25222
25464
289397
%E6%B1%9F%E5%B0%BB%E4%BA%AE
%E6%B1%9F%E5%B0%BB%E4%BA%AE
%E6%B1%9F%E5%B0%BB%E4%BA%AE
%E6%B1%9F%E5%B0%BB%E4%BA%AE
%E6%B1%9F%E5%B0%BB%E4%BA%AE
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 江尻亮の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- 江尻亮とは
- 略歴
- 早稲田大学時代
- 現役時代
- 指導者時代
- その他
- 年度別監督成績
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 関連項目
江尻亮(えじりあきら、1943年1月10日-)は茨城県高萩市出身のプロ野球選手・プロ野球監督。現役時代は大洋ホエールズ・横浜大洋ホエールズで外野手として活躍した。引退後は大洋でコーチ・監督を務めたほか、千葉ロッテマリーンズの監督も務めた。左投げ左打ち。
略歴
| 1965年早稲田大学のエースとして東京六大学野球連盟で通算23試合登板し、7勝6敗、防御率1.97。 |
| 46回2/3連続無失点・シーズン防御率0.00のリーグ記録を樹立した実績を評価され、大洋に投手として入団。 |
| 左翼手の定位置を獲得。 |
| 1968年打率.283で初のベストテン入り(セ・リーグ9位)。 |
| 1970年右翼手にコンバート。 |
| ベストナインの外野手部門に選出。 |
| 1973年2度目のベストナイン選出。 |
| 1977年巨人戦で加藤初投手から頭部に死球を受け、36時間にわたり昏睡状態に陥る。 |
| これを機に右翼の定位置を高木嘉一に奪われ先発出場が激減、選手生命を大きく縮めた。 |
| 1980年1軍打撃コーチ就任。 |
| 1982年2軍打撃コーチ就任。 |
| 1985年2軍監督就任。 |
| 進藤達哉・石井琢朗など、他球団がノーマークだった後年の名選手を発掘し、ドラフト外で入団させる。 |
| 1992年シーズン途中、須藤豊監督の休養により監督就任。 |
| シーズン終了後、フロントへ転身。 |
| 1995年早大の先輩であるロッテの広岡達朗ゼネラルマネージャーの誘いを受け、ロッテの2軍ヘッドコーチに就任。 |
| シーズン途中、1軍ヘッドコーチへ昇格。 |
| 1996年ボビー・バレンタイン監督の解任に伴いロッテ監督に就任するも、前年2位のチームは低迷し、江尻自身もシーズン中に体調を崩し途中休養した時期があった。 |
| シーズン終了後、成績不振の引責や、自分を招聘した広岡GMの解任もあり、わずか1年で辞任。 |
| ロッテの編成部長に就任。 |
| ロッテ監督就任直後のファン感謝デーで熱狂的なボビー・バレンタインファンから「広岡リモコン江尻しね。 |
| 」という垂れ幕を掲げられるという屈辱を味わった。 |
早稲田大学時代
| 早大時代は一時投手兼代打要員という中途半端な立場だった。 |
| 厳しい練習に耐えかねて何度か部を抜け出そうとしたこともあったと本人が述懐している。 |
| ところが4年時に就任間もない石井藤吉郎監督に投手専任を申し出て認められた。 |
| 石井が選手に好きなポジションをやらせるという方針だったのだが、これが直後のリーグ無失点記録につながった。 |
| 前述のようにプロ入り後にも頭部死球を受けているが、早大時代にも頭部に死球を受け生死の境をさまようという不幸な事故に遭っている。 |
現役時代
| 現役時代は、勝負強い打撃が持ち味の中距離打者。 |
| レギュラーとして活躍したのは1967年~1976年までの10シーズン。 |
| 主に1番~3番を打ち、守備においては、投手出身でもあることから強肩で鳴らした。 |
| 規定打席で打率3割に達したシーズンはなかったものの、打撃ベストテンには4度にわたってランクインされている。 |
| 1978年、前年頭部死球を受けた巨人加藤初が先発した試合で別当薫監督は代打にいる江尻を送り「このままで終わりたくないだろう。 |
| ケリをつけてこい」とハッパをかけた。 |
| この言葉で江尻は奮起し、加藤からプロ生活最後のホームランを放った。 |
| なお、横浜移転後は代打で活躍し2年で引退した。 |
| 大卒でプロ入り後に打者転向し、1000本安打を達成した数少ない選手の一人である。 |
指導者時代
| 1992年、須藤豊率いる大洋は佐々木主浩、石井琢朗、盛田幸妃、野村弘樹、友利結など若手を積極登用した結果開幕からつまずき最下位。 |
| 須藤監督は5月に早々と辞任チームから手を引く。 |
| 江尻はこれにより急遽チームの指揮を執らざるを得なくなったが、先発の柱だった盛田を中継ぎに転向させ、またアキレス腱を痛め抑えに回っていた遠藤一彦を先発に再転向させるなど投手陣を建て直し、残りのゲームの勝率を5割で乗り切った。 |
| 「次の年も引き続いて生え抜き監督に指揮を」という声もあったが辞退している。 |
| 1996年の「大矢監督の大コンバート」まで石井琢朗はサードを守っていたが、世代交代を痛感していた須藤は石井をショートで育て、正ショートだった名手進藤達哉をサブに回していた。 |
| しかし、それはチームの成績を引き換えにする覚悟を必要とするものだった。 |
| 江尻は勝利を目標とし、石井をサードに回すことでショート進藤と併用している。 |
| また、盛田と佐々木の記憶に残るダブルストッパーが誕生したのも盛田の中継ぎ転向を促した江尻によるものである。 |
| この年盛田は中継ぎ適性を十二分に発揮、大車輪の活躍でリリーフながら最優秀防御率を受賞している。 |
| 1992年のシーズンオフにチームが「横浜ベイスターズ」に改称したため、江尻は「大洋ホエールズ」の最後の監督となった。 |
| 後任には早大・大洋の先輩の近藤昭仁が就任。 |
| 一方1996年のロッテは、1992年の大洋と同じく伊良部秀輝のMLB移籍問題など危機に瀕しており、やはり彼の腕の見せ所と思われたが、大洋時代の勝率を大きく下回った。 |
| なお、後任には同じく近藤が就任している。 |
その他
| 現役引退まで独身を貫きコーチ時代の42歳の時に15歳以上も年下の女性と結婚したため話題になった。 |
| 実家は旅館を営んでいた。 |
| 俳句が趣味で俳号を称している程である。 |
| (俳号は「柏人」)。 |
| 1964年、東京六大学野球春季リーグでシーズン防御率0.00を記録しているが、これは明治大学・野村祐輔が達成するまで44年間達成する者がいない記録であった。 |
年度別監督成績
| ※1 5月3日から閉幕まで。 |
| ※2 開幕から8月22日、8月30日から閉幕まで。 |
記録
| オールスターゲーム出場:2回(1970年、1973年)。 |
| 通算1000試合出場 1974年6月9日(173人目)。 |
背番号
| 19(1965年-1979年)。 |
| 91(1980年-1986年、1990年-1992年)。 |
| 90(1995年-1996年)。 |
|
1943年
|
江尻 亮(えじり あきら)は茨城県高萩市出身... |
|
1964年
|
東京六大学野球春季リーグでシーズン防御率0.... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
関連商品
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
近藤昭仁
香川県高松市出身の元プロ野球選手・プロ野球監督、野球解説者、野球評論家。 |
|
|
柴田勲
神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(外野手、投手)、野球解説者。高校時代は甲子園の優勝投手でもある。別名「銀座の盗塁王」(フジテレビ系『プロ野球ニ... |
|
|
高田繁
大阪府大阪市住之江区出身の元プロ野球選手・監督。鹿児島県生まれ。身長173cm、体重70kg。俊足・強肩・強打の外野手として、読売ジャイアンツV9時代に活躍し... |
|
|
須藤豊
高知県安芸郡安芸町(現安芸市)出身の元プロ野球選手(内野手)・監督。現在は野球解説者。現役時代は毎日・大毎、巨人で活躍し、引退後は巨人・大洋・西武... |
|
|
山本浩二
73年から3年間マドリードの美術研究所とプラド美術館に学び帰国。82年招かれて渡英。ロンドンに滞在して制作。イギリス文化庁主催の12人展がイギリス全土を巡... |
|
|
山下大輔
元プロ野球選手(内野手)・監督。愛称は「大ちゃん」。現在はMLBロサンゼルス・ドジャース傘下ルーキーリーグ、アリゾナリーグ・ドジャースのチームコーチを... |
|
|
別当薫
兵庫県西宮市出身のプロ野球選手・プロ野球監督。現役時代は大阪・毎日で活躍し、引退後は毎日・大毎、近鉄、大洋、広島の監督を務めた。 |
|
|
大矢明彦
東京都大田区出身の元プロ野球選手(捕手)・監督、野球解説者。二女は2004年から2005年に横浜の2代目オフィシャル・リポーターを務めていた大矢陽子。 |
|
|
松原誠
埼玉県飯能市出身の元プロ野球選手(内野手)。 |
|
|
ボビー・バレンタイン
アメリカ合衆国コネティカット州出身の元プロ野球選手、監督。日本プロ野球では千葉ロッテマリーンズの監督を2期・7年に渡って務めた。千葉大学・千葉商科大... |
|
|
青田昇
兵庫県三木市出身のプロ野球選手・コーチ・監督、野球評論家・野球解説者。愛称は「じゃじゃ馬」。現役時代は巨人、阪急、洋松・大洋において豪快なバッティ... |
|
|
近藤和彦
京都府京都市出身の元プロ野球選手(外野手)。天秤打法と呼ばれる独特の構えで打席に立つことで知られる。 |
|
|
山本一義
広島県広島市出身の元プロ野球選手(外野手)・プロ野球監督、野球評論家。 |
|
|
山本功児
山本功児(やまもとこうじ、1951年12月25日-)はプロ野球選手、プロ野球監督。ポジションは一塁手、外野手。左投げ左打ち。打席に入り構える際に身体を幾度か... |
|
|
江藤愼一
熊本県出身のプロ野球選手(外野手)・監督。旧名「江藤慎一」。元プロ野球選手で慶應義塾大学野球部監督の江藤省三は実弟。 |
|
|
古葉竹識
熊本県熊本市出身のプロ野球選手・監督。旧名は「古葉毅」(読みは同じ、1964年に改名)。最終学歴は専修大学。広島東洋カープを球団史上初のリーグ優勝に導... |
|
|
八木沢荘六
栃木県今市市(現:日光市)出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球監督、野球指導者、野球解説者。2011年から群馬ダイヤモンドペガサスの投手コーチを務める。 |
|
|
与那嶺要
アメリカ合衆国ハワイ州マウイ島生まれのプロ野球選手(外野手)・監督・打撃コーチ。本名はウォレス・カナメ・ヨナミネ(WallaceKaname"Wally"Yonamine)。... |
|
|
金田正一
愛知県中島郡平和村(現:稲沢市)出身の元プロ野球選手(投手)・監督、野球解説者・評論家、実業家。血液型はB型。現役時代は日本プロ野球最多となる通算40... |
|
|
土井淳
岡山県岡山市出身の元プロ野球選手(捕手)・監督、野球解説者。 |
|
|
江尻亮さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|