| 中学は新潟市立白新中学校に通っており、当時同校に隣接していた新潟明訓高等学校への進学を希望していたものの、家庭の経済状況を勘案して高校進学を断念した。 |
| そうした思いから、のちに『ドカベン』で「明訓高校」を舞台にした。 |
| また、不知火が所属する「白新高校」の名称も通っていた中学校から取っている。 |
| なお、中学も家業の酒屋の手伝いのため欠席も多く、卒業が危ぶまれた事もあったという。 |
| 新潟市古町通には、水島の功績を顕彰し、漫画の登場人物の銅像を並べた「水島新司漫画ストリート」がある。 |
| しばしば岩鬼の銅像の咥えている葉っぱが盗難に遭い、問題となっている。 |
| 中学卒業後は水産問屋に就職し、平均睡眠時間4時間の激務の中、漫画を執筆し「日の丸文庫」へ投稿して入選する。 |
| その結果「漫画家志望」のため大阪へ行き、「日の丸文庫」社長宅に住み込んで社員として働く。 |
| またも短い睡眠時間の激務の中、並行して漫画を執筆した。 |
| 水島の初期の作品に「貧乏な主人公の根性物」が多いのは、この本人の境遇による。 |
| また、水島が関西のチームを応援したり、作品中で関西弁を話す人物が精彩を放つことが多いのは、「日の丸文庫」時代の大阪での修行経験が反映している。 |
| 上京する直前の大阪時代には、阪和線南田辺駅前商店街にあった音楽喫茶店に入り浸りになっていたらしい。 |
| 大阪時代に、「スポーツ根性漫画は描かない」と発言したのに反してスポ根漫画を描いたことに対して、小学生から怒りの電話を受けたらしい。 |
| 1970年代は東京都小金井市の音楽喫茶「白鳥」に通い、執筆や構想を練るなどに費やしていた。 |
| 『野球狂の詩』のヒロイン・水原勇気は、その名を決めるのに思案し、喫茶店マスターの娘「ユウキ」という名が気に入りもらった。 |
| 「あぶさん」と「ボッツ」という2つの草野球チームを主宰。 |
| 漫画作品の執筆のかたわら年間60試合前後に出場し続け、投手として200勝を達成した時には自費で名球会入り記念パーティーを催した。 |
| 草野球チームが縁で田中寅彦ら将棋のプロ棋士と知人になり、将棋漫画『父ちゃんの王将』を描いたり、作中に将棋棋士から転向した野球選手や、将棋棋士の名前そのまま、もしくはもじった名前の野球選手を登場させたりしている。 |
| テレビ番組でのインタビューにて「最高の打者は誰か?」という質問に「山田太郎」(理由は甲子園大会通算打率7割5分を誇るから)と答えている。 |
| 選手個人としては「エンターテイナーとしてパ・リーグを大いに盛り上げてくれる存在」として、「元北海道日本ハムのSHINJO」選手の大ファンであるという。 |
| メジャーリーグを嫌っており、MLB入りしたイチローや松井秀喜らを非難している。 |
| 雑誌『月刊ホークス』内で2002年まで水島が連載を担当していたコラムでは、当時ダイエーに在籍していた井口資仁がメジャー移籍を球団に希望したニュースが流れた際、「何故日本で、日本のファンの前でプレーしてくれないのか」と疑問を呈し、「メジャーの選手が凄い凄いと言っても、漫画の世界ではそれ以上のものが描ける」と表現している。 |
| とは言え、イチローはその後も『あぶさん』に描かれた。 |
| 要因としては2004年、彼が安打の世界記録を樹立したことが大きいとされる。 |
| また最近、松井の5打席連続敬遠が今まで見てきた甲子園の試合の中で印象深いと語っている。 |
| MLB嫌いではあるものの、福岡ソフトバンクホークスオーナー・孫正義が考案する「世界一クラブ決定戦」の推進派。 |
| 理由としては、MLBの優勝決定戦が「ワールドシリーズ」と呼ばれることに不満を持っている為と言われる(「ワールド」の意味を理解しているのか、とのこと)。 |
| 今までWBC、オリンピックの野球等の国際試合への言及、国際試合の執筆も無い。 |
| 但し、WBC日本代表合宿については、『あぶさん』の中で景浦景虎が代表候補に選出されて参加した様子が描かれている。 |
| 長男の水島新太郎はカルビープロ野球チップスカードの収集家としても有名で、水島はカードを参考にしながら登場人物の打撃フォームや投球フォームを描いたこともあるという。 |
| 『ドカベン』の里中智の投球フォームのモデルが阪急ブレーブス・山田久志であることは有名である。 |
| 鈴木則文監督の実写映画『ドカベン』(1977年)に、自ら明訓高校監督の徳川役で出演。 |
| 殿馬役の川谷拓三らを相手に楽しそうにノックする姿を観る事ができる。 |
| いわゆる「空白の一日事件」で世間の大きな非難を浴び、おちおち外も歩けなくなった江川卓を一時かくまっていたことがあった。 |
| 本宮ひろ志の『実録たかされ』によると、江川3年時の作新学院が夏の甲子園2回戦で銚子商に敗れた夜に、作新学院の宿舎を訪れ、選手の述懐によると、「水島新司さんが来て酒飲んじゃって、どんちゃん騒ぎをしていた」というような事をしていたようである。 |
| 飛行機が大の苦手で、よほどのことがない限り陸路で移動する。 |
| 大の野球好きであることはつとに有名だが、若手時代、身内で野球チームを作ろうとしたが人数が足りず、たまたまアシスタント志望でやってきた本宮ひろ志に対して、作品を見る前に「お前、野球できるか?」と尋ね、「できます」と言われたために即採用したという逸話も残っている。 |
| 1986年6月1日、故郷・新潟の南海対西武戦で始球式を務めた際、通常は一球投げた時点で終わる所を、一打者に投げ終わるまで投げた事がある。 |
| ただしこの際に場内アナウンスで「これは真剣勝負です」と洒落で流したために、アウトカウントを勘違いするというハプニングがこの直後に起きている。 |
| また、通常空振りで終えるはずの始球式で、過去に二度打ち返されヒットとされたことがある。 |
| 前述の南海対西武戦と、日本ハム対ダイエー戦(2003年9月4日)である。 |
| 一度目は西武の石毛宏典に、二度目はダイエーの柴原洋に打ち返されヒットとなった。 |
| 打たれた水島はグローブを投げつけるリアクションを取り、球場の観客を沸かせた。 |
| 2006年5月9日に設立が発表された、独立リーグ「北信越ベースボールチャレンジリーグ(現:ベースボール・チャレンジ・リーグ)」のアドバイザーに就任している。 |
| 2008年、プロ野球マスターズリーグの福岡ドンタクズに入団。 |
| できたら遊撃手として出場したい」とコメントした。 |