| 海音寺は西郷隆盛が登場する作品を多数執筆している。 |
| 特に、歴史の真実を明らかにする目的をもった史伝形式の作品で西郷隆盛を繰り返し取り上げているのが特徴である。 |
| この理由として海音寺が語っているところによれば、西郷は明治維新最大の功臣でありながら、後世の歴史家に誤解されている面が多々あり、その歪んだ西郷像が歴史知識として一般に定着してしまうことを避けるために、真の西郷像を書こうとしたとのことである。 |
| これは歴史を深く知る作家としての使命感からの執筆理由であるが、その背後にある感情として、西郷隆盛は海音寺の故郷である薩摩(鹿児島県)の英雄であり、幼い頃から西郷隆盛や薩摩藩士の話に親しんだ海音寺は「西郷のことが好きで好きでたまらないから」であり、また自身にとって<西郷の足跡と西南戦争>をたとえていうなら、「西洋人にとってのホーマーでありイリアッドの如きものである」とも述べ、いかに根本的なものであったかを強調している。 |
| 海音寺潮五郎が西郷隆盛を取り上げた主な作品は次の通りである。 |
| 長編小説『西郷隆盛第一部』。 |
| 昭和30年(1955年)8月から翌31年(1956年)9月にかけて、大系社系の地方紙に連載した歴史小説。 |
| 海音寺が西郷隆盛を主題材にして執筆した初めての作品であるが、この作品は二百数十回の連載の後、途中で中断となっている。 |
| 海音寺自身は連載中断の理由として、「その当時は猥本のような小説が流行っており、西郷隆盛などが受け入れられる状況になかったからだ」と回想している。 |
| しかし実際には、小説形式で執筆を進めたものの、連載回数に限りのある地方紙では膨大な西郷隆盛の生涯を到底書き切れなかったためだといわれている。 |
| この時の反省を生かし、以降、西郷隆盛を描く際に、海音寺は史伝形式で作品を執筆することになった。 |
| 『武将列伝』収録の「西郷隆盛」。 |
| これは海音寺の代表作『武将列伝』として昭和34年(1959年)から「オール讀物」に連載されたうちの一つである。 |
| 連載企画の都合上、執筆ページ数に制限があり、海音寺の「西郷隆盛」の中では一番短い作品となっている。 |
| 文藝春秋で刊行、文春文庫で再刊された。 |
| 島津斉彬が西郷隆盛の存在をはじめて気に掛ける場面から始まり、幕末、安政の大獄の混乱の中、月照と入水自殺を図って死に損なった西郷が、幕府の目から逃れるため大島に潜居するところまでが描かれている。 |
| 『史伝西郷隆盛』。 |
| これは上記『武将列伝』の「西郷隆盛」が読者の好評を得たため、構想を新たに昭和36年(1961年)から「世界」に連載されたものである。 |
| 作品は「郷中教育」という薩摩藩の若手武士に対する独特の教育方法を説明し、その後、薩摩藩のお家騒動の端緒というべき「近思録くずれ」と呼ばれる事件へと展開していく形で始まり、西郷が大島に行くところで終わっている。 |
| 没後旺文社文庫、のち文春文庫で再刊された。 |
| 作品の最後は先行して書かれた『武将列伝』の「西郷隆盛」と同じであるが、これは海音寺が特に意図したものではなく、紙面の都合による偶然の一致とのことである。 |
| 『西郷と大久保』。 |
| 昭和40年(1965年)10月から翌年6月にかけて、読売新聞に連載された作品。 |
| 新聞社が立てた「近世名勝負物語」という企画に沿って、西郷隆盛と大久保利通の二人を対比させて描く形になっているのが特徴である。 |
| 新潮社で刊行、没後新潮文庫で再刊。 |
| この作品は歴史小説風に書かれているが、海音寺自身が「あとがき」で語っているところによると「この作品は小説風の史伝として書いた」とのことで、史伝として扱うべき作品である。 |
| またこの作品中には海音寺の長年の研究成果として、3つの新説が登場している。 |
| 島津久光と西郷が不仲なのは、島津斉彬の死が暗殺によるものであり、その陰謀に久光も関わっていたと西郷が深く信じていることに原因があるとしている点。 |
| 久光が藩兵を率いて上京する際、先発した西郷が「下関で待て」という久光の命令を無視して、京都方面へと道を急いだことは、大久保との事前申し合わせに基づいていることだとしている点。 |
| 征韓論争において、大久保が西郷の反対側についたのは、西郷を新政府から追い出す意図があったとしている点。 |
| であり、これらの説は海音寺の後の作品にも継承されている。 |
| 大長編史伝『西郷隆盛』。 |
| 海音寺が「引退宣言」を行ってまで完成を目指したのがこの作品であり、海音寺の絶筆になった「西郷隆盛」というのは、通常この作品を指す。 |
| この作品は単行本として全9巻の分量があり、海音寺の執筆した西郷史伝の中では最も長い作品であるため、「大長編史伝」という枕詞を付けて呼ばれることが多い。 |
| この作品の1,2巻にあたる部分は昭和36年~38年にかけて朝日新聞に連載したものである。 |
| この連載に取りかかる当初、一般の小説的手法で書くことを前提に構想を練っていた海音寺であったが、この方法で西郷隆盛の全事績を書き尽くすには、膨大な分量が必要になり、生涯の間に完成しきれないと考えたため、史伝体小説として書くことに方針転換して連載に臨んでいる。 |
| 昭和44年(1969年)から刊行が開始された『海音寺潮五郎全集』の第11巻に収録されている『西郷隆盛』は、上述した朝日新聞連載の内容を補筆訂正したものである。 |
| 単行本の第3巻以降は書き下ろしとして出版されたものであるが、一部、昭和49年(1974年)から「歴史と旅」に連載され、その後、『江戸開城』として出版された作品が第9巻中に含まれている。 |
| この作品では江戸城開城の後、上野で起こった彰義隊戦争までが執筆されているが、海音寺の死と共に作品はここで途絶した。 |
| 西郷隆盛の全生涯を描くことは結果としてできていないが、西郷隆盛の事績のみならず、幕末維新史に関わる内容を幅広く網羅している特長がある。 |
| 学習研究社版の『西郷隆盛』。 |
| かつて学習研究社から単行本全3巻で出版されていた作品。 |
| 各巻それぞれに「天命の巻」、「雲竜の巻」、「王道の巻」という副題が付いている。 |
| その後、文庫本としては角川文庫や学研M文庫などから出版されていた実績がある。 |
| 絶筆となった『西郷隆盛』と混同されることがあるが、分量が全く異なっており、あくまでも別の作品である。 |
| その後も、西郷隆盛の持っていた「敬天愛人」の信念に関する説明に始まり、西南戦争に至るまでについて、簡単ではあるが幕末維新史に対する、作者の史観が記述されている特長がある。 |
| 西郷史伝と呼ぶには補足的な内容ではあるが、タイトル通り、西郷隆盛・大久保利通・島津久光の人物像とお互いの関係を描くことに重点が置かれている作品である。 |
| 昭和49年から雑誌「騒友」に連載され、西郷隆盛が大島から帰還する前後から、寺田屋騒動勃発の直前までが描かれているが、海音寺の急逝により未完のままとなった。 |