13991
14149
161006
%E6%A9%98%E5%A5%88%E8%89%AF%E9%BA%BB%E5%91%82
%E6%A9%98%E5%A5%88%E8%89%AF%E9%BA%BB%E5%91%82
%E6%A9%98%E5%A5%88%E8%89%AF%E9%BA%BB%E5%91%82
%E6%A9%98%E5%A5%88%E8%89%AF%E9%BA%BB%E5%91%82
%E6%A9%98%E5%A5%88%E8%89%AF%E9%BA%BB%E5%91%82
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 橘奈良麻呂の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
藤原仲麻呂
対立
奈良時代の公卿。名は仲麿または仲丸とも記される。淳仁朝以降は改姓・改名し藤原恵美押勝(ふじわらえみのおしかつ)。藤原南家の祖である左大臣・藤原武智... |
|
|
橘諸兄
父
奈良時代の政治家・元皇族。敏達天皇の後裔で大宰帥美努王の子。元の名前を葛城王(葛木王・かつらぎのおおきみ)。正一位・左大臣。井出左大臣または西院大... |
|
|
聖武天皇
対立
聖武天皇(しょうむてんのう、大宝元年(701年)-天平勝宝8年5月2日(756年6月4日)、在位:神亀元年2月4日(724年3月3日)-天平勝宝元年7月2日(749年8月19... |
|
|
左大臣
朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅(たいふ)」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」... |
|
|
長屋王
奈良時代の皇族、公卿。正二位左大臣。皇親勢力の巨頭として政界の重鎮となったが、対立する藤原氏の陰謀といわれる長屋王の変で自害した。 |
|
|
道鏡
奈良時代の法相宗の僧。物部氏の一族の弓削氏の出自で、弓削櫛麻呂の子。俗姓が弓削連であることから、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)とも呼ばれる。兄弟に弓... |
|
|
藤原不比等
親 母
飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿。藤原鎌足の次男。文献によっては史(ふひと)と記されている場合もある。「興福寺縁起」、「大鏡」、「公卿補任」... |
|
|
孝謙天皇
対立
日本の第46代天皇(在位:天平勝宝元年7月2日(749年8月19日)-天平宝字2年8月1日(758年9月7日))。父は聖武天皇、母は藤原氏出身で史上初めて人臣から皇后... |
|
|
大伴家持
大伴家持(おおとものやかもち、養老2年(718年)頃-延暦4年8月28日(785年10月5日))は奈良時代の貴族・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言... |
|
|
藤原広嗣
奈良時代の廷臣。藤原式家の祖、参議・藤原宇合の長男。母は石上麻呂(一説には蘇我倉山田石川麻呂)の女。官位は従五位下・大宰少弐。 |
|
|
光明皇后
対立
奈良時代の人。聖武天皇の皇后。藤原不比等と県犬養三千代(橘三千代)の娘であり、聖武天皇の母である藤原宮子は異母姉。名は安宿媛(あすかべひめ)。光明... |
|
|
淳仁天皇
日本の第47代天皇(在位:天平宝字2年8月1日(758年9月7日)-天平宝字8年10月9日(764年11月6日))。古文書では廃帝(はいたい)または淡路廃帝(あわじはい... |
|
|
黄文王
奈良時代の皇族。左大臣・長屋王の子。母は藤原不比等の娘長娥子。官位は従四位上・散位頭。 |
|
|
桓武天皇
日本の第50代天皇(在位:天応元年4月3日(781年4月30日)-延暦25年3月17日(806年4月9日))。 |
|
|
橘嘉智子
第52代嵯峨天皇皇后。橘奈良麻呂の孫、贈太政大臣・橘清友の娘。母は田口家主の娘で、贈正一位・田口三千媛。兄弟に右大臣・橘氏公がいる。別名・檀林皇后(... |
|
|
安宿王
奈良時代の貴族。天武天皇の後裔で、左大臣・長屋王の五男。もと皇族であったが臣籍降下、氏姓は高階真人。官位は正四位下・内匠頭。 |
|
|
吉備真備
日本の奈良時代の学者、政治家(公卿)。正二位・勲二等・右大臣。下道真備(しもつみちのまきび)、吉備下道真備(きびのしもつみちのまきび)などとも呼ば... |
|
|
藤原永手
奈良時代の貴族。藤原北家の祖・参議藤原房前の次男。官位は正一位・左大臣、贈太政大臣。長岡大臣と称する。 |
|
|
嵯峨天皇
日本の第52代天皇(在位:大同4年4月1日(809年5月8日)-弘仁14年4月16日(823年5月29日))。諱は神野(かみの)。 |
|
|
プロフィール
橘奈良麻呂(たちばなのならまろ、養老7年(721年)?-天平宝字元年(757年)7月)は、奈良時代の貴族。 左大臣橘諸兄の子。正四位下・参議。贈正一位・太政大臣。2代目橘 氏長者。
経歴
| 父・諸兄は聖武天皇の信任を得て政権を担い、天平15年(743年)には従一位左大臣にまで昇進している。 |
| 天平12年(740年)、奈良麻呂は従五位下に叙され、同年中に従五位上に昇進。 |
| 天平13年(741年)、大学頭になる。 |
| 天平15年(743年)、正五位上。 |
| 天平17年(745年)、摂津大夫。 |
| 天平18年(746年)、民部大輔になる。 |
| 天平19年(747年)、従四位下。 |
| 天平勝宝元年(749年)、聖武天皇が譲位して阿倍内親王が即位すると(孝謙天皇)、光明皇后の信任厚く、また孝謙天皇に寵愛される藤原仲麻呂が急速に台頭して、諸兄と対立するようになった。 |
| 同年、奈良麻呂は従四位上にのぼり侍従、参議となる。 |
| 天平勝宝4年(752年)、但馬因幡按察使となる。 |
| 天平勝宝6年(754年)、正四位下。 |
| 天平勝宝7歳(755年)、諸兄が酒宴の席で朝廷を誹謗したとの密告があり、翌年諸兄は致仕し、757年失意のうちに死去した。 |
| 天平勝宝8歳(756年)、聖武太上天皇が崩御し、遺言により道祖王が立太子された。 |
| だが天平宝字元年(757年)3月、孝謙天皇は道祖王に不行跡があるとして皇太子を解き、5月、仲麻呂が推す大炊王(淳仁天皇)が立太子される。 |
| 同年6月、奈良麻呂は右大弁になる。 |
| 奈良麻呂は仲麻呂の専横に強い不満を持ち、大伴古麻呂、小野東人らと語らい仲麻呂の排除を画策した。 |
| 奈良麻呂は会合を重ね密かに同志を募ったが、そこから密謀が漏れてしまう。 |
| 山背王が仲麻呂に「奈良麻呂らが兵器を準備している」と密告した。 |
| 7月2日(7月26日)、上道斐太都が小野東人から奈良麻呂らの謀反への参加を呼びかけられたと密告があり、東人らが捕らえられ訊問された。 |
| 東人は訊杖による拷問を受けて全てを白状した。 |
| 計画は、奈良麻呂らが兵を起こして仲麻呂を殺して皇太子を退け、次いで駅鈴と玉璽を奪い、右大臣・藤原豊成を奉じて天下に号令し、天皇を廃して塩焼王、道祖王、安宿王、黄文王の中から天皇を推戴するというものであった。 |
| 東人の供述に基づき翌3日(27日)、奈良麻呂、道祖王、黄文王、古麻呂、多治比犢養(たじひのこうしかい)、賀茂角足(かものつのたり)等、名前を挙げられた人々は一斉に逮捕された。 |
| 奈良麻呂は中納言・藤原永手の訊問に対して「政治が無道だから兵を起こして、その上で陳情しようとした」と答えた。 |
| 永手が「何ゆえ政治が無道なのか」と問うと、奈良麻呂は「東大寺などを造り人民が辛苦している」と答えた。 |
| 永手が「東大寺はお前の父の時代に造ったものだ。 |
| お前の言うべきことではない」と問い詰めると奈良麻呂は答えに窮した。 |
| 佐伯全成の自白によると、奈良麻呂が謀反を考え始めたのは天平17年(745年)に聖武天皇が難波に行幸したときのことで、その時に初めて謀反に誘われたと答えた。 |
| 訊問後、佐伯全成は自殺した。 |
| 孝謙天皇は逮捕された人々を本来は死罪に処すところ、死一等を減じて流罪に処すると詔した。 |
| しかし、政治の粛正を図りたい仲麻呂は断固として手を緩めなかった。 |
| 翌日、謀反に関わった道祖王、黄文王、古麻呂、犢養らに対し、永手、百済王敬福、船王らの監督のもと、全身を訊杖で何度も打つ拷問が行われた(先に拷問された東人も含め)。 |
| これらは長時間にわたる拷問の末、次々と獄死した。 |
| 首謀者の奈良麻呂については『続日本紀』に記録が残っていないが、同様に獄死したと思われる。 |
| 後に奈良麻呂の孫の嘉智子が嵯峨天皇の皇后(檀林皇后)となったために記録から消されたと考えられている(橘奈良麻呂の乱)。 |
| ただし、事件以後の『続日本紀』の記事には、奈良麻呂の名前がいくつか残っているため、死亡記事を削除したという説には疑問も多い。 |
| 皮肉なことに、奈良麻呂の死後に生まれた息子・清友の娘・嘉智子が嵯峨天皇の妃となって後の仁明天皇を生んだことから、承和14年(847年)に政敵・仲麻呂が後に謀反を起こして失うこととなった太政大臣の位を贈られている。 |
系譜
| 母:藤原多比能-藤原不比等の娘。 |
| 妻:大原明女-大原麻呂の娘?。 |
| 長男:橘安麻呂(739-821)。 |
| 妻:大伴古慈悲の娘。 |
| 次男:橘島田麻呂(750-?)。 |
| 妻:藤原宇合の娘?『橘氏系図』(『続群書類従』巻第164所収)で載せるものがある。 |
| 三男:橘入居(?-800)。 |
| 妻:粟田人上の娘。 |
| 四男:橘清友(758-789)。 |
| 五男:橘清野。 |
参考文献
| 前川明久「橘奈良麻呂と弥勒会」、続日本紀研究7-7、1960年。 |
| 福原栄太郎「橘奈良麻呂の変における答本忠節をめぐって」、続日本紀研究200、1978年。 |
| 木本好信「橘奈良麻呂の乱」、別冊歴史読本15-16、1990年。 |
| 宮川久「獄令告密条と橘奈良麻呂の変」、立教日本史論集5、1992年。 |
| 木本好信「橘奈良麻呂の変と秦氏」、奈良時代の人びとと政争、おうふう、2003年。 |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
橘奈良麻呂さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|