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プロフィール
- 河村たかしとは
- 生い立ち
- 大学卒業後、家業に従事
- 司法試験で挫折
- 政界入り
- 所属政党
- 人物
- 政策、政治活動
- 民主党代表選
- 名古屋市長選
- 河村シスターズ
- 関連サイト
河村たかし(かわむらたかし、1948年(昭和23年)11月3日–)は、日本の政治家。 減税日本代表。衆議院議員(5期)、裁判官訴追委員会第二代理委員長、 総務省顧問等を歴任。第21代・第22代名古屋市長(現職)。
生い立ち
| 1948年(昭和23年)11月3日、名古屋市東区古出来で河村鈊男(かねお)の長男として出生。 |
| 父・鈊男は、第二次世界大戦時には大日本帝国陸軍第101師団歩兵第101旅団指令部伍長として中国大陸に滞在。 |
| 1945年(昭和20年)の終戦直後から南京市の栖霞寺に滞在し、1946年(昭和21年)帰国。 |
| 1948年(昭和23年)に河村紙業合資会社を設立し、初代社長となった |
| 出生時の名前は河村隆之(隆之の読みは「たかし」)だったが現在は戸籍名を改めたため、本名も河村たかしである。 |
| 河村家は尾張徳川家に仕えた尾張藩士書物奉行の家系 |
| 学問の家柄で知られ、古くは多くの国学者を輩出した『国史大辞典』第7巻(吉川弘文館、1986年)。 |
| 河村秀根(国学者、尾張藩士)は先祖。 |
大学卒業後、家業に従事
| 名古屋市立桜丘中学校を経て、1967年愛知県立旭丘高等学校卒業。 |
| 1年間の浪人を経て、1968年(昭和43年)一橋大学商学部入学、1972年(昭和47年)に卒業。 |
| 大学1年次の途中まで一橋大学硬式野球部に所属。 |
| 大学時代は第二外国語のロシア語クラスで山内進(法学者・一橋大学学長)と同級生だった。 |
| のちに河村支援団体の連合体「ネットワーク河村市長」の代表を務める鈴木望(元磐田市長・元厚生省課長)は大学の1年後輩。 |
| 大学卒業後は家業の古紙回収業・卸売業の河村商事株式会社に入社(家業からは2002年(平成14年)に退き長男が継ぐ)。 |
| 河村商事株式会社は、河村入社当時従業員5名だったが、リサイクルブームの追い風を受け成長2011/01/08日本経済新聞、2009年現在従業員50名の中小企業であるhttp://www.kawamurashoji.jp/profile/gaiyo.html会社概要]河村商事株式会社。 |
| 河村商事では専務を務め、営業やトラックの運転手等などを行った。 |
| ちり紙交換業者に頭を下げて回り、古紙の回収先では、古紙回収業者が弱い立場にあるため、あごで使われ雑用も行わされた。 |
| また、業界でさきがけてプレス機を導入するなど、家業の拡張を図ろうとしたが、新工場の建設を「同業者の仕事を奪うことになる」と父に反対され頓挫した。 |
| 大学で学んだ労務管理などの学問は役に立たなかった。 |
| そのような中で次第に業者のギルド的体質への反発を持つようになり、検察官への転身を志すようになるAERA2009年6月29日。 |
司法試験で挫折
| 大学時代に知合った妻と1975年に結婚。 |
| その後、1977年(昭和52年)ころから検事を志すようになる。 |
| 昼間は家族を養うため家業に従事しつつ、商学部出身であり法律の勉強をしたことがなかったため、仕事後の夜学に通って法解釈学及び行政学を10年間勉強し、旧司法試験を9回受験、当時合格率が10%から15%程度だった |
| 第二次試験短答式試験には初受験で合格するなど計4回合格し平成19年3月20日衆議院法務委員会議事録予備校の成績もよかったものの、第二次試験論文式試験でいずれも不合格となり断念 |
| 人生再チャレンジをできる社会を実現するため政治を志すようになり、後に右派の政治家であり、反共の闘士であった民社党委員長春日一幸の秘書となったが、民社党を離党したため除名となった。 |
政界入り
| 1983年(昭和58年)に愛知県議会議員選挙に立候補するも落選。 |
| 1990年(平成2年)、河村商事株式会社専務等を経て第39回衆議院議員総選挙に旧愛知1区から、公認を得られないまま保守系無所属・宏池会新人候補として立候補するも落選。 |
| 1993年(平成5年)7月18日の第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認で旧愛知1区から立候補し初当選した(同区で春日事務所時代の同僚で同じく民社党を除名された青木宏之も初当選)。 |
| 同年8月の党役員人事で山田宏立法調整委員長(国会対策委員長に相当)の下で立法調整副委員長に就任した。 |
所属政党
| 1994年(平成6年)12月、日本新党の新進党への合流に伴い新進党入り。 |
| 新進党ではNPOパートナーズ(1995年3月)の座長を務め、新進党NPO法案作成の実質的主導者として3月19日の「特定非営利活動促進法」成立に尽力。 |
| なお、NPOの財政基盤強化のため必要不可欠な寄付金控除を認める税制改正は、与党の反対で実現できなかった。 |
| 1996年(平成8年)10月20日、第41回衆議院議員総選挙では、新進党公認で出馬し再選。 |
| 1998年(平成10年)1月6日、新進党が分党して結成された自由党に参加。 |
| 同年3月19日の「特定非営利活動促進法」成立を区切りとし、4月に離党。 |
| 無所属(院内会派「無所属の会」)となった。 |
| 同年12月、民主党に参加。 |
| 2000年(平成12年)6月25日、第42回衆議院議員総選挙で愛知1区から民主党公認で3選。 |
| 2002年(平成14年)9月の民主党代表選挙では、菅直人、鳩山由紀夫の二枚看板(いわゆる「鳩菅体制」)に危機感を覚え、世代交代を図るため野田佳彦、前原誠司、松沢成文らと「第二期民主党をつくる有志の会」を結成した。 |
| 2003年(平成15年)11月9日、第43回衆議院議員総選挙で愛知1区で4選。 |
| 2005年(平成17年)4月、名古屋市長選挙に出馬を表明したが断念した。 |
| 2005年(平成17年)9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、民主党劣勢の中、自民党候補などを大差で下し5選した。 |
| 2009年(平成21年)1月25日、名古屋市長選へ再度かつ今度は「不退転の決意」での出馬表明。 |
| (以後の展開は、#名古屋市長選の節、あるいは#名古屋市長としての節へ)。 |
| 2009年(平成21年)10月30日総務省顧問(地域主権関係)に就任。 |
| 2010年(平成22年)10月5日菅改造内閣発足に伴い総務省顧問退任。 |
人物
| 名古屋ことばを公においても使用し、自ら「名古屋から総理を狙う男」と公言してはばからない。 |
| 選挙期間中は街宣車を極力使わず徒歩や自転車による街宣活動(本人曰く「自転車での街宣活動は自分が最初」と発言)を行い、庶民型政治家をアピールしたただし本人の後ろに街宣車が併走している。 |
| 大学時代から作業着、草履ばき、名古屋弁で行動しており、大学時代に知り合った鈴木望元磐田市長は、自分とは違う開けっぴろげな性格に惹かれ、交友を深めたという中日新聞2011年1月3日。 |
| 方言について「地方の言葉を○○弁と呼ぶのは地方差別で間違っている。 |
| 東京語は標準語ではなく共通語。 |
| 名古屋弁は名古屋ことばと言うべし」と発言した。 |
| かつて逓信委員会で河村がNHK会長に指摘し、その後NHKは○○弁をやめ○○ことばと改めた。 |
| ジャーナリストの佐野眞一は泥臭く分かりやすく短いキャッチフレーズを用いるところなど、河村がかつて秘書として仕えた春日一幸元衆院議員との類似性を指摘する2011/01/08日本経済新聞。 |
| 長年中小企業に従事していた経験からリアリストを自認する。 |
| 石川知裕衆議院議員は選挙の鉄則として河村から、「若いウグイス嬢を使うと中年女性の反感を買う」ので若いウグイス嬢は使ってはならないこと、顔を売るために街宣車の100メートル後ろを自転車で走るといいこと、取れない票は割り切って捨てるべきであることなどという現実的・実践的アドバイスを受けたというAERA2009年6月29日。 |
| また公職選挙法では、公示前に実名入りのタスキを使用することが禁じられていることから、「本人」と書かれたタスキを使用していた。 |
| その後、「本人」と書かれたタスキが、政党、候補を問わず広く使われるようになった「タスキに「本人」増殖中…公選法スキ突く奇策」読売新聞2009年8月7日。 |
| 河村の親友である西村眞悟があるテレビ番組で語ったところによると、河村は春日一幸の秘書時代に、春日自身から夫と死別した愛娘と結婚する様に勧められたという。 |
| 既に妻子があった河村が固辞したところ、春日は「そんなことは関係ない!」と語ったとされる。 |
| 平沢勝栄や田中康夫とも親しい。 |
| テレビに出演した際の最初の挨拶は、必ず「ご厄介になります」。 |
| クイズ$ミリオネア「現役政治家大会」に出演し、総理になる身として1千万円獲得は当たり前と豪語したが、ライフラインを中盤で使い切ってしまい、あえなく脱落した。 |
| ビートたけしのTVタックル、たけし・逸見の平成教育委員会、日本を救うのは私だ!大改革!!法案ファイト!、スーパーモーニング、たかじんのそこまで言って委員会、みのもんたの朝ズバッ!などの政治討論番組の他にもクイズ$ミリオネアなどのクイズ番組などメディアへの出演が多く見られ、知名度が高い。 |
| 「燃えよドラゴンズ!」を「名古屋の国歌」とまで言い切るほどのお気に入り。 |
| 前述の「おふくろさん」を十八番(好きな曲)にし、かつファンクラブ会員であるほどの森進一好き。 |
| 2009年(平成21年)8月1日の世界コスプレサミットで機動戦士ガンダムのアムロ・レイのコスプレを披露した。 |
| これが「むしろ、同じガンダムのリュウ・ホセイの方が似ているのでは?」とネット上で話題になった。 |
| 2010年(平成22年)1月23日に放送の特撮番組「トミカヒーローレスキューファイアー」に市長役でゲスト出演した。 |
| ジャーナリストの角田裕育によると、常連寄稿している紙の爆弾誌の依頼で取材に赴いたところ、河村に関して同誌が誤報をしたため、角田が書いた記事でもないのに、会うなり烈火の如く怒られたと不満をブログで述懐している。 |
| 尚、奇遇にも角田と初対面となるその日は河村が名古屋市長選に出馬表明する意図がマスコミ報道された日で事務所はテンヤワンヤしており、当時秘書の田中美絵子もいたが目立った存在ではなかったという。 |
政策、政治活動
| 1999年(平成11年)7月22日、衆院本会議の国旗国歌法案の採決では反対票を投じた。 |
| 2007年(平成19年)1月19日に放送された文化放送の番組内で、番組の放送開始当初から誓約していたとおり、赤坂の議員宿舎には入居せず、地下鉄千代田線沿線の自身で賃貸契約したマンションに“自腹”で入居した事を告知した。 |
| 2006年(平成18年)10月6日、自民党の筒井隆彌愛知県議会議員を、名誉毀損で愛知県警に告訴した。 |
| 内容は「宮沢派を勝手に標榜している、仲間の議員は誰も推薦人になっていない」などの中傷の言葉が筒井のホームページに並べられていたため。 |
| 慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会の会員でもあり、慰安婦問題と南京事件に対しては日本政府の責任を否定する傾向にある。 |
| 慰安婦問題に関しては2007年(平成19年)6月14日に歴史事実委員会の全面広告に賛同者として名を連ね、米下院121号決議の全面撤回を主張した。 |
| 地方議員はボランティアであるべきとし、議員報酬を廃止し、保護司や民生委員らと同じく無給とすべきと主張。 |
| 国会議員時代は「『議員特権廃止』を訴える以上、自らを律するべき」との下、文書通信交通滞在費全額を民主党支部と自らの資金管理団体(「河村たかし政策研究会」)に寄付して、政治活動経費として使い、自らの財布に入れないとした。 |
| (寄付した1200万円/年は、「河村たかし政策研究会」と愛知一区総支部の運営資金、主に機関紙の発行(2万9000部/年6回)や人件費に充てていたとし、寄附金控除も受け取っていないとしている)河村たかし『この国は議員にいくら使うのか』。 |
| 河村がかつて所属していた自由党は1999年1月14日、自自連立政権の小渕改造内閣で与党に転じたが、河村はその前年の1998年4月に自由党を離党し無所属の会に入党。 |
民主党代表選
| 2006年(平成18年)3月31日-前原執行部の総辞職を受けて民主党代表選挙に立候補を表明し、朝からテレビに出演し政策をアピールし、推薦人確保に奔走したが締切りである4月7日10時までに20人に達せず断念(18名まで確保)。 |
| 民主党代表選挙に出馬したい意欲は極めて本物であり、小沢の無投票3選の根回しが民主党内で進んでいた動きに抵抗するかのように、2008年(平成20年)8月19日、『庶民革命「庶民革命」なる河村の同名ビジョンは、大型政令指定都市の首長選挙である名古屋市長選(2009年4月12日告示、同月26日投開票)においても、そのまま踏襲された。 |
名古屋市長選
| 民主党愛知県連は、2009年(平成21年)4月27日に任期満了を迎える名古屋市長選(4月26日投開票)に、過去3回のような主要政党相乗り候補ではなく独自候補を擁立することを早くから目指し、名古屋市教育委員会の山田哲郎教育次長に白羽の矢を立てていた。 |
| しかし、1月3日までに山田から固辞されたため、民主党愛知県連の候補者選びは白紙の状態に戻った |
| 1月25日、河村は、名古屋市内で民主党愛知県連代表の伴野豊衆議院議員と面談し、民主党の推薦を得て名古屋市長選に出馬したい旨および「不退転の決意」である旨を申し出た。 |
| 1月27日午前、民主党本部の常任幹事会にて、愛知県選出国会議員団長の佐藤泰介参議院議員が、名古屋市長候補者として民主党愛知県連が伊藤邦彦を全会一致で推薦候補としたことを報告し、党本部の最終判断を仰いだが、党本部常任幹事会は河村の出馬による民主支持層の分裂を懸念し、最終判断を見送った。 |
| 記者団に対し、常任幹事会に出席していた輿石東参院議員会長は「県連でもっとまとめてほしい」、民主党愛知県連幹部は「正規の手続きを経て、党本部に上申した結果が覆されることはない」、河村は「不退転の決意は全く変わらない」と述べる状態であった |
| 2月6日、民主党幹事長の鳩山由紀夫が記者会見で名古屋市長選の候補者推薦について「時間がかかってもしっかりと落着させることが大事だ」と言明したことにより、前月26日の愛知県連全会一致での伊藤邦彦に対する推薦決定にもかかわらず、党本部の最終判断は更に大幅に先送りされることとなった |
| 4月4日夜、河村は、名古屋市役所で記者会見し、市民税10%減税、ボランティアによる地域委員会(仮称)の創設、経済対策の3つを柱とするマニフェスト『河村たかしの名古屋政策』を発表した |
| 4月6日、名古屋市長選出馬予定の3名、河村たかし(60、民主党推薦)、細川昌彦(54、自民党・公明党の県組織支持)、太田義郎(65、共産党などの推薦)が初めて一堂に会して公開討論会を戦った |
河村シスターズ
| 2009年(平成21年)8月30日の第45回衆議院議員総選挙に、田中は石川2区から、佐藤は河村の後継として愛知1区からそれぞれ出馬し、田中は比例北陸信越で復活当選、佐藤は愛知1区の小選挙区当選を果たしている。 |
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本山政雄が獲得した46万余票を超える過去最高... |
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●則竹勅仁(のりたけくにひと)経歴●
http://www.noritake.ne.jp/profile.htm
昭和40年 7月 20日:名古屋市中区生まれ(45才)
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