| 1972年3月に9歳で家元を継承し東大阪市弥刀東で初櫓に上がる、小学生の頃から盆踊りの櫓で太鼓等を演奏、浪曲の初代京山幸枝若の伴奏や天童よしみのバックで太鼓を叩いていたこともある。 |
| 高校時代はバンド活動もしていた。 |
| 1980年、なんば花月が初舞台であるが、デビュー前は松竹芸能の劇場で活躍していた生駒一の元に足を運び、河内音頭の口説き(舞台芸としての音頭)のいろはを学ぶ。 |
| 新世界新花月でも生駒一のギター伴奏を務めていた。 |
| 1984年、新しい流派『新聞詠み』を興し、以来大阪を拠点に歌う。 |
| エレキギター、シンセサイザーなどを用いて、「グリコ・森永大事件」、「豊田商事事件」、「リクルート事件」、「阪神タイガース優勝物語」、「ワイは横山じゃ!」、「喜劇王・藤山寛美一代記」「アントニオ猪木一代記」「美空ひばり一代記」など、世相・事件を題材にした曲を発表。 |
| グリコ森永事件が起こった時には、犯人が書いた脅迫状にメロディーをつけ、アルバムに収録したこともある。 |
| その曲はワイドショーなどで多用されたため、歌詞の印税だけですでに数百万円に及んでいるのだが、「作詞者はグリコ森永事件の犯人」であるとして菊水丸は受け取っておらず、現在JASRACが全額を保管している。 |
| 1990年代前半は海外でのライブも多く、イラク、北朝鮮、ソ連、エジプト、ギリシャ、イタリア、チュニジア、フランス、キューバ、ガダルカナル、北方諸島などで行っている。 |
| イギリスのテレビ局では特集が組まれ、それを見たBBCからも出演依頼が来た。 |
| 音楽番組「イースタン・ヒット」に出演。 |
| 1991年、リクルートのアルバイト情報誌「フロム・エー」のテレビCMソング「カーキン音頭」が8万枚以上「91ヒットCM――リクルートフロムエーの『フロム・エー』」『日経流通新聞』1991年12月26日付、1面。 |
| を売り上げる大ヒット、全国区進出を果たす。 |
| リクルート事件をモチーフにした曲を発表したこともあるにも関わらず、同社刊行のアルバイト求人誌「フロム・エー」の仕事を受けるという一見信じられないような珍事であり、当然リクルート側が「えっ?菊水丸…、なんかしませんでしたか?」と問い合わせたが、吉本側は「いいえ、全然関係ありません」と言い張ったそうである。 |
| 同年ソ連崩壊3日前に赤の広場でゲリラライブ「ゲリラライブ」という言葉の語源は菊水丸が最初に用いたとされる。 |
| (本人が度々TVで発言)敢行。 |
| 音楽・お笑い・政治を融合した新聞詠み河内音頭という横断的なジャンルであったため、全国区進出後は出演番組も「ミュージックステーション」「NHK紅白歌合戦」などの歌番組、「さんまのまんま」「笑っていいとも」「徹子の部屋」「ライオンのごきげんよう」などのトーク・バラエティ、「朝まで生テレビ」「おはよう!ナイスデイ」などの政治・ニュース番組などと多岐にわたった。 |
| 1998年、東大阪市の架空住民登録容疑事件に絡み逮捕された市長の進退をめぐり、市役所前で「東大阪市長 やめさらせ!音頭」を披露した。 |
| 2002年、日韓ワールドカップの日本対チュニジア戦で国歌斉唱の依頼があったが、辞退したため各紙で物議を醸した。 |
| 辞退理由として「僭越である」と述べた。 |
| 結局この試合の君が代は演奏のみとなった。 |
| 2005年1月24日、東京都渋谷区のNHK放送センター前の路上で、漫才師の西川のりおとともに、海老沢勝二NHK会長(当時)の解任を求めるゲリラライブを行い、海老沢を痛烈に批判する「怒りの河内音頭」を披露した。 |
| 2006年8月19日、大阪府貝塚市での盆踊りで、「通算8,888櫓」を達成する。 |
| 2005年→2006年、2006年→2007年、2007年→2008年は兵庫県洲本市の商店街「コモード56」で年越しを迎えた→「ニューイヤーフェスティバル」。 |
| 2007年の「YOSHIMOTODIRECTOR'S100~100人が映画撮りました~」では、自身の少年期を描いた「田中徳三監督少年河内音頭取り物語」で、クレジット上ながら映画監督デビューを果たした。 |
| 実際には、田中徳三監督の作品(「座頭市」「悪名」など)が好きだったことから、タイトルにある通り大部分の撮影を田中徳三に依頼。 |
| また、キャンディーズ時代からのファンだった縁で、田中好子の出演を実現させた。 |
| ちなみに、田中徳三は、同作品公開直後の同年12月27日に逝去。 |
| 同作品が事実上の遺作になった。 |
| 2007年11月1日、パーソナリティーを務める、MBSラジオ「さてはトコトン菊水丸」により自身のMBSラジオでのパーソナリティ出演が「冬眠返上菊水丸」から数えて1,800回を迎えた。 |
| 2007年11月30日、自身初となる中国・上海講演に菊水丸一座で出発。 |
| メインパーソナリティを務める、MBSラジオ「さてはトコトン菊水丸」は前日に録音したものを放送。 |
| 連続出演記録は出陣式を行った関西国際空港より電話出演でつないだ。 |
| 2008年4月15日、大阪芸術大学芸術学部芸術計画学科客員教授(日本文化史)に就任。 |
| 2009年2月3日に、「さてはトコトン菊水丸」を同年3月27日で終了させるとともに、盆踊りシーズンが終わる同年9月末で「新聞詠み河内音頭家元」を返上することを発表。 |
| 今後は、「伝統河内音頭継承者」という肩書きで、正調河内音頭の音頭とりとして伝統の保存と継承に専念することを明かした。 |
| なお、同番組が終了してからは、公式ブログを開設。 |
| 古典、古い節回しの発掘、他流派の師匠連への稽古通いなどをしながら、ブログで近況を報告している。 |
| 2011年6月15日には、漫才師としての活動のかたわら1年間弟子として修業を積ませてきた鰻和弘(銀シャリ)に、「河内家上り丸(のぼりまる)」を襲名させている。 |
| 2009年8月23日、衆議院議員総選挙をネタにした新聞詠みを発表。 |
| この時点では、「新聞詠みとしての最後の作品」としていた。 |
| しかし、東日本大震災発生後の2011年6月に、「新聞詠みネタ」の封印を自ら解くことを表明。 |
| 同月22日に兵庫県姫路市で開かれた「姫路ゆかたまつり」へ出演した際に、同震災からの復興を祈願する目的で、「姫路から、がんばろう日本音頭」を披露した「 |
| 売上金の一部を、被災地域への義援金に充てることを表明している。 |