| 2人はNSCに入学するため、18歳で地元・岡山から大阪へ。 |
| NSCの面接試験の際に、河本は笑いに対する想いを熱く語って合格したが、井上は指されずに何も発言しなかったにもかかわらず受かってしまった(陣内智則いわく、NSCは黙って話を聞いていれば合格できるらしい)。 |
| 1994年4月結成。 |
| NSC在学中は河本準一・井上聡・山下正人のトリオで「次長課長社長」だったが、わずか1年ほどで"社長"の山下が「岡山に帰ります」という置き手紙を残していなくなってしまい、コンビとなった。 |
| 実際は置手紙なんて残さず消えた。 |
| 結成当初は3人で一緒に住んでいた。 |
| しかし、3か月で家賃が払えなくなり、追い出されたこともあった。 |
| 社長(山下)は現在、東京の新宿(本当は昭島である)の散髪屋「Ciel」で美容師をしている(実際に「カミングダウト」2005年3月22日放送分の中で判明。 |
| 同年12月に放送された「はなまるマーケット」では社長のVTRインタビュー。 |
| そのため、2人は山下に髪を切ってもらいたいのだが、料金はきちんと取ると言われているので頼んでいない。 |
| しかし、今でも交流は続いており、「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに初登場したときには電報を送ってくれたり、ときどきルミネtheよしもとにネタを見に来るなど、誰よりも次長課長を応援している。 |
| NSCの同期には同事務所の野性爆弾、ブラックマヨネーズ、徳井義実(チュートリアル)、増田裕之(ルート33)、現在は俳優の三浦誠己、放送作家の桝本壮志がいる。 |
| また吉本外に移籍した者では藤井宏和(飛石連休)、くわばたりえ(クワバタオハラ)、イーグル溝神・サンキュー安富+・ブー藤原・タイガー福田(超新塾)、諸岡立身らがいる。 |
| この世代は「花の13期生」とも呼ばれる。 |
| ほぼ同期にはシャンプーハット、タカアンドトシ、ガレッジセール、サバンナがいる。 |
| 半年後輩にはフットボールアワーが、1年先輩にはロンドンブーツ1号2号や山口智充、ペナルティなどがいる。 |
| 年齢が上である品川庄司(品川は3歳上で庄司は同学年)は1年後輩にあたる(ちなみに品川は年下の2人を「さん」付けで呼んでいる)。 |
| 河本は19歳のとき、ホストとして働いたことがある。 |
| たびたび披露しているタンバリン芸は、このホスト時代に覚えたもの。 |
| また、働いていたホストクラブでNo.3だったと言っているが、その店にはホストが4人しかいなかった。 |
| 成人式のときに2人で久しぶりに地元の岡山へ帰ったが、汚ならしい私服で行ったので式場に入る許可が得られず、式典に参加できなかった(当時は貧乏だったので、スーツを購入するお金がなかったから)。 |
| 1995年、心斎橋筋2丁目劇場にてデビュー。 |
| 2丁目劇場閉鎖後は、1999年にオープンしたbaseよしもとの主力メンバーとして活躍。 |
| 単独ライブは毎回タイトルに東京23区の区名がつけられ、全23回開催された。 |
| このライブシリーズにはフットボールアワー、ストリーク、レギュラー(7区目-)らが毎回出演していた。 |
| レギュラーの「気絶」ネタは次長課長が考えたものであり、松本康太は井上の家に半年間、河本の家に1年間居候していたことがある。 |
| 河本が椎間板ヘルニアで入院した際、井上は師弟関係にあるケンドーコバヤシとコンビを組み、一緒に学園祭などの仕事を行っていた。 |
| ツッコミなしでボケにボケを重ねる形のネタを披露し、非常にウケて好評だったらしい。 |
| しかし、河本が退院した直後に行われた次長課長単独の復帰ライブはだだスベり。 |
| 劇場の三階にある本屋のレジの「チーン」という音が聞こえるほどのスベりようで、劇場の伝説になっている。 |
| チャイルドマシーン(解散)が東京に行く際、カラオケで号泣しながらシャ乱Qの「上京物語」を歌って彼らを送った。 |
| 2001年に一度だけ、第1回M-1グランプリに出場したことがある。 |
| しかし、2回戦でコントを披露して敗退となった。 |
| 2002年9月23日、東京23区の最終ライブ「中央次課長」をもって、本人達の意向によりbaseよしもとを卒業。 |
| 卒業ライブでは、407人というbaseよしもと(座席数233席)の観客動員記録を作る(この記録は未だに破られていない)。 |