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プロフィール
源頼光(みなもとのよりみつ)は、平安時代中期の武将。父は鎮守府将軍 源満仲、母は 嵯峨源氏の 近江守源俊女。諱は俗に「らいこう」とも呼ばれる。満仲の長子で清和源氏の3代目。満仲が初めて武士団を形成した摂津国多田(兵庫県川西市多田)の地を相続し、その子孫は「摂津源氏」と呼ばれる。異母弟に大和源氏の 源頼親、後に武家源氏の主流となる河内源氏の 源頼信がいる。
略歴
| 生誕地は不明だが本拠地の多田であるか、父の満仲が天延元年(973年)頃には平安京の左京一条に邸を持っていたことから、満仲邸であるともされる。 |
| 若年の経歴は不明。 |
| 同時代の中級貴族と同じく20歳前後で出仕し、満仲と同じく摂関政治を行っていた藤原氏に臣従して官職を得て財力を蓄えていたと考えられている。 |
| 寛和2年(986年)頃、居貞親王(三条天皇)が皇太子となった際に春宮権大進に任じられる。 |
| 正暦3年(992年)には備前守に任官しているが、都に留まっており遙任であったと思われる。 |
| 東宮大進時代には朝廷の儀礼や典礼関係の年中行事に記録が見られ、藤原道長の主催した競馬などに参加している。 |
| 『日本紀略』によれば、永延2年(988年)9月には関白の藤原兼家が新邸を造営した宴において馬30頭を送っている。 |
| 正暦元年(990年)、関白兼家の葬儀に際して藤原道長の振る舞いに感心して側近として従うようになったと伝えられる。 |
| 長保3年(1001年)には美濃守を兼任、このときは遙任であったことを示す記録も無く任国へ赴いていたと思われる。 |
| 同時期には大江匡衡が隣国の尾張守となり、両者は赴任するにあたって書状を交わしており親交があったと思われる。 |
| また、匡衡妻の赤染衛門は頼光を詠んだ和歌を残している。 |
| 但馬、伊予、摂津(970年)の受領を歴任する。 |
| 左馬権頭となって正四位下になり、後一条天皇の即位に際して昇殿を許される。 |
| 受領として蓄えた財により一条邸を持ち、たびたび道長に多大な進物をしてこれに尽くした。 |
| 道長の権勢の発展につれてその側近である頼光も武門の名将「朝家の守護」と呼ばれるようになり、同じく摂関家に仕え武勇に優れた弟の頼信と共に後の清和源氏の興隆の礎を築く。 |
| 1018年(寛仁元年)3月、大江山夷賊追討の勅命を賜り頼光四天王らとともに6人で摂津国大江山へ向かい夷賊討伐を行う。 |
| 成相寺に頼光が自らしたためた追討祈願文書がある。 |
| 没年は68、あるいは74。 |
年表
| 年月日は出典が用いる暦であり、当時は宣明暦が用いられている。 |
| 西暦は元日を宣明暦に変更している。 |
人物
| 父の満仲は摂津国多田に源氏武士団を形成し頼光はそれを継承し、自らは摂関家の警護なども務めているなど武士としての性格も否定できないが頼光は藤原摂関家の家司としての貴族的人物と評される傾向にある。 |
| 一方で後世に成立した『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』、室町時代になって成立した『御伽草子』などで丹波国大江山での酒呑童子討伐や土蜘蛛退治の説話でも知られる。 |
| 説話では、母の一族の嵯峨源氏の渡辺綱を筆頭にした頼光四天王や藤原保昌などの強者の家臣がいたと言われ頼光が実際に郎党を従えていたことを反映しているとも考えられている。 |
| また、古典『平家物語』では精兵の1人として頼光の名が挙げられているなど頼光に武勇的人物を求める傾向もある。 |
参考文献
| 鮎沢(朧谷)寿『源頼光』 吉川弘文館人物叢書、1989年再版(1968年刊行)。 |
| 朧谷寿 『清和源氏』 教育社歴史新書、1984年。 |
| 高橋昌明 『酒呑童子の誕生もう一つの日本文化』 中央公論社、1992年。 |
| 元木泰雄『源満仲・頼光-殺生放逸朝家の守護-』ミネルヴァ書房、2004年。 |
| 近藤好和「源頼光摂関期の軍事貴族」元木泰雄編『古代の人物6王朝の変容と武者』清文堂、2005年。 |
| 元木泰雄「摂津源氏一門-軍事貴族の性格と展開-」(『史林』67-6、1984/11)。 |
関連項目
| 多田神社-祭神の満仲のほか頼光、頼信、頼義、義家らが祀られている。 |
| O・TO・GI〜御伽〜:頼光を主人公としている。 |
| 続編には頼光四天王も登場。 |
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1001年
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美濃守を兼任、このときは遙任であったことを... |
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