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プロフィール
- 河合奈保子とは
- 人物
- デビューまで
- アイドル歌手時代
- アイドル以外の仕事へ
- 長期休業
- 概要
- シングル
- レギュラー出演
- 関連サイト
河合奈保子(かわいなおこ、1963年7月24日-)は、日本の女性歌手、シンガーソングライター、女優。
人物
| 視力は、両眼とも0.04。 |
| 所属事務所は芸映プロダクション、レコード会社は日本コロムビア(旧:コロムビアミュージックエンタテインメント)に所属していた。 |
| 1980年代の人気女性歌手・アイドルの一人である。 |
| 彼女の代表曲として「エスカレーション」「スマイル・フォー・ミー」「夏のヒロイン」「けんかをやめて」(オリコンチャートシングル売上記録順)などが挙げられる。 |
| 歌以外にもピアノ・ギター・マンドリン・シンセサイザーを演奏し、作詞作曲も自ら手掛けるなど、高い音楽性を備えていた。 |
| 加えて、後のグラビアアイドルにも通じる明るい笑顔とスタイルは雑誌のグラビアやアイドル水泳大会を度々飾り、写真集は2011年の現在もなお古書市場で根強い人気を保っている(本人は他のアイドルと比べ、ややぽっちゃりした体躯を気にしていた)。 |
| 天真爛漫で素直な性格は幅広い世代に愛され、好感度調査でも常にバランスの良い指数を維持していた。 |
| また、後には中西裕の漫画「あしたのナオコちゃん」のモデルにもなった。 |
| 1996年2月1日、記者会見にてヘアメイクアップアーティストの男性との婚約を発表。 |
| 同年2月6日に婚姻届を提出。 |
| 翌1997年の第一子出産を契機に芸能活動を停止する。 |
デビューまで
| 大阪市住之江区出身。 |
| 1963年7月24日、浪速区の愛染橋病院において会社員の父親の長女として誕生(2400グラムの未熟児)。 |
| 3歳年下の妹がいる。 |
| 粉浜小学校入学と同時にピアノのレッスンを受ける。 |
| 小学生の時の夢は保母さんになる事だった。 |
| もし歌手にならなかったら保母さんになりたかったと後に語っている。 |
| 住吉第一中学校時代はフォークソングクラブに所属、中学2年の秋に『スター誕生!』に応募するが、この時は書類選考の段階で選外となる『別冊近代映画 河合奈保子特集号』(近代映画社刊1981年)。 |
| 1979年に当時女子高だった私立大阪女子学園(現:大阪夕陽丘学園高等学校)に進学し、全国的に有名なマンドリン部に入部する。 |
アイドル歌手時代
| 1979年12月、芸映プロが主催した「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」に応募。 |
| 河合がオーディションを知ったのは締切の直前で、応募書類とデモテープを作成して送ったのは締切前日だった。 |
| オーディションの選考過程もほとんど紙一重で、大本恭敬の「理想の声に近づく本」によれば、大阪の地区予選も一旦は最終審査に残らず、当初の定数1名に対して特別に2人目の代表として選出された最初に選考され、河合と共に決勝大会に進んだもう一人の大阪代表は後の小林千絵『さんまのまんま』フジテレビ1996年3月1日(2月29日深夜)放送分。 |
| 翌1980年3月16日に中野サンプラザで開催された決勝大会において応募総数25,160名の中から優勝する。 |
| オーディション応募テープでは「オリビアを聴きながら」を、決勝大会では「春ラ!ラ!ラ!」を歌った。 |
| 決勝大会の選考も議論が白熱してなかなか決まらず、最終的には当時一世を風靡していた「山口百恵の亜流」からは対照的な「普通のお嬢さん」が決め手になったという。 |
| 同月末に上京して歌の猛特訓を受けた後、1980年6月1日に「大きな森の小さなお家」で「西城秀樹の妹」という触れ込みと共に歌手デビュー。 |
| この過程で明治大学付属中野高校夜間部に編入し、後に卒業。 |
| デビュー時のキャッチフレーズは、「ほほえみさわやかカナリー・ガール」。 |
| 2枚目のシングル「ヤング・ボーイ」が19万枚のヒットとなり各音楽祭の新人賞を受賞する。 |
| 以降、同期デビューの田原俊彦、松田聖子、柏原芳恵(当時・よしえ)らと共に1980年代の歌謡番組の常連として活躍した。 |
| 特に柏原よしえとは奇しくも同郷の大阪市出身であり、歌手デビュー前から二人は大の仲良しであった。 |
| デビュー2年目の1981年10月5日、NHKホールでの『レッツゴーヤング』のリハーサル中、誤って4m下のセリ穴に転落し第一腰椎圧迫骨折の重傷を負う。 |
| 第一報は、この日出演する予定だった『ザ・トップテン』の中で速報として伝えられた。 |
| 約2ヶ月間の療養の後、同年11月30日放送の『夜のヒットスタジオ』より復帰を果たす。 |
| 同年12月31日の第32回NHK紅白歌合戦に「スマイル・フォー・ミー」で初出場しトップバッターを務めた。 |
| 翌年4月頃まで療養のためにコルセットを腰に装着して芸能活動を行う療養の経緯は、自筆エッセイ「わたぼうし翔んだ―奈保子の闘病スケッチ―」に詳しい。 |
| NHK紅白歌合戦に初出場した際は、転落事故からの復帰直後で、かつ事故現場のNHKホールだったが、本人によればリハーサルは恐怖感が先に立ったものの、本番の出番寸前に不安や緊張が全て消えたという『わたぼうし翔んだ奈保子の闘病スケッチ』(ワニブックス刊1983年)。 |
| ライブコンサートは1980年代の後半まで、ほぼ全国を対象に年50〜60回前後のペースで行われたファンクラブ会報のスケジュール表より。 |
| 主なものとしては、春の全国ツアー、秋に東京名古屋大阪で開催されたリサイタル、そして1983年から1988年まで7月24日の誕生日に東京よみうりランドのEAST野外ステージで行われたバースデイライブが特筆される。 |
| EASTライブは6回全てが映像ソフト化されている。 |
アイドル以外の仕事へ
| 1984年発表のアルバム「デイドリーム・コースト」では録音から制作に参加、それを契機に音楽の制作面にも深く関与してゆく。 |
| 1985年、ベストアルバム「NAOKO22」のボーナストラックという形で自作曲を発表、コンサートでも次第に自作曲の割合が増え、1986年には初の全作曲オリジナルアルバム「スカーレット」を発表。 |
| 当時最年少で日本作曲家協会の協会員としての認定を受ける。 |
| 以降のアルバムにおいてはボーカリスト・作曲家・サウンドプロデューサーとして自らの音楽を追究してゆくことになった。 |
| 1987年4月のKBS京都の交通安全キャンペーン「かたつむり大作戦」のキャンペーンソングの歌詞募集の選考し、その詩に自ら作曲した『やさしさの贈り物1988年発売の『悲しい人』のB面に収録』を「かたつむり大作戦」の会場「KBSホール」から歌唱した。 |
| 1980年代後半〜1990年代初期にはアジア圏への進出を目指して香港でのライブコンサートを定期的に開催した。 |
| またこの時期はテレビドラマやミュージカルにも積極的に出演し、活躍の場を広げた。 |
| 1985年のアニメ映画『ルパン三世バビロンの黄金伝説』では主題歌と共に声優として出演。 |
| 1989年には、ミュージカル『THELOVERinME〜恋人が幽霊』に出演。 |
| 同作品では作曲も担当し、第27回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞および最優秀新人賞を受賞した。 |
| テレビドラマでは、『さすらい刑事旅情編』、『ママじゃないってば!』に出演。 |
| 以来、数々のサスペンスや単発ドラマで女優としても評価を得る。 |
| 1988年に岐阜市で行われた「ぎふ中部未来博」で、メインパビリオンであるスカイマックス未来館の館内環境音楽を担当した。 |
| 1989〜1990年には、ザ・ジェントル・ウインド名義のセッションアルバム「TearsofNature」、「GentleVoice」で全作曲を担当すると共に、キーボード奏者兼バックグランドボーカルとして参加し、ミッキー吉野らと共演したこともあった。 |
長期休業
| 1996年2月1日、記者会見にてヘアメイクアーティスト金原宜保との婚約を発表。 |
| 同年2月6日に結婚。 |
| 翌1997年の第一子出産を契機に芸能活動を停止する。 |
| 2005年6月に芸映プロ公式HPの所属タレント一覧から項目が削除されたが、このとき芸映から所属に関する発表はされなかった。 |
| 2006年4月26日にiTunesMusicStore限定で自作ピアノ作品集「nahoko音「nahoko音/blue」「nahoko音/orange」2作品同時リリース。 |
| 」を発表した。 |
| 同年11月28日にはCD化もなされ、同時に公式ウェブサイトが開設された。 |
| 2008年12月21日付の竹内まりやのブログ |
| 2009年10月19日放送のSUPERSURPRISEにおいて既に芸映に所属していない事が報じられたこの際にオーストラリア在住である事もテレビでは初めて報じられた。 |
| 2010年4月、楽曲提供した池田泉州銀行のCMが関西地区で放映された。 |
| 2010年10月26日発売の光文社発行の雑誌「FLASH」2010年11月9・16日号で「独占取材」という形で、オーストラリアでの近況についての記事が掲載された。 |
| この中で自身の現在のことと将来のことに関して「今は専業主婦がメインだが、音楽活動が出来ることになれば皆さんの前できちんとご挨拶できたら良いです」という旨のコメントを寄せている。 |
概要
| 河合の音楽面でのトータルプロデュースは1983年〜1988年迄は売野雅勇が、1989年〜1992年迄はミッキー吉野がそれぞれ務めた。 |
| 1993年発表のアルバム『engagement』では吉元由美と河合奈保子の共同プロデュースとなっている。 |
| また、1985年から1988年まで宮島律子とMRie(宮島理絵)のユニットMILKがバックコーラスを務めたことがあった。 |
| シングルは1980年から1994年迄の間に36枚が発売された。 |
| オリコンチャートでは内21枚がベスト10(週間チャート)入りし、「デビュー/MANHATTANJOKE」(両A面)が週間売り上げ1位を獲得しているシングル売り上げは6年目まで10〜30万枚と安定的な数字を挙げ、累積売り上げも400万枚を超え、1980年代の女性アイドルの中では比較的高い実績を残した。 |
| また、『ザ・ベストテン』の通算チャートイン23曲は田原俊彦・近藤真彦・松田聖子に次ぎ、中森明菜と並ぶ歴代4位の数字を残している。 |
| その反面、いわゆる代表曲と言われる突出したヒット曲には恵まれず、オリコンチャートの年間ベスト20以内に入った歌は1曲もない。 |
| そのため現在では懐かし系の音楽番組で取り上げられる機会が少なく、紅白歌合戦に6回出場しながら2005年にNHKが実施した聞きたい歌アンケート(スキウタ)の候補600曲には1曲も選ばれないなど、通算実績の割に歌手としての記憶が薄い原因となっている(ただし、1980年代におけるアイドルとしての存在感は松田聖子と双璧ではあった)。 |
| アルバムは1980年から1993年までに、オリジナル盤はミニアルバム1枚を含む計19作品、ライブ盤は4作品発売された。 |
| またベスト盤は2007年までに16作品とCD-BOX3作品がそれぞれ発売された。 |
| この他に高橋伸明とのデュエット盤が1作品発売されている。 |
| オリコンチャートでは内14作品がベスト10入りし、『あるばむ』で週間売り上げ1位を獲得しているアルバム(アナログレコード)の総売り上げは約140万枚強で、これは同時代に活動した若手女性歌手の中では松田聖子、中森明菜、小泉今日子、八神純子に次ぐ数字であり、奇しくも兄貴分の西城秀樹の実績とほぼ同じである。 |
| 個々のシングルの売り上げと比較して、アルバムの売り上げでは健闘した点が音楽セールス上の特徴である。 |
| TBSの『ザ・ベストテン』には1980年から1986年までの7年間に23曲、計94週チャートインした。 |
| 最高位は「夏のヒロイン」「エスカレーション」「疑問符」の3位。 |
| 『NHK紅白歌合戦』には1981年から1986年まで、6回連続で出場していた。 |
| なお、1985年の『第36回NHK紅白歌合戦』では、ステージ登場の直前に吉川晃司のパフォーマンスの影響により、「デビュー」の出だしが歌えなかったというハプニングがあった。 |
| 2011年1月14日の『ミュージックステーション』にてシングル、アルバムの総売上が653万牧である事が公表された。 |
シングル
| #大きな森の小さなお家(1980年6月1日)。 |
| #:作詞:三浦徳子作曲・編曲:馬飼野康二。 |
| #ヤング・ボーイ(1980年8月25日)。 |
| #:作詞:竜真知子作曲:水谷公生編曲:船山基紀。 |
| #愛してます(1980年12月10日)。 |
| #:作詞:伊藤アキラ作曲:川口真編曲:船山基紀。 |
| #17才(1981年3月10日)。 |
| #スマイル・フォー・ミー(1981年6月1日)。 |
| #:作詞:松本礼児作曲:馬飼野康二編曲:竜崎孝路。 |
| #ラブレター(1981年12月5日)。 |
| #エスカレーション(1983年6月1日)。 |
| #Goldensunshineday(1992年6月21日)-「近藤正臣の味覚人情報」(毎日放送製作・TBS系)テーマソング。 |
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1963年
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河合 奈保子(かわい なおこ)は、日本の女性... |
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当時女子高だった私立大阪女子学園(現:大阪... |
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