| 満州国新京市(現・長春)に生まれる。 |
| 実父は満州国経済部大臣秘書官で1943年にタイのバンコクへ軍属として転居。 |
| 終戦後に一家はメナム川の岸辺にあったパンパートン抑留所へ強制収容されるが翌1946年には引き揚げが始まる、しかし軍属を最優先として先に出港したその船は沈没してしまい一家は命拾いする、やがて大洗港の近くに住む親戚を頼り、まもなく館山の引き揚げ寮へ入寮。 |
| 信子が小学校3年生の時に父が代議士秘書の職を得て一家で東京神田鍛冶町の借家に落ち着く以上は近代映画 近代映画社 1970年3月号 134-141頁。 |
| 家庭は大変貧しかったものの母が毛布を裁断し染めることに依ってコートに仕立ててくれたりと貧しいながらにも創意工夫に満ちた生活を送っていた。 |
| 千代田区立今川中学校在学中の1954年(昭和29年)夏に井上梅次監督の『緑はるかに』のヒロイン役募集を知り、両親賛成のもと応募、11月23日に面接が行われ約3000人応募者の中には後にデビューする桑野みゆきと久保田紀子もいた。 |
| の中から選ばれ銀幕デビュー以上は近代映画 近代映画社 1970年3月号 134-141頁。 |
| 、美少女として脚光を浴びる、しかし学校を長期欠席しての撮影だったため、PTAと生徒会が奉祝の花輪を出したことで一時物議を醸した。 |
| 1956年2月、映画「愛情」の軽井沢ロケでキッスシーンがあることを知らされ、公私共に初めてであることから大変動揺する、だが父より「どんな役でも立派にやり遂げなければ一人前の女優になれない!」と諭され奮起する。 |
| 1961年8月に小林旭と別れ、この頃より生活が荒むものの石原裕次郎に励まされ持ち前の根性で再起する。 |
| また1964年には「夕陽の丘」でレコードデビューした以上は近代映画 近代映画社 1970年3月号 134-141頁。 |
| 日活の看板女優として数多くの映画に出演し、人気を博した。 |
| 現在までの映画出演本数は150本以上。 |
| 日本映画全盛期に一世を風靡した日活アクション映画における代表的なヒロインであり、小林旭の『渡り鳥』『流れ者』『銀座旋風児』の三大アクション・シリーズや石原裕次郎の『赤いハンカチ』(1964年)、『夕陽の丘』(1964年)、『夜霧よ今夜も有難う』(1967年)などのムード・アクション・シリーズではほとんどの作品で相手役をつとめた。 |
| 蔵原惟繕監督の『銀座の恋の物語』(1962年)や、『憎いあンちくしょう』(1962年)、『何か面白いことないか』(1963年)、『夜明けのうた』(1965年)の典子三部作により男性スターの彩り的存在から脱皮。 |
| 蔵原とは『憎いあンちくしょう』撮影中から不倫関係となり、浅丘自身も自分を最も美しく撮る監督として公私にわたり深い関係を築いた。 |
| 1964年、100本出演記念映画となった蔵原惟繕監督の『執炎』で、愛する夫を戦争に奪われた女性の姿を哀感たっぷりに演じ、その演技力は誰もが認めるところとなり、同じ蔵原監督の映画『愛の渇き』(1967年)でも熱演を魅せた。 |
| 1966年には日活との専属契約を解消し、石原プロへ入社。 |
| また1969年にはシングル「愛の化石」が大ヒットを記録した近代映画 近代映画社 1970年3月号 134-141頁。 |
| その他にも、『太平洋ひとりぼっち』、『水で書かれた物語』、『私が棄てた女』、『栄光への5000キロ』、『戦争と人間・第一部~第三部』、『告白的女優論』、『鹿鳴館』、『博士の愛した数式』などの映画の話題作に出演した。 |
| 特に、映画『男はつらいよシリーズ』で演じたクラブ歌手の「リリー」の役は大好評で、マドンナとしてシリーズ最多の4回の出演を数え、最後の作品となった『男はつらいよ寅次郎紅の花』でもマドンナ役を務めた。 |
| この最終作の撮影現場で具合の悪そうな渥美清の姿を見て、「もしかしたらこれが最後の作品になるかもしれない」と思ったという。 |
| そのため、山田監督に「最後の作品になるかもしれないから、寅さんとリリーを結婚させてほしい」と頼んだと言うが、山田監督は50作まで製作したかったらしく、浅丘の願いは叶えられず、渥美は映画公開後9ヶ月後にこの世を去り、「紅の花」が最後の作品になってしまった。 |
| 1980年代以降は活動の中心を舞台に移し、泉鏡花の作品などで高い評価を受けている。 |
| また、映画の主題歌などを中心に歌手としても多くの曲を発表し、1969年に発表した『愛の化石』は大ヒットした。 |
| 1960年頃に小林旭と同棲したが解消『浅丘ルリ子が激白! 小林旭と事実婚&離婚の真相』ZAKZAK2010年11月12日。 |
| 1971年に石坂浩二に世の男性の羨望を一身に集めさせて結婚したが、程なく別居。 |
| 1972年石原プロモーション退社。 |
| 現在は大衆演劇俳優・松井誠との交際を公にしている。 |
| 2008年11月山形県東根市で開催されたひがしね湯けむり映画祭にゲストで招かれトークショーを行う。 |
| これは、長い女優人生で初のことだったが、それからは解禁している。 |
| 性格は姉御肌で青春映画全盛期だった当時の日活において後輩の男優と女優に対する躾が厳しく、特に高橋英樹はデビュー当時より教育係であった浅丘に散々世話をかけ、そして弟分のように可愛がられていたことから未だに「ヒデキ」と呼ばれている。 |
| 麻雀の実力もプロ級といわれる。 |
| 美空ひばりとは公私共に親交が深く大親友だったことが知られている。 |
| 「ファッショナブルな女優の代名詞」としても有名。 |
| 自身が身につける物はもちろんのこと、舞台の際は販売もしている。 |
| プロ級のセンスである。 |
| また、「スマスマ」で披露した、お手製ドレッシング、豚の角煮など、料理の腕前もプロ級。 |
| 2011年5月21日に公私共に60年来の友人であった長門裕之が逝去後には弟の津川雅彦と一緒に長門の自宅へすぐに駆けつけて、津川と二人でマスコミなどの対応に応じた。 |