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プロフィール
- 河本育之とは
- プロ入り前
- プロ野球選手時代
- プレースタイル
- その他
- 年度別投手成績
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 関連項目
河本育之(かわもとやすゆき、1967年10月21日-)は、山口県熊毛郡田布施町出身の元プロ野球選手(投手)。からは読売ジャイアンツの二軍投手コーチを務めている。現役時代の愛称は、 ヤス、カワホン。
プロ入り前
| 幼少時は巨人の星に憧れ、田布施西小学校で野球部に入った。 |
| 中学時代は同級生だった松村邦洋と野球部でバッテリーを組んでいたこともある。 |
| 田布施工高では軟式野球の投手を務め、2年時の秋の周防地区大会では準々決勝から決勝まで3試合連続でノーヒットノーランを記録。 |
| 特に準決勝・決勝はダブルヘッダーだったため、一日で2回のノーヒットノーランを達成している。 |
| 3年夏には同校初となる全国大会に出場し、1回戦の岐阜商業戦で初回から6連続三振など15奪三振の投球をするも、四球などもあって0-3で敗退した。 |
| また高校時代には1試合24奪三振という記録も残している。 |
| 高校卒業後、に社会人野球の新日鐵光に入社してから硬式野球を始めた。 |
| 翌には日本鋼管福山の補強選手として、初めて都市対抗に出場した。 |
| その後には協和発酵の補強選手として本田技研との一回戦で4回を無失点に抑え、勝利投手となっている毎日新聞、2002年8月28日付朝刊、山口地方面。 |
| 1991年のプロ野球ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから2位指名を受けて入団。 |
| 契約金、年俸はそれぞれ6,800万円、720万円(いずれも推定)だった読売新聞、1991年12月6日付朝刊、P.19。 |
プロ野球選手時代
| 1年目のは4月8日の対ダイエー戦で初登板し、打者9人を相手に7連続奪三振などの快投を見せた週刊ベースボール、2008年2月4日号、P.86。 |
| これでプロで投げていく自信がつき、4月は2勝0敗4セーブ、防御率0.00の成績を収め、新人では史上3人目となる4月の月間MVPを受賞した。 |
| 同年はオールスターにも出場しており、千葉マリンスタジアムの第2戦では古田敦也に二塁打を打たれてサイクル安打を達成され、秋山幸二に怒られた。 |
| また、第3戦に登板した時は内野手が全員西武の選手で、この強力なバックで投げてみたいと感じたという。 |
| この年はチームの抑えを務めて19セーブを挙げ、オフの契約更改では1,130万円増の年俸1,800万円となっている毎日新聞、1992年12月9日付朝刊、P.20。 |
| 開幕直後に成本が故障したには主に吉鶴憲治とバッテリーを組み週刊ベースボール、1998年3月2日号、P.54、4月13日の対西武戦から球団新となる12連続セーブポイントを記録し、この間の防御率は0.00だった。 |
| この活躍で4月は自身2度目の月間MVPを受賞し、最終的にはリーグ最多の25セーブを挙げた。 |
| なお、最優秀救援投手のタイトルは2SP差で赤堀元之が獲得している。 |
| 同年オフには赤堀並みの評価を求めて単年1億8,000万円を要求したが認められず、年明けの1月19日にはトレード志願を明らかにし、直後の1月24日にチームの日本人最高額となる2年契約の年俸1億5,000万円(いずれも推定)で契約を更改した週刊ベースボール、1998年2月9日号、P.129。 |
| しかしは開幕直後に左肩の炎症が発して二軍での調整となり、不在の間にチームは18連敗を喫した。 |
| 翌はブライアン・ウォーレンが抑えを務め、同年に就任した山本功児監督の方針もあって主に敗戦処理に回された。 |
| シーズン2回目の二軍行きとなった8月頃から違う球団に行ってやり直したいと考え始め週刊ベースボール、1999年11月29日号、P.13、オフに石井浩郎との交換トレードで巨人に移籍した。 |
| 巨人では中継ぎとして2度の優勝を経験し、シーズン途中に中村隼人との交換トレードで日本ハムに移籍した。 |
| 同年オフ、日本ハムに自由契約を申し入れて承諾される。 |
| ソフトバンクと楽天のトライアウトに合格し、中堅が手薄なため現役を長く続けられそうな事と球団創設という稀少なタイミングである事から楽天への入団を決めたSportiva、2005年5月号、P.31。 |
| 野村克也監督からは短いイニングでの先発も勧められたが中継ぎにこだわり週刊ベースボール、2008年2月4日号、P.89、5月20日の対巨人戦で楽天での初勝利を挙げている。 |
| 9月12日の対オリックス戦(フルキャストスタジアム宮城)で史上82人目の通算500登板を達成し、これが最終登板となった。 |
| 10月に戦力外通告を受けて12球団合同トライアウトに参加するも獲得する球団はなく、巨人主催の少年野球教室「ジャイアンツアカデミー」のコーチに誘われた事もあって現役を引退した。 |
プレースタイル
| 投げ終わった後にバランスが崩れかねないほど体を前に出すイメージを持ち、打者のタイミングを外すよう右肩の開きを抑える投球フォームだった「本」、1997年8月号、P.43。 |
| 三振に強いこだわりを持っていたが、肩の故障後は多くの投手に助言を求め、ゴロを打たせる投球を心がけるようになったという週刊ベースボール、2008年2月4日号、P.89。 |
| ロッテでは小林雅英に次ぐ球団史上2位(2010年現在)の通算93セーブを記録し、もう一度プロ野球選手になってもリリーフをやりたいと語っている。 |
| リリーフで重要なのはコンディション調整と集中を高めることで、打たれてもすぐに切替が必要だが、抑えて当然と言われて結果を出すのが醍醐味だったという週刊ベースボール、2008年2月4日号、P.90。 |
| なお指名打者制のパ・リーグに長く所属し、かつリリーフのため打席にはほとんど立たなかったが、ロッテ時代は必ず打撃練習に参加し本塁打を連発していた週刊ベースボール、1997年6月23日号、P.109。 |
その他
| 同学年の清原和博には独特のオーラを感じ、対戦した全選手の中で最も熱くなった相手で真っ向勝負を挑んだ。 |
| 8月2日に初めて本塁打を打たれた翌日には練習中に清原がガッツポーズをしながら走ってきたという。 |
| なお、大阪ドームのこけら落としトーナメントでは速球を投げて3階席まで届く本塁打にされている。 |
| また、最も思い出深い一球としては落合博満から見逃し三振を奪った内角低めの速球を挙げている。 |
| 同時期にパ・リーグでリリーフを務めた赤堀元之については、自身と同様に2イニング以上を抑える事の多かった点を高く評価し、リリーフとして間違いなくNo.1だったとしている。 |
| 主人公・毒島大広と同じムーヴィング・ファストボールを投げるため、『ストッパー毒島』には度々河本の名が登場した。 |
| 現役時は球界最年長独身選手としても知られていた。 |
| 趣味は車で、一時はメルセデス・ベンツの乗用車を3台所有していた。 |
| 顔つきは特別怖いという訳ではないが、殆ど笑わない性格と眉毛の薄さが相まって、強面のキャラという事で珍プレー等で取り上げられていた。 |
表彰
| 月間MVP:2回(1992年4月、1997年4月)。 |
記録
| 初登板:1992年4月8日、対福岡ダイエーホークス2回戦(千葉マリンスタジアム)、7回表に救援登板・完了。 |
| 初奪三振:同上、7回表にブーマー・ウェルズから。 |
| 初セーブ:1992年4月9日、対福岡ダイエーホークス3回戦(千葉マリンスタジアム)。 |
| 初勝利:1992年4月17日、対西武ライオンズ1回戦(千葉マリンスタジアム)、7回表に救援登板・完了。 |
| 初先発・初先発勝利:1993年10月19日、対西武ライオンズ26回戦(西武ライオンズ球場)。 |
| 初ホールド:2005年4月2日、対西武ライオンズ2回戦(フルキャストスタジアム宮城)。 |
| 500試合登板:2007年9月12日、対オリックス・バファローズ22回戦(フルキャストスタジアム宮城)、7回表に救援登板 ※史上82人目。 |
| オールスターゲーム出場:2回(1992年、1997年)。 |
背番号
| 46(1992年-1993年)。 |
| 27(1994年-2004年途中)。 |
| 35(2004年途中-同年終了)。 |
| 14(2005年-2007年)。 |
| 90(2010年-)。 |
関連項目
| 山口県出身の人物一覧。 |
| 千葉ロッテマリーンズの選手一覧。 |
| 読売ジャイアンツの選手一覧。 |
| 北海道日本ハムファイターズの選手一覧。 |
| 東北楽天ゴールデンイーグルスの選手一覧。 |
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1967年
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河本 育之(かわもと やすゆき)は、山口県熊... |
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1992年
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初登板:、対福岡ダイエーホークス2回戦(千... |
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