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プロフィール
- 永源遙とは
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永源遙(えいげんはるか、1946年1月11日-)は、日本の元プロレスラー、元大相撲力士(立浪部屋所属)。石川県鹿島郡鹿西町(現在の中能登町)出身。プロレスラー時代は多くの団体を渡り歩き、現在はプロレスリング・ノアの相談役。 百田光雄とのシングルマッチは「宿命の対決」とも言われ、100回を超える回数を戦っている。現役後年は唾飛ばしで名を馳せ、対戦相手も永源を観客に向け、喉元を殴打させることで発せられる永源の唾を浴びる観客(それを除ける傘、新聞紙を持参する観客)が多くなった。
来歴
| 大相撲の立浪部屋に入門し、永源の四股名で1961年7月場所に15歳で初土俵を踏んだ。 |
| 1963年9月場所には序二段で優勝したが、その後伸び悩み1965年5月場所限りで廃業した。 |
| 最高位は、幕下71枚目。 |
| 大相撲廃業後、1966年5月に東京プロレスに入団してプロレスラーに転身し、永源勝のリングネームでデビュー。 |
| 翌年の1967年に東京プロレスが崩壊した後は日本プロレスに移籍した。 |
| 1973年にアメリカで武者修業を行ったが、同年帰国後に新日本プロレスに移籍した。 |
| 前座・中堅の要として活躍、1980年には、ストロング小林とのコンビで、国際プロレスからIWA世界タッグ選手権を奪取。 |
| また、大会場で組まれていたドン荒川とのシングルマッチは、後の百田光雄とのシングルマッチのプロローグで、このシングルマッチはファンだけでなく、社長だったアントニオ猪木自身も楽しみな試合だったと語っている。 |
| 1984年にジャパンプロレス結成の際に同団体へ移籍。 |
| ジャパンプロレス消滅後の1987年には全日本プロレスへ移籍した(ジャイアント馬場は、永源のプロモーター・関係者への顔の広さや営業能力を高く買い、自ら手元に置く決断をしたという)。 |
| 全日本プロレスでは、渕正信、大熊元司らと「悪役商会」というチームを組み、ジャイアント馬場、ラッシャー木村らの「ファミリー軍団」と前座試合(通称「ファミ悪決戦」)を行っていた。 |
| なおこの前座試合は、数多くのお約束ムーブが織り込まれており、全日本における名物試合の一つとなっていた。 |
| 永源は、ロープサイドの攻防の最中にリングからツバを観客席に向かって吐くことがお約束のムーブとなっており、観客もそれを見越して新聞などをあらかじめ持参してガードしていた。 |
| 1990年に、天龍源一郎らを引き抜いて旗揚げしたSWSのメインスポンサーだったメガネスーパーから、タニマチとの関係や営業能力を買われて億単位の支度金を用意されて参加を要請されたが、断っている。 |
| 永源は現役に拘っており、SWSに移籍したらさっさと引退させられてフロント専任になるであろうことが容易に想像できたからである。 |
| 2000年、全日本大量離脱→プロレスリング・ノア旗揚げと共に同団体へ移籍。 |
| この際、当時の全日本所属選手や取締役、さらには支援者のほとんどがノアに追随した背景には永源の力が大きかったといわれる(当時、アントニオ猪木もインタビューで永源がノア側に就いたことを知り、ノアの成功を予想するようなコメントを出していた)。 |
| ノアでは取締役営業部長の役職で、主にマッチメイクを担当する重要なポストを担いつつリングにも上がり、百田光雄との第一試合シングルマッチはNOAHの名物となっていた。 |
| 実況アナが「後世に残したい日本の伝統芸能」と発するのもお決まりとなっているほどで、二人のシングルマッチは100戦を超えたが、大幅に永源が負け越している。 |
| 全日本時代からお馴染みだった客席へのツバはこの時もお約束だった。 |
| 2005年1月、神戸ワールド記念ホール大会メインイベントにて丸藤正道の持つ、グローバル・ハードコア・クラウンに挑戦し、惜しくも敗れる。 |
| これが永源にとっての最後のタイトルマッチとなった。 |
| 2006年1月、還暦記念試合が行われ、その後のセレモニーで赤い帽子とちゃんちゃんこに身を包んだ永源は自らの口から3月末に現役を引退することを発表した。 |
| 2006年3月26日、自身の出身地である旧鹿西町の、スポーツセンターろくせい大会で現役引退試合を実施。 |
| 試合は永源が井上雅央からの首固めで負け。 |
| 2006年4月28日、引退記念パーティが帝国ホテルにて行われ、各界の著名人ら800人が出席して催され、プロレス関係者以外にも梅宮辰夫、渡哲也、西城秀樹、せんだみつお、栃東、魁皇、千代大海をはじめとした各界の有名人が参加し、西城秀樹はミニライブまで披露した。 |
| 現役引退後もプロレスリング・ノアの常務取締役として営業面を統括する要職にあったが、2009年6月に三沢光晴が試合中の事故で亡くなったことに伴い、同年7月に開かれた同社の臨時株主総会で取締役を辞任し相談役に退いた。 |
| 2010年からはGHC管理委員に就任するなど、現在もノアの要職にある。 |
エピソード
| さまざまな団体を渡り歩いて培った人脈と情報網はプロレス界一。 |
| 地方のプロモーターとの付き合いもプロレス界随一とも言われるほど深く、巡業中、各会場に必ず永源に会いに来る人がいる。 |
| アントニオ猪木も「あいつは世渡りがうまい」と舌を巻くほどである。 |
| 永源の結婚式仲人を務めたのは同郷の政治家の森喜朗であり、猪木が政界に出馬する際には、森喜朗や福田赳夫元総理などを猪木に紹介している。 |
| そのほかにも、人脈の広さを物語るエピソードには事欠かない。 |
| 正月にはお世話になった方々に挨拶をするため、年賀状だけではなく電話で挨拶をし、中元・歳暮は300件ほど送っているが「身近な人を大切にするのは当たり前」とインタビューで述べている。 |
| また、仲田龍によるとノア旗揚げに際して会社の備品やパソコン、合宿所で必要な日用品など、買ったものは一つも無いという。 |
| 全て顔が広い永源が、知り合いの会社やスポンサーからタダで貰ってきたものであり、それも全て新品であったという。 |
| 選手としてはコミカルなスタイルを貫いた永源だが、彼は新日本などで実績を積んだ経験があり、「猪木的」なシュート技術もきちんと習得しているといわれる(アントニオ猪木の異種格闘技戦のセコンドにはいつもいた)。 |
得意技
| その他、リック・フレアーよろしくコーナーに昇りダイビング攻撃をしようとするが必ずデッドリードライブで投げられるというお約束がある。 |
入場曲
| 必殺仕事人のテーマ(悪役商会の入場曲でもあった)。 |
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1946年
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永源 遙(えいげん はるか)は、日本の元プロ... |
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1967年
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東京プロレスが崩壊した後は日本プロレスに移... |
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