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プロフィール
- 池山隆寛とは
- 経歴
- 引退試合
- 打撃
- 守備
- 年度別打撃成績
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 著書
- 出演
- 関連項目
池山 隆寛(いけやまたかひろ、1965年12月17日-)は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球解説者、野球指導者。愛称は「ブンブン丸」。2011年より東京ヤクルトスワローズの二軍打撃コーチを務める。
経歴
| 尼崎市立尼崎高等学校から1983年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。 |
| 入団2年目より代打、守備固めで一軍で出場、関根潤三が監督に就任した1987年より、水谷新太郎から遊撃手のポジションを奪い、レギュラーに定着。 |
| 当初は8番打者であったが、持ち前の長打力で1988年から5年連続で30本塁打を記録した。 |
| 1990年には.303、31本塁打、97打点と、遊撃手としては史上初の「3割30本」を達成した。 |
| この記録は、他には野村謙二郎と松井稼頭央の2人しか達成していない。 |
| 同年8月23日の中日戦でサイクル安打を達成した。 |
| 長くチームの中心打者を務めつつ、遊撃手という負担の大きなポジションを任されていたが、アキレス腱痛に悩まされ始め、宮本慎也の台頭もあって1997年からサードへ転向された。 |
| 更に2000年からは岩村明憲へサードのポジションを譲り、代打を務めることが多くなった。 |
| 2001年には背番号1も岩村に譲り、自身は入団時の36に戻した。 |
| 2002年限りで現役引退。 |
| 引退後は2003年~2005年はフジテレビ・ニッポン放送・サンケイスポーツの野球解説者。 |
| 2006年~2009年は恩師である野村克也監督の下で東北楽天ゴールデンイーグルス一軍打撃コーチとなり、この間首位打者2人(2008年リック・ショート・2009年鉄平)本塁打王1人(2007年山崎武司)を輩出した。 |
| 2010年からはデイリースポーツの野球評論家を務める |
| 2011年シーズンからは古巣であるヤクルトへと復帰し、二軍打撃コーチを務めている。 |
引退試合
| 2002年10月17日に明治神宮野球場で行われた対広島東洋カープ最終戦の試合前「現役最後の、ありのままの姿を見せたい」と意気込みを語った。 |
| 池山はこの頃になると、もはや全力疾走する事も叶わない右足の状態であったが、痛みをこらえて久しぶりに3番・遊撃で先発出場し、途中からは一塁に回ってフルイニング出場した。 |
| 打撃では5打数1安打で、8回には現役最後の安打となる左中間二塁打を放ち、守備でも4回に遊撃、延長10回には一塁でもファインプレーを披露した。 |
| 試合は1-1の同点で迎えた10回に広島が1点を勝ち越したが、その裏ヤクルトは「池山にもう一度打順を回そう」と、飯田哲也がセーフティバント、更に稲葉篤紀も同様にセーフティを企図(結果は犠打)するなど2死二塁とし“本塁打が出れば逆転サヨナラ”の場面で池山に打順が回った。 |
| 池山は長谷川昌幸が投じた球速150km超の直球に3球続けて空振りし、1-2で試合終了。 |
| 池山はマウンドに歩み寄り、長谷川らと握手を交わした。 |
| 試合後には引退セレモニーが行われ、引退挨拶で「今日まで19年、多くの応援を頂いた。 |
| こんなに幸せな男はいません。 |
| これから第二の人生の打席に入りますが、必ず皆様の前に戻ってきます」とメッセージを送り、また同年7月に亡くなった応援団「ツバメ軍団」団長であった岡田正泰へも感謝の意を表した。 |
打撃
| ニックネームが「ブンブン丸」と言われている通り、豪快なフルスイングが特徴であり、2ストライクになっても強振し続けた。 |
| バックスクリーンへの本塁打も非常に多かった。 |
| 反面、三振も非常に多く、1987年から1992年までの6年連続で年間100以上の三振数を記録している。 |
| 関根監督時代は良くも悪くも「思い切ってやれ」というスタイルであり思い切りの良さで人気はあったが、野村監督が就任してから三振を減らすよう命じられるようになる。 |
| 池山自身はレギュラー確保のため、忠実に実行したという。 |
| 野村監督就任後も三振数自体は変わらなかったものの、配球の読みを野村から叩き込まれた効果もあり1990年に打率が初めて3割を超えた。 |
| 以降もヤクルトの看板打者として活躍し、日本一にも大きく貢献した。 |
| 一本足打法が池山の特徴ではあるが、野村監督就任後からはカウント的に追い込まれた場合、稀ではあるがすり足(あるいはノーステップ)打法でスイングしていた。 |
守備
| ドラフトにおける指名理由も含めて、入団時には打撃よりも遊撃手としての守備力と高い身体能力が評価されていた。 |
| 守備範囲が非常に広い上に打球への反応も良く、肩も強かったため守備の名手と評されていた。 |
| ただし、巨人・川相昌弘や広島・野村謙二郎など、この当時のセ・リーグには各球団の遊撃手に名手と言われる選手が揃っていたこともあり、ゴールデングラブ賞受賞は一度のみとなった。 |
| アキレス腱を悪化させてからは三塁手に転向し、岩村明憲に三塁手のポジションを奪われてからは二塁手や一塁手、右翼手として就くこともあった。 |
| 三塁への走者をタッチアウトした際に塁審がアウトのジェスチャーを取ったまさにその時に池山が塁審の前を通り、肘が顔に当たってしまったことがある。 |
表彰
| ベストナイン:5回(遊撃手1988-1990年、1992-1993年)。 |
| ゴールデングラブ賞:1回(遊撃手1992年)。 |
| 日本シリーズ優秀選手賞:2回(1995年、1997年)。 |
| 月間MVP:1回(1998年6月)。 |
記録
| 初出場:1984年8月9日、対阪神タイガース19回戦(明治神宮野球場)、9回裏に釘谷肇の代打として出場。 |
| 初打席:同上、9回裏に福家雅明から三振。 |
| 初先発出場:1985年4月16日、対広島東洋カープ1回戦(明治神宮野球場)、7番・遊撃手として先発出場、2打数無安打。 |
| 初安打:1985年4月21日、対横浜大洋ホエールズ2回戦(明治神宮野球場)、3回裏に池内豊から左前安打。 |
| 初打点:1985年9月8日、対中日ドラゴンズ23回戦(郡山総合運動場開成山野球場)、4回裏に桑田茂から適時打。 |
| 初盗塁:同上、8回裏に二盗。 |
| 初本塁打:1986年6月12日、対横浜大洋ホエールズ10回戦(横浜スタジアム)、4回表に門田富昭から左越ソロ。 |
| 100本塁打:1990年7月21日、対中日ドラゴンズ18回戦(ナゴヤ球場)、7回表に鹿島忠から ※史上163人目。 |
| 150本塁打:1992年4月29日、対阪神タイガース4回戦(阪神甲子園球場)、6回表に猪俣隆から ※史上94人目。 |
| 1000試合:1993年9月12日、対広島東洋カープ21回戦(広島市民球場)、6番・遊撃手として先発出場 ※史上341人目。 |
| 200本塁打:1993年10月3日、対横浜ベイスターズ24回戦(横浜スタジアム)、5回表に森山良二から ※史上65人目。 |
| 1000本安打:1994年8月11日、対中日ドラゴンズ20回戦(ナゴヤ球場)、7回表に野中徹博から ※史上179人目。 |
| 250本塁打:1997年5月5日、対中日ドラゴンズ6回戦(明治神宮野球場)、6回裏に山本昌から。 |
| 1500試合:1998年7月27日、対広島東洋カープ19回戦(明治神宮野球場)、5番・三塁手として先発出場 ※史上124人目。 |
| 1500本安打:2001年4月4日、対読売ジャイアンツ2回戦(明治神宮野球場)、8回裏に南真一郎から左中間へ適時二塁打 ※史上81人目。 |
| 300本塁打:2001年5月6日、対広島東洋カープ7回戦(広島市民球場)、7回表に山崎健から右中間へ代打3ラン ※史上24人目。 |
| オールスターゲーム出場:7回(1988年-1992年、1994年、1998年)。 |
| サイクルヒット:1990年8月23日、対中日ドラゴンズ22回戦(明治神宮野球場)、本塁打・単打・二塁打・三塁打の順。 |
| 1イニング2本塁打(1993年5月19日)。 |
| 1イニング7打点(1993年5月19日)。 |
| 405守備機会連続無失策:1991年6月1日から同年9月28日にかけて記録。 |
| セ・リーグ・遊撃手の最高記録。 |
背番号
| 36(1984年-1991年、2000年-2002年)。 |
| 1(1992年-1999年)。 |
| 77(2006年-2009年)。 |
| 96(2011年-)。 |
著書
| 池山隆寛のブンブンブン!夢、ありがとうプロ野球栄光と挫折の19年(小学館) 2003年3月 ISBN4-09-387423-9。 |
| ブンブン丸の「野村野球」伝道わが球歴40年史(小学館文庫) 2006年4月 ISBN4-09-408076-7。 |
出演
| ;現在の出演番組。 |
| 「池山隆寛BUNBUNStadium」(NACK5、ENJOY!THESUNDAY内)。 |
| 「池山隆寛のBUNBUNradio」(TBSラジオ)。 |
| ;過去の出演番組。 |
| BASEBALLSPECIAL〜野球道〜。 |
関連項目
| 兵庫県出身の人物一覧。 |
| 東京ヤクルトスワローズの選手一覧。 |
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1965年
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池山 隆寛(いけやま たかひろ)は、兵庫県尼... |
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1984年
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初出場:、対阪神タイガース19回戦(明治神宮... |
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