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プロフィール
- 江原啓之とは
- 来歴
- 人生の師との出会い
- カウンセラーとして独立
- マスメディアへの登場
- 霊能力
- 霊能者の先輩たちの指導
- イギリスでの学び
- スピリチュアルカウンセラーとしての活動
- マスメディアでの活動
- 音楽家としての活動
- 批判
- 関連項目
江原啓之(えはらひろゆき、-歳)は、スピリチュアリスト、スピリチュアル・アーティスト、作家、オペラ歌手(バリトン)。世界ヒーリング連盟元会員、関西二期会会員、英国スピリチュアリスト協会(SAGB)会員。東京都出身。妻と二人の息子がいる。
来歴
| 、東京都墨田区の下町で、薬品会社に勤めるサラリーマンの第2子として誕生江原啓之『人はなぜ生まれいかに生きるのか』(ハート出版)『SmaSTATION』2007年10月28日放送。 |
| 7歳上の姉を持つ。 |
| 幼い頃から霊感が強かったという。 |
| 1968年、4歳のとき、父親を薬害で亡くし、15歳の時、母親を癌で亡くす。 |
| 中学生時代はギター部に所属していたスピリチュアルカウンセラー江原啓之の「正体」(『週刊文春』2006年2月23日号)。 |
| 技術職に就くことを目指し本郷高等学校デザイン科に進学。 |
| 放課後はアマチュア合唱団の練習に参加。 |
| 1981年、高校2年の時、姉が嫁に行き、一人暮らしを始める。 |
| 和光大学人文学部芸術学科に入学し、美術を専攻(江原啓之(聞き手)丸山あかね『江原啓之への質問状』(徳間書店),p127)。 |
| 彫刻『もっと深くスピリチュアルを知るために』新潮社2007年12月1日や音楽を学ぶ。 |
| 大学の近くに引っ越す。 |
| 「18歳までは守られる」という生前の母の言葉通りに、18歳になった頃から心霊現象に悩まされ19歳で大学を退学する。 |
人生の師との出会い
| 警備のアルバイトをする傍ら、心霊現象の解決のため何人もの霊能者を訪ねるも解決できず、自殺まで考えるほど精神的にも金銭的にも追い詰められた中で、20人目に出会った(財)「日本心霊科学協会」の講師(当時)寺坂多枝子に信頼を置く。 |
| 人格や波長を高く保ち善きカルマを積めば、低級霊は寄って来ないとアドバイスを受け、自分の力をコントロールするため修験道(真言密教系佐藤愛子・江原啓之『あの世の話』(青春出版社1998年11月、文藝春秋2001年12月10日))の修業を始める。 |
| 1年間寺で修業した後、高尾山での2年間の滝行により憑依体質を克服。 |
| 「日本心霊科学協会」の「精神統一協会」や寺坂の主催する「清玲会」に通い、瞑想や心霊科学を学ぶ。 |
| 滝行で知り合った男にプロの霊能者になる誘いを受ける。 |
| 心霊相談の部屋を提供されるも、お金を一切もらえず、極貧の生活に追い込まれる。 |
| 一攫千金を狙うための商品にされていることに気づき、夜逃げ同然に逃げ出す。 |
| 「社会的に信頼されるようにきちんとした職業を持つべき」という寺坂の勧めに従い、22歳の時、神職の資格それまでに神職の最低の資格は取得していた(『人はなぜ生まれいかに生きるのか』p59)を得るため國學院大學の夜間部に入学。 |
| 1987年(23歳)、北沢八幡宮に実習生として勤める |
| 経済的に苦しかったため、夜間の授業を終えた後、深夜に心霊相談を行うという過酷な生活を送る。 |
| 國學院大學別科神道専修II類を修了し、神職の資格を得る。 |
| 心霊相談で知り合った人たちや昔からの友人たちによって、東京、横浜に計3ヶ所スピリチュアリズムを学ぶサークルが作られ、毎月、講師として研修を行う。 |
| 後に計3ヶ所合同の研修会(これが後に「江原啓之のスピリチュアリズム講座」となる)を北沢八幡神社の広間で開催する。 |
| この頃、名古屋の医師の紹介で、北海道の浦河町に建てた別荘の心霊現象に悩んでいた小説家、佐藤愛子の相談に乗る(,p257)。 |
カウンセラーとして独立
| 1989年(24歳)3月、北沢八幡宮を去り、近くの東京・下北沢のアパートで、心霊相談とヒーリングによるスピリチュアリズムの普及を目的として「スピリチュアリズム研究所」を設立(後に自宅も兼ねる)。 |
| 1990年(25歳)2月、霊能者としての活動のヒントを求め、スピリチュアリズムの本場とされるイギリスに渡る。 |
| ロンドンのミーディアム(霊能者)を育成する団体である「英国スピリチュアリスト協会」(SAGB)を訪ね、ネラ・ジョーンズ、テリー・ゴードン、ドリス・コリンズなど、霊媒師として知られる人物たちと会い、理論、実践を学ぶ。 |
| 以降1996年まで、足かけ6年、計9回渡英する。 |
| 帰国後、個人カウンセリングにイギリスで学んだスピリチュアリズムの手法を取り入れる。 |
マスメディアへの登場
| 寺坂を通じて知り合った佐藤愛子の助力でマスメディアに姿を現す『スピリチュアルカウンセラー江原啓之の「正体」』(『週刊文春』2006年2月23日号)。 |
| 1992年(27歳)、ファッション雑誌『CanCam』(1992年2月号)の連載で取り上げられたことで、「スピリチュアリズム研究所」に予約が殺到する。 |
| 1993年(28歳)5月、歌手のイルカの知人の紹介で知り合った女性と結婚し、千代田区の「日枝神社」で挙式。 |
| 1994年(29歳)長男が誕生(,p92)。 |
| 2001年(36歳)カウンセラーの中森じゅあん(「日本算命学協会」代表)から紹介を受けた三笠書房より出版した3冊目の自著『幸運を引き寄せるスピリチュアル・ブック』が70万部を超えるベストセラーになる。 |
| 当初のテレビ出演時は、守護霊を自身の身体に憑依させ、その守護霊の口調でアドバイスを伝えていたがスペースシャーワーTV『Gee』スペシャルシリーズ、後にアドバイスのみを伝えるようになっている。 |
| 30代半ばで武蔵野音楽大学パルナソスエミネンス(特修科)に入学し、声楽を専攻する。 |
| 菊池英美、吉池道子、ヴィットーリオ・テッラノーヴァらに師事し、同科を修了した。 |
霊能力
| 本人によれば、幼い頃から霊的に敏感で霊やエネルギーに感応しやすい“憑依体質”であったという。 |
| 江原が4歳の時、父親の背後に黒いオーラが見えたため、幼い江原は近づくことが出来なかった。 |
| その数日後、父親が薬害で亡くなったことから、父親の死を予知したと言われている。 |
| 生きている人のオーラを見たり、小学生のころ初めて、戦争中の服装の親子を見て、対話に成功したことから、亡くなった人の霊が見えていたという。 |
| 元来、ずっと教師になりたいと思って来ており、霊能者になりたいと思ったことは一度もなかったという。 |
| (、p27)。 |
| 寺坂を初め、何人かの日本の霊能者から、「霊界は霊能者になることを望んでいる」ことを伝えられるが、自信が持てず、神社に就職することを機に心霊相談をやめようと考えていた。 |
| しかし、國學院大學の卒業論文を書いている時に『ブラザー・サンシスター・ムーン』という映画を目にした江原は、すべてを投げ打って真理に従ったアッシジのフランチェスコの生き方に感動し、自身も「我」を持たず、霊界(天)が望む通りに、スピリチュアリズムを広める霊界の道具になろうと決意したという江原はフランチェスコの足跡をたどるため、イタリアのアッシジを訪れた(『もっと深くスピリチュアルを知るために』p137)。 |
| 現在でも霊視により人のオーラや前世を見たり、守護霊や亡くなった人の思いやメッセージを感じ取れるとしている。 |
| さらに、テレビ番組においては、人の部屋の様子を言い当てるなどの透視能力を披露しているえぐら開運堂、国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉(江原が行使するとされているような能力は、科学的に証明されたわけではい)。 |
| 江原自身は「霊能者は様々な天職の中の一つに過ぎず、たまたま人に理解されないだけである」とし、「自分はごく普通の人間である」と繰り返し述べている。 |
| また、霊能者はスピリチュアルな人生に目覚させる一技術者であって、これまでのように「生き神様」や「教祖」として崇めたてまつる時代は終わらせるべきとしている。 |
| また、普通の人でも霊能力は10パーセントほどは持っており、霊能者であっても、100パーセントという人は一人もおらず、平均して50から60パーセントほどで、80パーセントあれば極めて優秀な霊能者だと語っている(、p219)。 |
| 江原自身も霊界からの助言をもらえることは滅多になく、一人の人間として葛藤を抱えており、悩みや迷いもあり、失敗や後悔もしているという(、p242)。 |
| また、霊能力があることと高い人格であることは必ずしも比例しないとしている。 |
| 江原は霊能力で人が幸せになるのではなく、スピリチュアルな人生に目覚めることこそが「本当の幸せ」を実現させる唯一な道だとしている。 |
| 『オーラの泉』で共演する美輪明宏は自身の霊視により江原を本物だと確信したと言い、「霊能者は99パーセントがインチキでも、1パーセントのホンモノがいる。 |
霊能者の先輩たちの指導
| 江原の両親だとして寺坂多枝子が招霊した霊が語った内容は、父母と自分にしかわからないものであったため、驚きと感動で涙したという。 |
| 寺坂は両親の死の原因を説明し、江原が心霊現象に振り回されているのは悪霊の仕業ではなく、生まれつきの霊媒体質によるものだとした。 |
| また、江原の指導霊人それぞれを守り導いているとされる“守護霊”には「主護霊」、「指導霊」、「支配霊」、「補助霊」の4種類があり、「指導霊」は人の才能や趣味を指導するとされる。 |
| は戦国時代に京都御所を護衛しており、後に出家して修験道の行者になり、加持祈祷で人々の病気を治していた「昌清之命(まさきよのみこと)」という人物であったとした。 |
| そして、この霊は江原が自身の霊能力を世の中の人のために使うことを望んで働きかけているとした。 |
| 他の霊能者のWや佐藤永郎も寺坂と同様の霊視をしたことで、江原はそれが事実であると確信したという。 |
| また、この頃、『シルバーバーチの霊訓』(ハート出版)という本に出会い、自分が見出した真理が正しかったことが裏付けられ、これまでの自身の経験の意味を改めて理解でき、感動したという。 |
イギリスでの学び
| 寺坂多枝子の「霊能者は拝み屋の域を離れ、アカデミックなスピリチュアリズムを学び、その地位を築くべき」とのアドバイスにより、イギリスに渡り学ぶ。 |
| 中でも最も影響を受けたのはドリス・コリンズであり、自身のスピリチュアルカウンセラーとしての活動はドリスを見本にしているという。 |
スピリチュアルカウンセラーとしての活動
| イギリスで学んでいた時に、ある男性ミデーィアム(霊媒)の名刺の肩書であった“スピリチュアル・カウンセラー”ロンドンでは霊能力者の一般的な肩書きは、“ミデーィアム”もしくは“スピリチュアル・カウンセラー”だという。 |
| “霊能者”という言葉には現世利益を与える他力本願的なイメージが強く、暗いイメージがあり、そのような拝み屋的な存在としての心霊相談と同一視されたくないという思いもあり、スピリチュアル・カウンセラーと名乗るようになったという。 |
| 江原のカウンセリングスタイルは、一般的な日本の霊能者がするような相手の相談に答えて行くという形ではなく、自身が霊的世界とコンタクトを取り、その人に関わるさまざまな情報およびメッセージを一方的に伝えて行く、イギリスや欧米諸国で行なわれている「シッティング」という手法である。 |
| しかし、十数年カウンセリング活動を続ける中で、楽して成功を求めるようなスピリチュアリズムの真理に反した物質的価値観による相談や非常識なクレームをつける人が多く、1年間に千件に及ぶカウンセリングの中でも、やってよかったと思えたのは10パーセントにも満たなかったという。 |
| そんな中で、応急処置的なカウンセリングばかりに時間を割くより、霊的な真理という「人生の地図」を普及させることの方がはるかに「人の助け」、「霊界の助け」になると考え、個人カウンセリングを休止し、執筆活動や講演活動に重点を移した。 |
マスメディアでの活動
| 自ら学んだスピリチュアリズムを本で伝えたかったが、無名ゆえに引き受けてくれる出版社がなかったため、名前を知ってもらうためと、マスメディアに登場する霊能者はキワモノがあまりにも多く、その話が心霊現象に偏っているため、「人はなぜ生まれ、いかに生きるか」を語る霊能者も必要だと考えマスメディアに出ることにしたという。 |
| テレビ出演の際はスタジオにろうそくやヤナギの木を置いたり、血の滴るようなテロップやおどろおどろしい「再現ビデオ」などを見せる心霊番組特有の局側の演出を不要だと再三訴え、やめてもらうようにしたという。 |
| その後、江原の存在が世間一般に広まり、江原啓之への世間一般の関心が高まるにつれて、当初は精神世界に関心を持つ人にのみ認知された最初の著書『人はなぜ生まれいかに生きるのか』(ハート出版)も非常に高い評価を受けるようになり、沢山の読者を獲得するに至る。 |
| 2003年(38歳)、テレビ東京の深夜バラエティ番組『えぐら開運堂』に毎週レギュラー出演し、2年間に渡り女性視聴者に対して人生相談を行う。 |
| 2005年(40歳)4月からは美輪明宏と共にスピリチュアルな視点から人生を説くテレビ番組『オーラの泉』に出演し、話題を呼ぶ。 |
| 『オーラの泉』において、霊視して部屋の中の様子を言い当ててゲストを驚かせ(当然節度を守った範囲でだが)、番組を盛り上げるデモンストレーションは有名。 |
音楽家としての活動
| 歌詞にこめられた「言霊」とメロディーにこめられた「音霊(おとたま)」によって、豊かな感性を呼び戻してほしいとしており、スピリチュアリズムや霊能者に対する偏見を払拭したい思いもあるという。 |
| 2000年、武蔵野音楽大学特修科修了演奏会では、ヴェルディ、ロッシーニを中心としたプログラムで優秀な成績を修めた。 |
| 2004年5月には出版300万部突破を記念して、「江原啓之バリトンリサイタル」を銀座の王子ホールにて行い、イタリア歌曲、オペラ、日本の歌曲を歌った。 |
| 2007年9月から10月にかけて、四大都市で三枝成彰プロデュースの20周年記念チャリティー収益の一部は中越沖地震の被災者や難病の子供に対する支援をしているボランティア団体「メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン」に寄付された。 |
| 財津和夫、イルカ、尾崎亜美らが出演し、デュエットも披露『スポーツニッポン』2007年12月23日付。 |
批判
| 2006年3月、『週刊文春』が江原が元信者の女性に暴力を振ったり飼い猫を虐待していたとする『スピリチュアリズム研究所』のかつての女性スタッフの告発記事を載せた『江原啓之「暴行」と「猫虐待」包丁を持たせて「死ね!」』(『週刊文春』2006年3月2日号)。 |
| 『日刊ゲンダイ』(2007年2月1日付)で、過去に出演した『こたえてちょーだい!』(フジテレビ系)で江原の霊視を受けたという女性が、霊視の内容がスタッフに事前に質問されて答えた内容と同じであった、と明かした。 |
| テレビ番組などで行う江原の前世霊視は、イメージの良いものにばかり偏っていないか?などと疑問視されることもある |
| 『週刊文春』の2007年2月1日号によると、『オーラの泉』中で行った芸能人の霊視では、公家、武士、巫女、貴族、修道士、思想家といった職種ばかりで、日本、イギリス、フランス、イタリアといった国家の人間になぜか偏っているという。 |
| しかし、それを裏付ける集計やこの主張が統計的に有意であると検定した資料は示されていない。 |
| 2007年3月1日、霊感商法の被害対策に取り組んできた「全国霊感商法対策弁護士連絡会」が、超能力や心霊現象などを喧伝し、霊魂観や死後の世界についての考え方を断定的に述べているテレビ番組が、霊感商法の被害予備軍を生み出しているとして、行き過ぎないように求める要望書 |
| もっとできる人間になってくる」などと書き置きして飛び降り自殺した事件に触れ、少年の手紙には霊界の話を紹介するテレビ番組を家族と見たことに触れてあったことから、そのような番組が悪影響を与える懸念を指摘した『毎日新聞』2007年12月9日 |
| なお、日本民間放送連盟が定める放送基準第8章には「非科学的な迷信や、これに類する運命・運勢鑑定、霊感、霊能等を取り上げる場合は、これを“肯定的に取り扱わない”」と記述されている( |
| 『ニューズウィーク日本版』2007年5月16日号では「世界ヒーリング連盟」に江原の名前がないことから経歴詐称疑惑が報じられた |
| 震災被害者にリンゴを贈るボランティア活動をしていた秋田県の美容院の経営者女性に江原が亡き父のメッセージを聞かせるというサプライズを仕掛けて喜ばせる企画であったが、江原がボランティア活動によって美容院経営をおそろかにしているとして「死んだお父さんは、あなたが悪いと言っている」としたことに対し、その女性が睨んで反論した場面は全てカットされ、女性が講演会の会場に自分がボランティアでリンゴを送った人々が客席にいるのを見て感激し、涙した場面を江原の言葉に感激して涙したかのように編集されていたという。 |
| これについて、作家の麻生千晶は「超能力があるというのなら、『望まれていない』、『経営が悪化していない』ということがなぜ分からなかったのですかね」と疑問を呈している |
| 『週刊文春』2008年1月24日号によると、『オーラの泉』で宝塚歌劇団出身の女優檀れいについて「死んだお父さんは『宝塚受験』を見守っていたと話したが、檀の出身地兵庫県の人々から疑問の声が噴出したという。 |
| 檀は、宝塚デビュー後に母親が再婚した義父の霊視を江原に依頼したが、義父は檀の子供の頃を知り得ないため、江原は実父が存命であること知らずに霊視したのでは、との疑惑を生んだ実際の発言は檀が宝塚受験について、「『自分の好きな道に、進みなさい』と小さい頃から言われていた」、「凄く私の意見を尊重してくれた」と述べたところ、江原は「『それは“女の子”と思ってなかったからだ』とお父さんが言っている」という旨を述べた。 |
| 町山智浩は『週刊現代』の連載を打ち切られた後に同誌に江原啓之の新連載が始まったことに腹を立て、「霊能力があるんだったら、オレを呪い殺してみろ、このデブ!」と江原を罵った「 |
関連項目
| 心、癒し、精神世界、神秘主義、オカルト、疑似科学、スピリチュアル、霊魂。 |
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1968年
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4歳のとき、父親を薬害で亡くし、15歳の時、... |
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1981年
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高校2年の時、姉が嫁に行き、一人暮らしを始める |
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