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プロフィール
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水野錬太郎(みずのれんたろう、慶応4年1月10日(1868年2月3日)-昭和24年(1949年)11月25日)は日本の内務官僚・政治家。勲等は勲一等。内務大臣、文部大臣などの要職を歴任した。
来歴
| 江戸詰の秋田藩士水野立三郎の子として1868年(慶應4年)1月10日、江戸浅草鳥越町の秋田藩邸で生まれた。 |
| 立三郎は秋田の出でなく埼玉の出で、江戸で取り立てられた武士である。 |
| 立三郎は、秋田藩主佐竹義堯の弟佐竹義諶(よしつま)に仕えた。 |
| 佐竹義諶は秋田藩の支藩岩崎藩主で、1869年(明治2年)義諶(1870年死去)、13歳の佐竹義理(よしただ)が継いだ。 |
| すなわち、立三郎は、戊辰戦争で官軍についた秋田藩のために妻、生後間もない錬太郎、錬太郎の2人の姉をつれて、現在の秋田県湯沢市岩崎に住み、奥羽同盟に勝利し、佐竹義理は、2万石の岩崎藩主になり、立三郎は公議人になる。 |
| 1871年(明治4年)廃藩置県により、1874年(明治7年)一家は東京に戻る。 |
| 1882年(明治15年)頃、錬太郎は両親を失う。 |
| 神田の共立学校を経て、大学予備門(のちの一髙)に入学、帝国大学法科大学(現在の東京大学法学部)を明治25年に卒業、穂積陳重教授の推薦で渋沢栄一の第一銀行に就職するが、明治26年梅謙次郎教授の勧誘により農商務省鉱山局に入る。 |
| 明治27年、当時、内務省土木局長の都筑馨六(1861-1923)(貴族院議員、男爵、枢密顧問官)から招かれ、内務省に入る。 |
| 社寺局長、地方局長などを歴任、内務の大御所と言われる。 |
| 中でも有名なのは、1899年、文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約(ベルヌ条約)加盟にあわせ、水野錬太郎がベルリン会議に出席、日本は条約に加盟する事となり、水野が起草した著作権法(明治32年3月4日法律第39号)が制定された。 |
| 原敬の知遇を得て、政友会の党員になり、貴族院議員になる。 |
| 後藤新平からの慫慂で寺内正毅内閣の内務大臣。 |
| 帝大(東京帝大)卒の学士ではじめての内務大臣であった。 |
| 加藤友三郎内閣、清浦奎吾内閣の内務大臣。 |
| 寺内内閣の内相当時の大正7年、米騒動があった。 |
| 大正8年、原敬内閣の時、朝鮮総督府の政務総監になり、文治政治を行う。 |
| 加藤内閣は、加藤友三郎首相が8月26日に死去し、9月1日に関東大震災があったため、後任の内相(後藤新平)が決まるまで(9月2日)、陣頭指揮をした。 |
| 1827年(昭和2年)、田中義一内閣で、高橋是清蔵相が辞任した後、三土忠造文相が蔵相に転任、そのあと水野錬太郎が文部大臣についた。 |
| 1828年、田中首相は、久原房之助を入閣させようとし、水野錬太郎は反対し自分は辞任するとした。 |
| このことが世間に知られた。 |
| 田中義一は、辞表を撤回せよ、といい「昭和天皇へは、水野を留任させた、と伝えた。 |
| 」と水野に伝え、水野は、了承、辞表を撤回した。 |
| 水野は、昭和天皇に拝謁し、「総理に対し辞表をお下げ渡しに相成りたること誠に恐懼に堪えざる」旨を申し上げた。 |
| 天皇は、国務の為に尽瘁せよ、との言葉を贈った。 |
| しかし、新聞は、総理は水野の勅諚降下を奏請し、水野は勅諚降下によりて留任した。 |
| 天皇が留任せよ、といわれたから辞任を撤回した、つまり「天皇を政治利用した」と非難した。 |
| これにより、結局、水野は辞任した。 |
| これを優諚事件という。 |
| このうち、政友会の総裁に擬せられたこともあったが、大臣になることはなかった。 |
| しかし、大日本音楽著作権協会会長、大日本興亜同盟総裁など多くの役職についた。 |
| 敗戦後、水野は、昭和20年12月、A級戦犯の容疑者とされたが、起訴されず、昭和22年9月1日、監視が解かれた。 |
| 水野は病臥中であったため、収監されなかった。 |
| 1949年(昭和24年)11月25日死去した。 |
業績
| 日本最初の著作権法(いわゆる旧著作権法)を起草するなど、著作権の保護を推進した人物として著名。 |
栄典
| 1920年12月25日-勲一等旭日大綬章受章。 |
| 1938年4月17日-勲一等旭日桐花大綬章受章。 |
参考文献
| 藤本頼生「内務官僚水野錬太郎の神社観と神祇行政官僚の系譜」『神道と社会事業の近代史』弘文堂、2009年、所収。 |
| 大家重夫「水野錬太郎博士と旧著作権法」『久留米大学法学』第58号、175頁-244頁、2007年12月。 |
| 大家重夫「著作権法を確立した人々第二版」『旧著作権法を立案した水野錬太郎』成文堂、2004年3月、97頁-135頁所収。 |
| 尚友倶楽部・西尾林太郎編『水野錬太郎回顧録・関係文書』山川出版社、1999年1月。 |
| 水野錬太郎『他山之石』清水書店、1909年。 |
| 松波仁次郎『水野博士古希記念論策と随筆』水野錬太郎先生古希祝賀会事務所、1937年。 |
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1828年
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田中首相は、久原房之助を入閣させようとし、... |
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水野 錬太郎(みずの れんたろう、慶応4年1月... |
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