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プロフィール
- 渡田均とは
- 来歴・人物
- 「誤審」を覆す
- トラブル
- 審判出場記録
- 関連項目
渡田均(わたりだひとし、1958年5月1日-)は広島県出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は31(1988年の袖番号初採用時から)。
来歴・人物
| 関西大倉高等学校、大阪体育大学時代はラグビー選手という異色の経歴であり、大学時代はフランカーとして活躍するも、腰痛のため選手を断念。 |
| その後1982年にセントラルリーグ審判員として採用された。 |
| 1985年に一軍初出場を果たし、1997年より審判部主任。 |
| 2009年には副部長に昇格した。 |
| 2009年には第2回WBCの審判員として、友寄正人、中村稔(プロ野球審判)、良川昌美らと派遣され、2次ラウンド2組の一塁・三塁塁審を務める。 |
| 近年の審判員が球審を務める際、大半の審判員はスロートガード一体型のマスクを使用しているが、渡田は現在でもスロートガード装着型のマスクを使用している。 |
「誤審」を覆す
| 2次ラウンド2組のGAME4、プエルトリコ-ベネズエラ戦で渡田は三塁塁審を務めた。 |
| 7回表、ベネズエラのラモン・ヘルナンデスの打球は左中間フェンスを大きく越えたがグラウンドに跳ね返ってきたため、MLBより派遣された二塁塁審ウェグナーはインプレー(フェンスを越えていない)と判定し、ベネズエラのルイス・ソーホー監督が抗議した。 |
| 審判団は大会規定によりビデオ判定を行おうとしたが、映像が届かず協議となり、渡田が自信を持って打球がフェンスを越えたと主張したため渡田の主張が採用され、本塁打として試合が再開された。 |
| 両チームとも異議なく承諾し、試合は無事終了した。 |
トラブル
| 橘高淳・杉永政信と同様に、判定をめぐってトラブルになることが多い審判である。 |
| 2001年8月10日 東京ドームの巨人-ヤクルト戦で仁志敏久が打ったレフトポール際への当たりを渡田三塁塁審が本塁打と判定したが、ヤクルトの若松監督の抗議によって審判団が協議した結果、ファウルの判定となった。 |
| 今度は巨人の長嶋監督が抗議することになり、合計で16分試合が中断した。 |
| ビデオ等でも渡田審判の誤審は明らかではあったものの、「抗議によってホームラン/ファールという重大な判定を覆した」と言われても仕方のない行為で、セ・リーグより審判部に対して、判定に疑問がある場合には抗議を受ける前に審判全員で協議を行うよう申し入れが行われた。 |
| 2001年8月16日 神宮球場のヤクルト-横浜戦で佐伯貴弘のレフトへの当たりを渡田二塁塁審がアウトと判定したが、横浜の森監督から「ワンバウンドで捕球した」という抗議を受け、28分間中断することになった。 |
| 上記の巨人-ヤクルト戦から1週間足らずでの再度のトラブルに、渡田審判に対してセ・リーグから「最近の審判活動を見て、精神的に動揺しており不安がある」として10日間の休養処分(事実上の謹慎処分)が下された。 |
| 2006年6月1日 横浜スタジアムの横浜-福岡ソフトバンク戦で、多村仁の三塁線への打球を鈴木三塁塁審がファールのジェスチャーをしたが、渡田球審がフェアと判定した。 |
| 塁審のジェスチャーを見て多村が走るのをやめていたため、ボールが転送されて併殺となり試合終了となった。 |
| 横浜の牛島監督が「三塁塁審にも確認を」と抗議したが、協議・確認を行わずに試合終了を宣言、さらには場内へも「球審がフェアと認めたためダブルプレーが成立しました」としか説明せずに引き上げた。 |
| このため、場内は騒然とし、一部の観客は納得できずに夜12時近くまで球場に居座る事態となった。 |
| これを受けて横浜球団は、審判が互いに食い違う判定を行った場合には協議を行うとする野球規則9.04cの適用を行わなかったことが不適切であるとして、セ・リーグに対し提訴試合を申請したが、却下された。 |
審判出場記録
| 初出場:1985年4月18日、ヤクルト対広島3回戦(神宮)、左翼外審。 |
| 出場試合数:2379試合。 |
| オールスター出場:5回。 |
| 日本シリーズ出場:4回。 |
| (記録は2010年シーズン終了時)。 |
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1958年
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渡田 均(わたりだ ひとし)は広島県出身のプ... |
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1982年
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セントラルリーグ審判員として採用された |
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つながりの強いひと
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友寄正人
セントラル・リーグのプロ野球審判員。沖縄県出身であり、同県出身のプロ野球審判員第一号である。審判員袖番号22。 |
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中村稔
■ 中村稔典さん
宇都宮市出身。老舗材木屋の三代目として生まれる。大阪学院大学卒業後、2×4住宅系のハウスメーカーに入社、新人営業トップセールスを獲得、... |
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笠原昌春
東京都出身のプロ野球審判員。役職はクルーチーフ。 |
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杉永政信
福井県出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球審判員。 |
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橘高淳
橘高淳(きったかあつし、1962年12月17日-)は滋賀県出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球審判員。旧名は橘高敦。 |
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井野修
群馬県出身のプロ野球審判員。セ・パの審判部が完全統合された2011年より、審判長を務める。 現役時代の審判員袖番号1。 |
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有隅昭二
福岡県粕屋郡出身の元プロ野球選手、現在はプロ野球審判員である。審判員袖番号は37。 |
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谷博
谷博(たにひろし、1953年6月20日-)は元プロ野球審判員。徳島県出身。審判員袖番号は19(1988年初採用から。谷は関西審判部で袖番号が初採用された年度の中... |
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山本隆造
山本隆造(やまもとりゅうぞう、1956年3月5日-)は元プロ野球審判員、元プロ野球選手。 |
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西本欣司
神奈川県出身のプロ野球審判員。セ・リーグ袖番号は1990年採用から2003年までは35(2007年新採用の市川貴之が引き継ぐ。)だが2004年以降7(1988年~1992年ま... |
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佐々木昌信
プロ野球審判員。群馬県出身。群馬県立館林高等学校、大谷大学を経て、1992年、セントラル・リーグ審判員。審判番号は38。1995年5月5日の阪神タイガース対広... |
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佐藤純一
秋田県出身のプロ野球選手、プロ野球審判員。審判員袖番号は21(1991年採用から)。 |
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森祇晶
大阪府豊中市生まれ、岐阜県岐阜市出身のプロ野球選手(捕手)・指導者・監督、野球解説者。旧名「森昌彦」(もりまさひこ)。現在はハワイ在住。読売ジャイ... |
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佐伯貴弘
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(内野手)。大阪府大阪市東成区出身。 |
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前川芳男
前川芳男(まえかわよしお 1941年11月20日-)は元プロ野球審判員。2010年まで審判部特命顧問。 |
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秋村謙宏
山口県出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球審判員。 |
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小林和公
日本のセントラル・リーグのプロ野球審判員、元プロ野球選手。群馬県出身。 |
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渡田均さんについてのひとこと紹介
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