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プロフィール
- 渡部恒三とは
- 政界入り
- 竹下派七奉行
- 衆議院副議長
- 国会対策委員長
- 国対委員長辞任後
- 親族
- 人物
- 原子力発電との関係
- エピソード
- 不祥事
- 政歴
- 関連サイト
渡部恒三(わたなべこうぞう、1932年5月24日‐)は、日本の政治家。民主党最高顧問。衆議院議員(14期)。勲一等旭日大綬章。復旦大学経済管理学院名誉教授。衆議院 副議長(第70代)、厚生大臣(第68代)、自治大臣(第39代)、国家公安委員長(第70代)、通商産業大臣(第48代)、 無所属の会代表を歴任。自由民主党所属時は竹下派 七奉行の1人だった。
政界入り
| 福島県南会津郡田島町(現・南会津町)出身。 |
| 父・渡部又左衛門は福島県議会議員や福島県田島町長を務めた。 |
| 父の死後、又左衛門を襲名した長兄は福島県田島町長を2期務めている『人間・渡部恒三政界再編の鍵を握る男』大下英治・著(ぴいぷる社)より「週刊読売」1997年6月8日号より。 |
| 福島県立会津高等学校時代、後に評論家となる小室直樹、弁護士の渡部喬一(第二東京弁護士会所属)と知り合う。 |
| この3名は校内で「誇大妄想狂」と呼ばれるほど目立つ存在だった。 |
| 早稲田大学在学中は雄弁会に所属。 |
| 同期に藤波孝生、同じ学部の2年先輩に政治評論家の三宅久之がいた。 |
| 八田貞義国会議員秘書から福島県議会議員となり、自由民主党福島県支部連合会政務調査会長も務めるが、公職選挙法違反のため有罪判決を受け県議会議員を辞職する。 |
| 1969年、第32回総選挙に「県議ならばカムバックできる。 |
| 衆議院は無理」という後援者の説得を振り切って無所属で立候補。 |
| 「会津のケネディ」(「ワタスは東北のケネデイダす」)を自称して、初当選した。 |
| 自由民主党から公認を得られなかったが、当選したのち田中角栄が不明を恥じて渡部を追加公認した。 |
| 渡部は佐藤栄作に対しては批判的であり無派閥だったが、田中派が結成されると、すぐにこれに参加した。 |
竹下派七奉行
| 通産政務次官、衆議院商工委員長などを歴任し、商工族としてキャリアを積む。 |
| 厚生大臣、自治大臣、国家公安委員会委員長、通商産業大臣、自民党国会対策委員長を務めた。 |
| 経世会では竹下派七奉行の1人に名を連ねる。 |
衆議院副議長
| 新生党から新進党結党参加、幹事長代理、政務会長兼国会運営委員長、総務会長、副党首を歴任し、1996年に衆議院副議長に就任。 |
| 2000年に再任された。 |
| 副議長在任日数2498日は衆議院創設以来最長記録。 |
| 当初、副議長就任には前向きではなかったが「早稲田大学雄弁会の後輩の小渕恵三が衆議院議長に就任するので」と説得され、副議長就任を引き受けた。 |
| しかし、当の小渕は地元後援会や同僚議員の説得により、「上がりポスト」の衆院議長就任を固辞し、結局伊藤宗一郎が衆院議長に就任した。 |
| 副議長として党籍を離脱中に新進党が解党し、自由党・新党友愛・新党平和・黎明クラブ・改革クラブ・国民の声の6党に分裂したが、渡部は無所属の会(会派は民主党・無所属クラブ、選挙では与党の公明党や保守新党の推薦も受ける)に参加した。 |
| 2000年、衆議院副議長に再任。 |
| 野党側から選出されるのが慣例の衆院副議長人事において、野党側が石井一を推したのに対し、与党側が唐突に渡部の擁立を表明し、渡部が副議長に再任された。 |
| 渡部の副議長続投は当時の自民党、特に幹事長の野中広務の強い意向であった。 |
| これは大の公明党嫌いで知られる石井が、自自公連立政権を強く批判していたためである(ただし石井は新生党時代、公明党も参加する非自民連立政権の一員であり、羽田内閣では入閣している)。 |
| 野中の主導による渡部擁立に対して野党4党は一斉に反発し、「野中幹事長の私怨によって、暴挙がおこなわれようとしていることを看過できない。 |
| 私たちは大人の政党として責任を果たしたい」(鳩山由紀夫)、「国会は与野党あっての国会。 |
| 与党のため、自民党のため、ましてや野中幹事長のために存在するのではない」(佐藤敬夫)などとして野党4党は石井一に揃って投票するとともに、賛成で臨むはずだった議長選挙では白紙で投票し、抗議の意思を示した。 |
| しかし結果は渡部恒三287票、石井一189票で渡部が当選し、副議長に再任された。 |
| 2005年9月の第44回衆議院議員総選挙前に民主党に入党し、同党公認で福島4区から立候補。 |
| 渡部は小選挙区制導入前から会津地方で強固な地盤を築いていたが、この選挙では自民党の渡部篤(血縁関係はない)に約7000票差まで迫られる猛追を受けた(渡部篤も比例復活)。 |
| また渡部恒三陣営の選挙違反が摘発され、運動員が逮捕された。 |
国会対策委員長
| 2006年2月、堀江メール問題で前原誠司民主党代表の側近である野田佳彦国会対策委員長が辞任すると、鳩山由紀夫幹事長の要請を受けて後任の国対委員長に就任した。 |
| 菅直人や山岡賢次ら国対に精通したベテランが相次いで就任を固辞したための苦肉の策であった。 |
| 衆院副議長を経験した党内最長老の国対委員長就任は異例のことであり、与党・自民党からも驚きの声が聞かれた(過去には園田直が衆院副議長経験後に自民党国対委員長に就任した例があった)。 |
| 渡部の国対委員長就任について、当時の小泉内閣の一員である麻生太郎外務大臣は、平均年齢の若い前原執行部を引き合いに出して「貫禄が違う」と渡部を持ち上げた。 |
| 就任直後から生放送のテレビ、ラジオ番組に相次いで出演し、9月に行われる民主党代表選の前倒しや、永田議員へ辞職要求などを発言、鳩山幹事長はその火消しに追われた。 |
| 堀江メール問題に関して、2006年3月15日放送のTBS系「みのもんたの朝ズバッ!」で涙を流して謝罪した。 |
国対委員長辞任後
| 2006年9月に国対委員長を辞任し(後任は髙木義明)、民主党最高顧問に就任した。 |
| 2006年11月12日に投開票された福島県知事選挙において、渡部の秘書を長く勤め、当時参議院議員(民主党所属)だった渡部の甥(姉の長男)である佐藤雄平を擁立。 |
| 佐藤は当選を果たした。 |
| 前任の佐藤栄佐久も、渡部の盟友的存在の一人であった。 |
| 『週刊新潮』において賭けゴルフ疑惑を報道されている横峯良郎議員らが2007年8月31日の民主党両院議員総会を欠席したことについて、「公人である以上は説明責任をキチッと果たさなければならない、総会を欠席するのもけしからん」と苦言を呈した。 |
| 2007年10月3日、関連政治団体である新時代の会が、1993年から2004年の政治資金収支報告書で甥の佐藤現福島県知事のマンションを事務所として使っていなかったのにもかかわらず、「主たる事務所」として総務省に届け出ていたことが明らかになった |
| また、会の代表者は2000年に、会計責任者は2004年にそれぞれ死亡していたにもかかわらず、後任者への変更の届け出がされていなかったこと、さらに、収支報告書に死亡した会計責任者の署名・捺印がなされた宣誓書が添付されていたことが明らかになった。 |
| 渡部の秘書は「事務所の実態は議員会館にあり、実態に即していないと言われればそうかも知れない」とコメント。 |
| 党の若手議員からは「与党の追及がやりにくくなる」と不満の声も出始めた。 |
| そのため、渡部はこの問題の責任を取る形で、翌4日付で党最高顧問などの役職を辞任した。 |
| 2008年1月8日、民主党最高顧問に復帰。 |
| 無役であった期間は約3ヶ月にとどまった。 |
| 復帰が認められた理由について、党幹部の1人は「年が改まったので」とコメントした。 |
| 2009年10月26日、民主党の両院議員総会で最高顧問に再任されなかった。 |
| このことについて、小沢一郎幹事長は同日の記者会見で「功成り名を遂げて高いレベルでアドバイスするのが最高顧問だ。 |
| ところが、最高顧問だった藤井裕久さんは引退宣言もしていたのに、一番大事な国務大臣(財務大臣)になった。 |
| 現役でやれる能力のある人は最高顧問のイメージと違う。 |
| 渡部氏はまだまだ現役として、前線でやれる能力も意欲もある」と、再任に至らなかった経緯を説明した。 |
| が、小沢と渡部との間には以前から確執が噂されているため、恣意的人事という声も上がっている。 |
| これについては、渡部本人も「小沢の意向により衆議院議長になれず(横路孝弘副議長が議長に昇格)、最高顧問もクビになった」と述べている。 |
| 鳩山由紀夫首相辞任後、菅直人新執行部で再度、最高顧問に就任した。 |
| 2009年12月、天皇特例会見問題で、「政治主導は天皇陛下の問題では全く関係ない。 |
| これは日本の国体に関する問題で、慎まなければならない |
| 2010年1月に小沢の元秘書である石川知裕衆議院議員が逮捕された問題について、記者から質問を受けた際「かわいそうじゃないか石川君は。 |
| 北海道教職員組合(北教組)から民主党の小林千代美議員陣営へ違法な献金行為が行われ北教組幹部3人が逮捕されたことについて、2010年3月5日にTBSの番組の収録で「心の教育が明日の日本のために一番大事だと訴えているのに、わが党の議員が心の教育を一番粗末にするような形で、本当に恥ずかしく残念だ」と述べた{{citenews。 |
親族
| 父は元福島県議会議員・渡部又左衛門。 |
| 長男は東京財団研究員、戦略国際問題研究所非常勤研究員、三井物産戦略研究所国際情報部主任研究員の渡部恒雄。 |
| 福島県知事の佐藤雄平は甥。 |
人物
| 会津訛りの喋り方が特徴的である。 |
| 民主党の中で最高齢の議員であるため、大御所や水戸黄門などの渾名が付き、テレビで、「政界の水戸黄門」を自称したため、ドラマ『水戸黄門』で実際に小道具として使用された印籠をプレゼントされた。 |
| 当選14回は、羽田孜、小沢一郎と並んで民主党内最多。 |
| 「堀江メール問題」で党の幹部が落ち込んでいるなか、激励のために会津名物「起き上がりこぼし」をプレゼントする気配りを見せたが、党代表であった前原誠司の起き上がり小法師だけは起き上がらなかったため、座が凍りつく一幕もあった。 |
| 90年代の政界再編期の旧党の感覚が抜けきっていない幹部が多い民主党にあって、早くからニューリーダーの育成に目を向け、岡田克也や前原誠司、枝野幸男、野田佳彦ら民主党の中堅・若手七人を、かつて渡部も属した竹下派七奉行になぞらえ「民主党七奉行」に指名、七奉行の会として定期的に会合を持っていた時期があった。 |
| しかし、渡部が赤いネクタイばかり着用していると気づいた浅香光代から、青いネクタイをプレゼントされた『時事放談』TBS、2007年7月8日。 |
| 2006年10月に、眼鏡の似合う著名人として第19回日本メガネベストドレッサー賞受賞、同年11月には、ユーモアで楽しい話題を社会に提供したことで、平成18年度ゆうもあ大賞を受賞した。 |
| 第21回参議院議員通常選挙について、党代表が、野党で過半数議席獲得ができない場合、政界を引退すると表明したのに続き、「野党が自民・公明を上回る議席を取れなかったら、小沢代表だけでなく私も辞める」と決意を示し、その結果民主党は大勝するに至った。 |
| 民主党の道路族議員で、最高顧問辞任後、党の道路特定財源の暫定税率撤廃方針・一般財源化に反対する署名に協力。 |
| 党幹部らが前向きな外国人参政権に反対する中堅・若手議員が永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会を結成した際は、代表世話人に就任している。 |
| 2008年春に、日本銀行総裁人事において、政府側が示した、元財務事務次官である武藤敏郎副総裁を昇格させる人事について、民主党としては「財務省幹部の天下り人事である」・「財金分離の観点から不適切」として反対したが、テレビ朝日系列の『サンデープロジェクト』において、「小沢一郎は武藤氏に賛成だったのか」と問い詰められた渡部は、「それはいえません」と答えていた。 |
原子力発電との関係
| 東京電力福島第一原子力発電所のレベル7の事故後も、地下式原子力発電所政策推進議員連盟(略称地下原発議連)の顧問に就任し、原子力発電を今後も推進することを鮮明にしている。 |
エピソード
| 衆議院議員として自民党の国対委員長だった1986年、秘書に「ケーサツチョウチョウカン」と会津なまりで頼み事をした所、秘書が警察庁長官に電話をつないだ。 |
不祥事
| 自身の選挙において、公職選挙法違反事件で有罪判決を受けたため福島県議会議員を辞職。 |
| 2005年の第44回衆議院議員選挙において、陣営の運動員6名が公職選挙法違反(被買収)の容疑で逮捕され、それぞれ罰金刑に処せられた。 |
政歴
| 4月-福島県議会議員選挙(自由民主党公認)当選。 |
| 12月29日-第32回衆議院議員総選挙(旧福島2区・無所属)当選。 |
| 12月10日-第33回衆議院議員総選挙(旧福島2区・自民党公認)2期目当選。 |
| 12月5日第34回衆議院議員総選挙(旧福島2区・自民党公認)3期目当選。 |
| 12月18日第37回衆議院議員総選挙(旧福島2区・自民党公認)6期目当選。 |
| 8月10日自治大臣兼国家公安委員長(第1次海部内閣)就任。 |
| 11月5日通商産業大臣(宮沢内閣)就任、政務次官は同じ派閥の古賀正浩。 |
| 10月20日第41回衆議院議員総選挙(福島4区、新進党公認)10期目当選。 |
| 6月25日第42回衆議院議員総選挙(福島4区・無所属の会公認)11期目当選。 |
| 9月11日第44回衆議院議員総選挙(福島4区・民主党公認)13期目当選。 |
| 5月31日衆議院議員山本拓が事務局長を務める地下式原子力発電所政策推進議員連盟(略称地下原発議連)の顧問に就任。 |
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1932年
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渡部 恒三(わたなべ こうぞう、 ‐ )は、日... |
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1969年
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第32回総選挙に「県議ならばカムバックできる |
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