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プロフィール
- 深作清次郎とは
- 略歴
- 政治的主張等
- エピソード
- 関連項目
深作清次郎(ふかさくせいじろう、1911年-没年不詳)は、日本の政治運動家、街宣右翼(反ソ決死隊)、印刷業者、総会屋。
略歴
| 茨城県那珂郡出身。 |
| 地元の尋常小学校卒業後、1924年に上京し古書店で丁稚奉公する。 |
| 1930年、印刷工場勤務を経て黒龍会の内田良平門下に加わったと自称していたこの時期は大本の活動家で、第二次弾圧を期に離脱したという説もあり、出自は自称通りであるか定かではない。 |
| 太平洋戦争(大東亜戦争)で陸軍に応召し、関東軍に就く。 |
| 復員後、一人一党の『反ソ決死隊』を旗揚げし、本業の傍ら反共運動に着手。 |
| 安保闘争が激化した1960年、岸内閣の意を受けた児玉誉士夫や川島正次郎から反共活動資金を供与された清水亘(大日本独立青年党)の呼び掛けに応じ、有田正憲(国民政治連合)、小田俊与(人道主義政治連盟)、南俊夫(自称:世界連邦創始者)、杉本一夫、岸本力男後の稲川会越路家一家三代目、全愛会議理事長、福田進(防共挺身隊)、山陰探月、別城遺一ら右派常連候補が糾合した『議会主義政治擁護国民同盟』『大日本独立青年党議会主義政治擁護国民同盟』とも、略称:議擁同に加わる。 |
| これを期に選挙闘争を本格化し、革新勢に対する減票工作、言論妨害などに奔走した。 |
| 1961年、小林楠扶博徒系広域指定暴力団の住吉一家小林会初代会長が立ち上げた楠皇道隊(後の日本青年社)の社友に納まる。 |
| 住吉一家の客分扱い深作は準構成員は四半世紀近く続き、1975年、1979年、1983年の東京都知事選挙には同結社選挙期間中確認団体となったの推薦で立候補している。 |
| 日本青年社の支援の下、神奈川県川崎市高津区宮前平(現:宮前区)の自宅で『青年錬成道場』愚連隊、暴走族上がりの青少年を「思想改造」し、街宣右翼団体構成員に育成する私塾を主宰していたが、1985年頃に埼玉県新座市へ転居した。 |
| 同時期から活動資金に困窮し、選挙公報で寄付を募るようになった。 |
| 昭和時代が終焉する1980年代末頃から不活発化し、程なく没したと見られるが不詳。 |
政治的主張等
| 赤尾敏、東郷健、品川司らいわゆる泡沫候補を意図的に無視、排除するマスコミの報道姿勢を「天に唾するもの」と批判していた。 |
| 反ソ決死隊隊長、救国党参与、暁戦友会会長、天照義団副団長、天照士魂の会主幹、大日本民族同志会顧問、世界連邦協会相談役、世界連邦日本国民会議議長、対ソ国防協議会会長、日本民族倶楽部事務局長、日本民族倶楽部代表世話人、韓日友好協会理事、日露戦争研究会世話人等、雑多な肩書を語っていたが、それらの殆どは深作の一人一党か、他団体への名義貸し的参加であり、名称も時々で変転するなど、実体は無かった。 |
| 強硬な赤狩り論者で、日本社会党、創価学会、日教組、青法協、赤軍派などの打破をスローガンに掲げていたが、中ソと距離を置き始めた孤立路線転換後の日本共産党や自民党内タカ派以上に反共路線の民社党を「ソ連の手先」呼ばわりし続けたり、中華人民共和国には殆ど言及しなかったりと、単に「ソ連」「共産党」と聞くだけで「脊髄反射」的に逆上する狂信的なソ連嫌いというだけで、国際情勢に対する確たる認識に基づいたものではなかった。 |
エピソード
| 立会演説会で野党から野次が飛ぶと「黙れ、乞食」と一喝する一方、持ち時間を超えて演説し続け、運営者にマイクのスイッチを切られてしまう場合もあった。 |
| 主義主張の異なる者に対しても、誠実さが伝われば情を通わせることがあり、日教組に抗議に訪れた際に森越康雄青年部長後に中央執行委員長に健康を気遣われて思わず涙したり、政見放送収録中に雑民党の東郷健に向かって「健ちゃん」と声を掛けたりした。 |
| 立会演説会や政見放送の冒頭で、枯れた声を振り絞って軍歌を独唱するのが恒例で、1986年の第15回参議院議員通常選挙(東京都選挙区)等では『独立守備隊の歌』土井晩翠作詞、中川東男作曲を、1987年の東京都知事選挙等では『橘中佐』鍵谷徳三郎作詞、安田俊高作曲を唄っている。 |
| その政見放送におけるスピーチ例。 |
| 「諸君!!諸君は81年前の我々の祖先があの共産・ソ連の前身、ロシア政府軍の100万の大群を満州の荒野に粉砕したこの栄光の歴史を覚えてるか?」。 |
| 「諸君!!諸君はこの満州独立守備隊の歌を御存じか?あの満州の荒野の中に横たえられた、80年前の日露戦争のわが先祖の勇戦奮闘の、その末に横たえれた屍を御存じか?諸君!!今の日本人が北から来るソ連の挑発の前に、あるいは北鮮や中共の恫喝の前に、なんらなすすべもなく震え上がってるのは何なんだ」。 |
| ※「諸君!!」の件を「親愛なる、全日本の同胞諸君!!」としたものもある。 |
| 東京都知事選挙で2度顔を合わせた秋山祐徳太子に依ると、昼食に立ち寄った蕎麦屋でも注文前に突如『橘中佐』を放歌するなど、普段の生活態度も政見放送と変わらぬものだったという。 |
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1924年
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上京し古書店で丁稚奉公する |
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1960年
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岸内閣の意を受けた児玉誉士夫や川島正次郎か... |
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つながりの強いひと
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