| 母・寧子は子爵保科正益(飯野藩第10代目藩主)の長女。 |
| 伯爵加藤高明(元総理大臣)と男爵幣原喜重郎(元総理大臣)は叔父(夫人が久弥の姉妹)であった。 |
| 1903年1月20日:妹・澄子(伯爵甘露寺受長の弟・方房に嫁ぐ)誕生。 |
| 1907年:東京女子高等師範学校附属幼稚園に入園。 |
| 1908年7月8日:妹・綾子(福澤諭吉の孫・堅次に嫁ぐ)誕生。 |
| 1916年:東京女子高等師範学校附属高等女学校(現・お茶の水女子大学附属中学校・高等学校)を中退し、津田梅子らの家庭教師について学習。 |
| 1922年7月:クリスチャンの外交官・沢田廉三と結婚してキリスト教に改宗。 |
| 1923年:夫・廉三のアルゼンチン・ブエノスアイレスへの転任に伴い同行。 |
| 4月8日、祖母・喜勢死去。 |
| 1924年:廉三の中国・北京への転任に伴い同行。 |
| 次男・久雄(声楽家・安田祥子の夫)誕生。 |
| 1925年:三男・晃(洗礼名ステパノ、聖ステパノ学園及び聖ステパノ農場の名はここに由来)誕生。 |
| 1927年:日本に帰国。 |
| 1928年:長女・恵美子誕生。 |
| ニューヨークで澤田家はグレース・ケリーと交友をもち、美喜・恵美子母娘の親しい友人となっていく。 |
| そしてのちにグレース王妃は美喜の活動を助けていくことになる。 |
| 1931年:夫・廉三の英国・ロンドンへの転任に伴い同行、孤児院ドクター・バーナードス・ホーム訪問。 |
| 院長の『捨てられた子を引っ張りだこになるような人間に変えるのは、素晴らしい魔法だ』という言葉に感銘を受ける。 |
| 1933年:夫・廉三のフランス・パリへの転任に伴い同行、ジョゼフィン・ベーカーと出会い友人となる。 |
| このころマリー・ローランサンの弟子となる。 |
| 1935年:夫・廉三の米国・ニューヨークへの転任に伴い同行。 |
| パール・S・バックと出会い友人となる。 |
| 1936年:米国より帰国。 |
| 1937年9月12日:妹・澄子死去。 |
| 敬虔なクリスチャンとなった美喜の影響もあり、死に際して洗礼を受ける。 |
| 1939年:日系2世留学生を受け入れる外務省施設「敝之館(へいしかん)」「瑞穂館」の設立に伴い、瑞穂館の応援団長となる。 |
| 入館者の相談によく乗り、また野球チームのマネージャーになるなど、母親のように慕われた立花譲『帝国海軍士官になった日系二世』(築地書館、1994)80頁。 |
| 1944年3月10日:母・寧子死去。 |
| 1945年:三男・晃がインドシナ沖で戦死。 |
| 海軍志願兵だった。 |
| 終戦後、旧岩崎邸の本館がGHQ/SCAP参謀部G2(情報部)に接収され、和館での生活を余儀なくされる。 |
| 1947年にはG2所属の日系2世職員家族が同居し、美喜は誕生した子供の育児指導をしている立花譲『帝国海軍士官になった日系二世』(築地書館、1994)202頁。 |
| この職員は元帝国海軍中尉で、美喜の長男沢田信一と同部隊という縁があった。 |
| 1947年2月:列車内で死亡した混血児の母親と間違われ、混血児救済を決心。 |
| 1948年2月:孤児院エリザベス・サンダース・ホームを設立する。 |
| 進駐軍と日本政府から迫害をうけ、経営は窮乏を極めた。 |
| 1949年:ホームの寄付金を募るためにアメリカで講演会を行う。 |
| このころ、後にモナコ王妃となるグレース・ケリーの知己を得る。 |
| 1950年:ホームに基金を作るため、再びアメリカで講演会を行う。 |
| 1953年:学校法人聖ステパノ学園を創立。 |
| ホームの小学校と中学校である。 |
| 1955年12月2日:父・久弥死去。 |
| 1962年:ブラジルのアマゾン川流域の開拓を始め、聖ステパノ農場を設立。 |
| 孤児院の卒園生が数多く移住。 |
| 1967年:4月2日に三兄・恒弥が、9月8日に長兄・彦弥太が相次いで死去。 |
| 1970年12月8日:夫・廉三死去。 |
| 1980年5月12日:スペインのマヨルカ島にて心臓発作のため78歳で急死。 |