| 1997年、闘龍門3期生としてメキシコに渡り、1998年11月22日にプロレスデビューを果たした。 |
| デビュー戦直後に闘龍門の若手選手によって行われる大会“ヤングドラゴン杯”にエントリーされるも初戦敗退(この時の優勝者は堀口元気)。 |
| 翌年の“ヤングドラゴン杯”にも参加したが、結果は準決勝敗退。 |
| しかし、この大会後をきっかけに前々から意気投合した神田裕之と共にヒール転向する。 |
| 2000年1月2日にメキシコで行われたIWRGインターコンティネンタル・タッグ初代王座決定トーナメントに、神田裕之と出場。 |
| 見事にトーナメントを制覇し、初代IWRGタッグ王座を獲得した。 |
| その後もタッグ戦での実力を存分に発揮し、注目されるようになる。 |
| 2000年3月5日、IWRGタッグ王座戦に敗れ王座陥落するも、裁定に納得できずに神戸大会をボイコットする。 |
| その直後にメキシコに渡る。 |
| 1か月後にメキシコから帰国し、突如福岡大会に現れる。 |
| その大会で無理矢理試合に参戦することを要求。 |
| その試合後にCRAZY-MAXに襲撃されてしまうが、当時闘龍門にフリーで参戦していた望月成晃に救出される。 |
| これがきっかけになり4月25日に望月成晃、神田裕之とM2Kを結成する。 |
| また、タッグ戦線だけに留まらず英連邦ジュニアヘビー級王座やNWAウェルター級王座などのシングル王座も積極的に挑戦し、NWAウェルター級王座の獲得は成功した。 |
| 2002年2月24日に不完全燃焼がユニットの銘だったM2Kに、突如リーダーの望月成晃が完全決着推進のスローガンを掲げ、意見の違いから2人の間に遺恨が生まれる。 |
| そして「闘龍門に望月は2人もいらない」という理由から、自分と同姓である望月成晃と、「モチヅキ・コントラ・モチヅキ」という互いの姓字を賭けたコントラ・マッチを行い、敗退。 |
| 試合前の条件により、リングネームを出身地にちなんだ現在の横須賀享に改めた。 |
| 望月成晃が負けた場合は、江東成晃(えとうまさあき)になる予定だった(望月成晃は江東区出身)。 |
| その後、神田裕之の引退と一緒にM2Kは封印され、Do FIXERに籍を置くこととなった。 |
| 神田の次はK-ness.とタッグを組むようになり、2人のタッグをファンは「クネスカ」と呼ぶようになる。 |
| 2004年6月20日に悪冠一色を追放され、襲撃される望月成晃を突如助ける。 |
| そしてDo FIXERを卒業という形で離脱し、再び望月成晃とタッグを結成。 |
| 同じくDo FIXERを卒業したK-ness.、無所属だった新井健一郎、土井成樹(当時:セカンド土井)とFinalM2Kを結成する。 |
| 2004年8月28日、CIMAの持つオープン・ザ・ドリームゲート王座の挑戦権を賭けた試合“キーハンティング4Way戦”に出場し勝利。 |
| ドリームゲートの挑戦権を獲得する(この時の対戦相手はエル・ヌメロ・ウノ優勝者のドラゴン・キッド、当時DRAGONGATE最重量の大鷲透、大本命のミラノ・コレクションA.T.だったため、享にとっては圧倒的に不利が予想されていたが、その予想を見事に覆した)。 |
| 9月17日にCIMAとオープン・ザ・ドリームゲート王座戦を行うが結果は敗退。 |
| 2005年の年末に行われたキング・オブ・ゲートに出場するも、決勝戦で斎藤了に敗れ準優勝となった。 |
| 2006年4月23日に斎藤了の保持するオープン・ザ・ドリームゲートに挑み、勝利。 |
| 第5代王者となった。 |
| 2006年8月11日、数々の功績が認められ望月成晃からFinalM2Kリーダーの座を譲り受けるも、2007年1月FinalM2Kは解散。 |
| 2007年3月30日、ROHに参戦し、ドラゴン・キッドと対戦。 |
| 2007年12月23日、肉体改造に成功しウェイトが軽くなったため、吉野正人の持つオープン・ザ・ブレイブゲート王座に挑戦するが30分近くの熱戦の末、敗退。 |
| 2008年5月5日、愛知県体育館で斎藤了と共に新井健一郎&岩佐拓(通称:新岩)の持つオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座戦に勝利し、王座を獲得。 |
| 2008年11月16日、大阪府立体育会館で鷹木信悟の保持するオープン・ザ・ドリームゲートに挑むも、敗北。 |
| Typhoonの解散後は連敗が続き、そんな横須賀の姿を見た斎藤は、再びリョウスカの結成を提案。 |
| 横須賀もその提案を受け、2009年2月15日の博多スターレーン大会で、REAL HAZARDのYAMATO&サイバー・コングが保持するオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座に挑戦。 |
| しかし、試合中に斎藤の裏切りに遭い敗北、斎藤はREAL HAZARDに加入する。 |
| 試合後もREAL HAZARDのメンバーから暴行を受けるが、そこにREAL HAZARDの前リーダーGammaが登場し、横須賀を救出し、新タッグの結成を表明。 |
| 3月1日の大阪府立体育会館第2競技場大会でGammaとの新タッグでオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座に再び挑戦し、これに勝利。 |
| 第6代王者となった。 |
| 試合後、年末から消息を絶っていたCIMAが登場し、横須賀享・Gamma・CIMA、そしてこの日REAL HAZARDを脱退したKAGETORAの4人により、新ユニットWARRIORS-5の結成を電撃発表した。 |
| 4月26日の博多スターレーン大会にて、斎藤了とシングルマッチで対戦するが敗北。 |
| しかし、6月11日後楽園ホールでDr.マッスルに扮して斎藤を挑発し、7月10日に再戦し、勝利した。 |
| 10月25日、博多スターレーン大会にて、土井成樹の持つオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦し、土井のマスキュラーボムに対する返し技を使用するなどで、土井を追い詰めるものの、敗北。 |
| 試合後、土井に挑戦を表明したB×Bハルクの発言に反発するが、CIMAとGammaに制止され、2人に対して不信感を抱き、ユニット内で孤立する。 |
| 11月に入り、不穏な動きが見られるようになり、同時期に登場したDr.マッスルの正体と噂されるようになる。 |
| 12月3日の後楽園ホール大会でWARRIORS-5を離脱し、REAL HAZARDに加入した。 |
| (その後離脱、クネスカとしてK-ness.と活動)。 |