劇場志功の青春記より夢を彫る男』シリーズ(1989年、関西テレビ)。 |
| 劇団ひとり『土曜プレミアム我はゴッホになる!〜愛を彫った男・棟方志功とその妻〜』(2008年10月25日、フジテレビ)。 |
舞台
| コロッケ『わだばゴッホになる・棟方志功物語』。 |
| -->。 |
|
1975年
|
『わだばゴッホになる』日本経済新聞社、 |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
柳宗悦
友達
民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者。 |
|
|
河井寛次郎
友達
日本の陶芸家。陶芸のほか、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも優れた作品を残している。 |
|
|
東山魁夷
画家、著述家。昭和を代表する日本画家の一人といわれる。文化勲章受章者。千葉県市川市名誉市民。本名は東山新吉(ひがしやましんきち)。 |
|
|
横山大観
戦前の日本の美術家。日本画家。茨城県水戸市出身。近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。帝国美術... |
|
|
森市松
陶芸家 森 市松 ( もり いちまつ ) 苗字:森(もり)
名前:市松(いちまつ)
性別:男
地域:日本
分野:陶芸家 東陶会
※ リンク (このペー... |
|
|
谷崎潤一郎
日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得... |
|
|
浜田庄司
息子
浜田庄司
プロフィール
はまだしょうじ(1894-1978)
神奈川県生まれ。1916年、東京高等工業学校窯業科卒業後、京都市立陶磁器試験場にはいり、先輩の... |
|
|
梅原龍三郎
梅原 龍三郎 (うめはらりゅうざぶろう)
明治21年生まれ 出身地京都府 本名は良三郎
明治36年旧制府立二中を病の為中退、洋画を志し浅井忠の聖護院洋画... |
|
|
草野心平
草野心平(くさのしんぺい、1903年(明治36年)5月12日-1988年(昭和63年)11月12日)は日本の詩人。福島県上小川村(現・いわき市小川町)出身。宇宙的なま... |
|
|
東郷青児
東郷青児(とうごうせいじ、1897年(明治30年)4月28日-1978年(昭和53年)4月25日)は日本の洋画家。本名は東郷鉄春。独特のデフォルメを施され、柔らかな曲... |
|
|
芹沢銈介
1895年(明治28年)、静岡市生まれ。 東京高等工業専門学校(現東京工業大学)で印刷図案を学ぶとともに、雑誌「白樺」を耽読し、梅原龍三郎、安井曾太郎、岸... |
|
|
竹久夢二
竹久夢二(たけひさゆめじ、明治17年(1884年)9月16日-昭和9年(1934年)9月1日)は日本の画家・詩人。本名は竹久茂次郎(たけひさもじろう)。 |
|
|
伊東深水
伊東深水(いとうしんすい、1898年(明治31年)2月4日-1972年(昭和47年)5月8日)は大正・昭和期の日本画家。本名、一(はじめ)。日本画独特のやわらかな表... |
|
|
荻須高徳
大正・昭和期の洋画家。愛知県稲沢市生まれ。小磯良平は東京美術学校(現・東京藝術大学)の同期生。新制作協会会員。 |
|
|
山下清
日本の画家。日本中を放浪していたことで知られる。 |
|
|
長部日出雄
青森県弘前市出身の小説家、評論家。故郷である津軽についての小説、エッセイを多数、発表。また津軽出身の棟方志功、太宰治らの評伝を執筆。また、監督した... |
|
|
土門拳
昭和時代に活躍した日本の写真家。社会的リアリズムに立脚する報道写真、日本の著名人や庶民などのポートレートやスナップ写真、寺院、仏像などの伝統文化財... |
|
|
長谷川潔
長谷川潔(はせがわきよし、12月9日-12月13日)は大正・昭和期に活躍した日本の版画家。にフランスへ渡り、様々な銅版画の技法を習熟。特にメゾチント(マニ... |
|
|
小池邦夫
小池邦夫の絵手紙入門 ヘタでいい、ヘタがいい 弊社では現在お取り扱いができません お困りの方 小池 邦夫著 税込価格: (本体 : ) 出版:雄鶏社 サイ... |
|
|
棟方志功さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|