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プロフィール
- 洪秀全とは
- 太平天国以前
- 太平天国の建国
- 晩年
- 関連項目
洪秀全(こうしゅうぜん、ピンイン:hóngxìuqúan、1814年1月1日〔嘉慶18年12月10日〕-1864年6月1日〔同治3年4月27日〕)は中国の宗教家・革命家。原名はもともとは洪仁坤・洪火秀。広東省広州福源水村出身で後に官禄土布村に移った。客家人。 キリスト教を基にした宗教教団、拝上帝会を興し天王を自称、南京を首都として清に反旗を翻し、国号を太平天国とした(太平天国の乱)。
太平天国以前
| 洪秀全は農村の読書人の家庭に生まれ科挙及第を目指していたが、郷試に失敗し、特に25歳の時の3度目の失敗では失望感から病床についている。 |
| その病床で老人より現世の妖魔を取り除くべく派遣したとの幻覚を見る。 |
| しかし科挙に執着していた洪秀全は6年後の1843年春に再度郷試に臨むも落第した。 |
| この時梁発の『勧世良言』の影響を受けた洪秀全は孔孟の書を捨て、キリスト教へ改宗し儒生としての人生に終止符を打った。 |
| 『聖書』の学習経験のなかった洪秀全は、自らの解釈によるキリスト教の教義として拝上帝教を説き始めた。 |
| 拝上帝教は入信すれば男女問わず平等であり、男性は兄弟、女性は姉妹とし、ヤハウェを天父、キリストを天兄と称した。 |
| これはキリスト教教義との差異が大きく、洪秀全をキリストの弟、ヤハウェの次子とし、人間界に至って神の意思を実行する者としている。 |
| 洪秀全は当初広州付近で布教を行ったが成功はしなかった。 |
| 1844年、洪秀全は馮雲山とともに広西に移動し布教活動を行い、その地での信徒を増やしていった。 |
| 1845年から1846年の間に洪秀全は『原道醒世訓』、『原道覚世訓』、『百正歌』等の作品を発表している。 |
| 1847年初め、洪秀全は広州に戻り教会で数ヶ月教義を学習し洗礼を求めたが、教会は教義に対する認識が不十分として拒絶した。 |
| 洗礼を受けることが叶わなかった洪秀全は再び広西に向かい馮雲山と合流、拝上帝会の規則や儀式を次々と制定していった。 |
| 勢力を拡大した拝上帝会は、キリスト教と相反する清朝と対立するようになり、1851年1月に起義を宣言し、清朝に反旗を翻した。 |
太平天国の建国
| 1851年初、洪秀全は天王を自称し太平天国を建国した。 |
| 1852年、太平軍は広西から湖南へと進出、1853年には南京を占拠、天京と改称し太平天国の首都に定めた。 |
| 太平天国前期では軍事関係は全て軍師により指揮され、洪秀全は軍事行動と距離を置いて朝政を司っており、その大権は東王楊秀清によっていた。 |
| 天京に首都を定めた後、洪秀全は四書五経を禁書としようとしたが楊秀清はこれを拒否、結局禁書指定は行われなかったが、この事件をきっかけに洪秀全と楊秀清の溝が深まることとなった。 |
| 洪秀全は同じく楊秀清に不満を募らせている北王韋昌輝、翼王石達開、燕王秦日綱と協力し、1856年に3人に対し楊秀清誅殺の密詔を出し、9月には天京事変が発生、楊秀清、韋昌輝、秦日綱が粛清された。 |
| 事件後は翼王である石達開が実権を掌握したが、洪秀全は兄弟である洪仁発、洪仁達を重用し石達開を牽制、結果石達開の不満を引き起こし、石達開は大軍を率いて洪秀全の指揮を離脱した。 |
| 一連の政変で太平天国の実権を掌握した洪秀全であるが、これ以降太平天国の勢力は急速に衰えていく。 |
晩年
| 太平天国討伐のための清軍が天京に迫るが、陳玉成や李秀成などの活躍にもあり数年間は太平天国はこの攻撃を撃退していた。 |
| 1859年、族弟の洪仁玕が天京に到着すると、洪秀全は軍師、干王に封じ、名義上の総理として太平天国の朝政を総覧させた。 |
| なんら実績のない洪仁玕を重用したことで人臣の離反を恐れた洪秀全は、歓心を買うための王爵を乱発するようになり、これ以降で王に冊封された者は2千名を超えた。 |
| 1862年、陳玉成が清軍に殺害されると、太平天国の国勢はますます衰え、天京付近の拠点は清軍に奪回された。 |
| 洪秀全の晩年は保守化した思想面以外にも、宗教に過度に依拠した政策へと突き進んだ。 |
| 一度は国号を上帝天国に変更しようとしたが、周囲の反対により天父天兄天王太平天国としている。 |
| 李秀成は長期的に天京を守備することを困難と判断し、天京を放棄し中原に転戦することを献策しているが、逆に洪秀全の怒りを買うという事件もあった。 |
| 困難な局面下で洪秀全は適切な政策を打ち出すことができず、また軍隊も非正規軍が母体であるため清軍に対抗することができなかった。 |
| 1864年3月、天京が包囲され城内の食料が不足すると、洪秀全は草木で飢えを凌いでいたがやがて病にかかり、1864年6月1日に病没した。 |
| 屍骸は清軍により遺棄されている。 |
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1844年
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洪秀全は馮雲山とともに広西に移動し布教活動... |
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1852年
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太平軍は広西から湖南へと進出、1853年には南... |
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