| ゴルフ好きの父・良郎の影響で、8歳からゴルフを始める。 |
| 小学4年生で出場した全国小学生大会で早くも優勝し頭角を顕す。 |
| この時2位だったのが同学年の宮里藍で、以後宮里とは中学・高校・プロとしのぎを削る。 |
| 2002年、日本ジュニアゴルフ選手権競技(15-17歳女子の部)・サンスポ女子アマで優勝。 |
| 2004年4月にはアマチュアながら再春館レディースで不動裕理らとプレーオフを演じる。 |
| 同年8月にプロテストに2位で合格。 |
| プロテストが2位合格であったため、当初はツアーの残りのうち前年成績によるものを含め3試合しか出場権を得られなかった。 |
| しかしデビュー戦のフジサンケイレディスクラシックで4位に入ると、続く2試合も10位・2位と健闘。 |
| 更にはチャレンジツアー(下部ツアー)の穴吹工務店レディースカップでプロ初優勝しツアー3試合の出場権を獲得。 |
| その後も12月に当該年度のプロテスト合格者による「LPGA新人戦加賀電子カップ」で優勝し、終わってみればデビューイヤーながら翌2005年のシード権を得る活躍を見せた。 |
| またキャディをつとめた父との、明らかに噛み合わないやり取りもゴルフ中継の名物となった。 |
| 2005年1月には米男子ゴルフ大会のハワイ・パール・オープンに参戦。 |
| 予選で一時暫定5位につけるなど健闘し、通算6アンダーで17位(優勝記録は14アンダー)。 |
| ドライバーは男子顔負けの飛距離で、地元紙などで絶賛された。 |
| 同大会では前年にミシェル・ウィー(アメリカ)が38位に入ったが、これを大きく塗り替える記録となった。 |
| 日本国内のシーズンでは2005年15日-17日に行われたライフカードレディスで、念願の国内女子ツアー初優勝。 |
| その後はなかなか優勝争いに加わることができず、予選落ちも経験したが、2005年9月23日-25日に行われたミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンで2勝目。 |
| このときは父親以外のキャディーでの優勝ということもあり、プロゴルファーとして自立への一歩となった。 |
| 2006年は自らに年間3勝のノルマを課し、その通りにニチレイレディス・ベルーナレディースカップゴルフトーナメント・LPGAツアーチャンピオンシップで年間3勝を挙げ、メジャー初優勝とともに年間3勝の目標を達成する。 |
| この年は予選落ちゼロの安定したシーズンで、ニチレイレディースは初日からトップを譲らない完全優勝でベルーナレディースはトーナメントレコードを更新し2位に5打差をつける勝利であり、いずれも自身の目標だった「ぶっちぎり優勝」でもあった。 |
| 2007年も年間3勝を挙げる活躍で、初めて年間獲得賞金が1億円を突破する。 |
| 1億円プレイヤーは日本女子プロゴルフ史上6人目で、この年は史上初めて年間獲得賞金1億円以上が3人というハイレベルな戦いであった。 |
| 2008年は予選落ちゼロという安定したシーズンであったが、一方で2位が3回・3位が3回と勝ちきれないシーズンでもあり、勝利は大王製紙エリエールレディスオープンの1勝にとどまる。 |
| それでも年間獲得賞金は2年連続の1億円を突破した。 |
| プロ入り以降、実力はあれど賞金女王になれない「ブロンズコレクター」が続いていたが、必勝を期した2009年はメジャー1勝を含む年間6勝・予選落ちゼロ・シーズン平均ストローク数1位という奮迅ぶりで、念願の賞金女王になる。 |
| 年間獲得賞金額1億7501万6384円は日本女子プロゴルフ史上最高額で、この年が1ドル80円台半ばから90円台前半の円高だったこともあり、横峯の賞金額は同年の全米女子プロゴルフツアーの賞金女王の獲得金額(申智愛の180万7334ドル)をも上回るものであった。 |
| なおこの年は2位の諸見里しのぶも獲得賞金1億6500万円以上で、最終戦の最終ホールまで賞金女王の行方がわからないほどのハイレベルな年であった。 |
| 2010年、シーズンメジャー大会初戦のワールドレディス選手権サロンパス杯で単独2位になり、この大会で得た賞金1200万円全額を、2010年5月11日、家畜の口蹄疫(こうていえき)被害が拡大している宮崎県に対し、寄付することを発表した。 |