| 一方で、梓みちよ、八神純子、岩崎宏美、大橋純子、沢田研二などの個性的で実力派といわれた歌手に憧れていた。 |
| ヘアブラシをマイク代わりにして歌の練習をしていたという。 |
| この頃、地域で開催されたのど自慢大会やテレビ番組の子供向けの歌のコンテストに出場し、数々の入賞を果たしている。 |
| 中学に入学したころから本格的に歌手になることを決意。 |
| 早速行動を起こし、渡辺プロダクションの東京音楽院大阪校に通い、ボイストレーニングを受けるようになる。 |
| 早い段階から元来の才能が芽吹き、磨きがかかり実力と自信をつけていった。 |
| 歌唱力に加え、容姿も良かったため、渡辺プロダクションから正式に事務所に所属し、アイドル歌手としてデビューするよう打診があった。 |
| しかし、まだ中学生であったため、心配した実父の大反対によりデビュー話は一旦差し戻されてお蔵入りに(著書:1990年出版「テーブル越しの好奇心」記載のエピソードから)。 |
| 諦めきれなかった森川は、1981年(昭和56年)、ヤマハボーカルオーディションを受け、大阪地区代表に選出される。 |
| 最終結果は不合格だったが、ヤマハのスタッフに別途スカウトされ、改めてヤマハでボイストレーニングを開始する。 |
| 1983年(昭和58年)、本名:榎並美穂で、オリジナル曲「ハネムーンサラダ」で第26回ヤマハ・ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に近畿地区代表で出場。 |
| その時、同じ地区代表に選ばれたのが、グランプリを獲得した辛島美登里だった。 |
| 辛島曰く「美穂ちゃんは当時中学生なのに歌手になる信念がしっかりしていた。 |
| しかもちょっと気が強い子で可愛かった」と語っている。 |
| 1983年(昭和58年)、ヤマハボーカルオーディション「ザ・デビュー」(現「MUSICREVOLUTION」)にて約1万人の中からグランプリを受賞。 |
| これがきっかけで、ヤマハ音楽振興会に所属。 |
| 歌手デビュー前に、第1回ヤマハヴォーカルオーディション「ザ・デビュー」グランプリの小林千絵主演ミュージカル『小公女セーラ』に出演している。 |
| 1985年(昭和60年)7月21日、シングル「教室」で、アイドル歌手としてデビュー。 |
| キャッチコピーは「涙をひとつおいてきます」。 |
| セールス的には大きなインパクトはなかったが、高校中退というテーマと新人アイドルらしからぬその歌唱力は業界内外に少なからぬ衝撃をもたらした。 |
| 芸名の姓“森川”は、母親の旧姓にちなむ。 |
| Vapレコードの一押しアイドル歌手で、ザ・トップテンの今週の話題曲として紹介された。 |
| 番組内で当時同じレコード会社だった先輩アイドル歌手・菊池桃子の妹分として紹介され共演を果たした。 |
| 本人はポスト菊池桃子的なレコード会社の売り方が嫌で、同世代の渡辺美里、小比類巻かほる、中村あゆみのような音楽性を希望していた。 |
| 同期には本田美奈子、中山美穂、南野陽子、浅香唯など。 |
| のちにトップアイドルになる華々しい顔ぶれと並んでのデビューだった。 |
| デビューから間もなく、東海ラジオで『森川美穂の青春放送局』がスタート。 |
| 東海地方の深夜枠では欠かせない存在となり、森川組(しんせんぐみ)というリスナー組織も結成。 |
| 定期的にイベントなども行い、ファン層が拡大していく(1991年に森川組は解散)。 |
| 1987年(昭和62年)、ASKA作詞作曲のシングル「おんなになあれ」がヒット。 |
| HER-Bestの歌詞カードの中に当時のエピソードして飛鳥涼が『制服を脱いで1人のおんなとして恋をしたら美穂はどんな恋をするんだろう・・・と思ってこの歌を作ったんだよ』と披露している。 |
| これを機にロックを基調としたアーティスト路線に変更し、この頃には「学園祭の女王」と呼ばれるようになる。 |
| 1988年(昭和63年)、市川猿之助演出モーツァルトオペラミュージカル『イダマンテ』で、ヒロイン(近藤真彦の相手役)に選ばれ出演。 |
| 音楽面では全国コンサートツアー、シングル、アルバムの定期的リリース。 |
| シングル「BeFree」「プライド」などのポップスとロックの中間路線に変更し、セールスも伸ばしてゆく。 |
| 1990年(平成2年)、NHKのアニメ「ふしぎの海のナディア」の主題歌を発売するため、東芝EMIに移籍した(本人が雑誌で公言)。 |
| 移籍と同時に、それまで所属していたレコード会社・VAPから発売されていたシングル・アルバムが全て廃盤となり、中古CD店では森川のVAP時代のアルバムに1枚1万円以上というプレミアが付いた時期もあった。 |
| 廃盤になった理由は、原盤権をヤマハ音楽振興会が持っており、VAPとは原盤供給契約だったためである。 |
| VAPとの契約が終了=原盤供給契約も終了であり、VAPは音源の発売の権利を失い、廃盤せざるをえなかった。 |
| 廃盤となったVAP時代のアルバムは、その後、ヤマハ音楽振興会が東芝EMIに原盤供給を行ったことにより、ボーナストラックとしてアルバム未収録曲も加えて再発された(現在は廃盤)。 |
| 東芝EMIに移籍しての第1弾シングル「ブルーウォーター」(「ふしぎの海のナディア」主題歌)がヒット。 |
| さらに「声心・声力ヴォーカル主義」で売り出しを賭けた移籍第1弾アルバムジョー・リノイエサウンドプロデュースの『Vocalization』がオリコンのウィークリーチャートで最高位4位を記録する。 |
| 黒人ダンサーを引き連れての『'90VOCALIZATION』全国コンサートツアーを開催。 |
| 最終日のNHKホールでのライブ模様はのちに『MIHOMORIKAWASHOW』ビデオ発売され、2007年(平成19年)にDVDでも発売された。 |
| これは彼女唯一の市販ライブ映像である。 |
| その後GiRLPOPで人気の代表格となり、沢田知可子、井上昌己、かとうれいこ、峠恵子らと親交を深めていく。 |
| 1991年(平成3年)、LAにてレコーディングのアルバム『POPTHETOP!』がオリコンウィークリーチャート4位を記録。 |
| 全国コンサートツアーも大成功に終わった。 |
| また、ABCラジオ『ミュージックパラダイス』の水曜日枠でパーソナリティーを務め、喋れるヴォーカリストとしての頭角を現す。 |
| 1992年(平成4年)、ブルボンピックルEXのCMソングとなる『翼にかえて』をリリース。 |
| 本人もCMに出演していた。 |
| 『夢がMORIMORI』のキックベースに出演。 |
| 小・中学校時代のソフトボール経験を生かした活躍は有名となり、番組内では“スーパーキックベースシンガー”という異名をとった。 |
| また「夢MORI」コンサートにも2年連続で出演する。 |
| TBSラジオでは『今夜もフリースタイル』がスタート。 |
| 全国ネットでパーソナリティを務める。 |
| 1993年(平成5年)、セルフカバーとなるアルバム『aholiday』をリリース。 |
| 服部隆之らが参加し、アコースティックアレンジとなった「おんなになあれ」等7曲が収録された。 |
| 1994年(平成6年)、ロック調のシングル「傷痕」、『夢がMORIMORI』オープニング曲「恋してれば大丈夫」、アルバム『情熱の瞳』をリリース。 |
| アルバム『情熱の瞳』は佐藤準サウンドプロデュースの作品。 |
| 1995年(平成7年)、『あっ!森川だ』で東海ラジオに復帰し、音楽面では「素直に笑えない」、「CLOSEyourEYES」をリリースする。 |
| 1996年(平成8年)、当時廃盤であったVapレコードの音源を集めたベストアルバム『HER-BEST』を発売。 |
| 新たに本人が以前からやりたかったジャンルであるラテンの作品、シングル「99Generation」「DOMINO」、アルバム『ソリスタ』などを発表した。 |
| 彼女はバーシア、グロリア・エステファンなどのラテン女性シンガーに音楽面で強く影響を受けた。 |
| 1997年(平成9年)、1998年(平成10年)、J-POP界は女性R&Bボーカリスト人気ブームにより(MISIAや小柳ゆきや宇多田ヒカルなど)彼女も、シングル「それでもみんな生きている」「SoulGeneration」、アルバム『tasty』など、R&B路線の曲を発表する。 |
| ブロードウェイミュージカル日本版RENTにモーリン役で出演した。 |
| 1999年(平成11年)、NHK音楽番組青春のポップスでアレサ・フランクリンのヒットナンバー、「(YouMakeMeFeelLikeA)NaturalWoman」を歌唱してるところを、たまたまみていた映画『007』シリーズ第19作『007ワールド・イズ・ノット・イナフ』のプロデューサーから強い出演オファーがあり出演を果たす。 |
| プライベートでは、ミュージカル「RENT」で共演したエンジェル役のKOHJIROと結婚。 |
| 2000年(平成12年)、LOST&FOUNDというボーカルプロジェクトでシングル、アルバムを発売。 |
| 2001年(平成13年)、所属事務所ヤマハよりシングル(「秋田ワールドゲームズ2001」イメージ曲)「風になれ〜LikeAWind〜」を発売する。 |
| 2002年(平成14年)、2003年(平成15年)、夏に発売予定だったミニアルバムがお蔵入りになり、16年近く在籍したヤマハ音楽振興会を辞めている。 |
| 2004年(平成16年)、事務所を「とらねこ」に移籍。 |
| 2005年(平成17年)、ヤマハ時代に繋がりのあった円広志の事務所・オフィスとんでに移籍する。 |
| 2006年(平成18年)、歌手活動20周年記念ライブを大阪・そごう劇場で開催。 |
| 2007年(平成19年)2月、ティームエンタテインメントよりヒット曲「ブルーウォーター」のセルフカバー「ブルーウォーター(21stcenturyver.)」を発売。 |
| 2008年(平成20年)5月、自身の公式ホームページにて、所属事務所オフィスとんでを離脱することを発表。 |
| 2011年(平成23年)5月、本人の誕生日の5月5日を記念して「MihoMorikawa2011LIVE〜BirthdayParty〜 森川美穂生誕祭」を大阪ロイヤルホースにて開催。 |