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プロフィール
片山義美(かたやまよしみ、1940年5月15日-)は、日本の元レーシングライダー、レーシングドライバー。兵庫県出身。
経歴
| 1961年の第4回全日本クラブマンレース(2輪)でデビューし、350ccクラスで優勝。 |
| 圧倒的な速さから「関西の怪童」の異名を取る。 |
| いわゆる「健二郎学校」(田中健二郎主宰のホンダ系チーム)を経てヤマハワークス入りし、国内レースに参戦。 |
| 優勝など好成績を収めた。 |
| 1963年末にヤマハを離れ、スズキワークスに移籍。 |
| 1966年からロードレース世界選手権(世界グランプリ)に本格参戦を果たし、1967年の50ccクラスで世界ランキング2位を獲得する(当時の日本人ライダーとして最上位)。 |
| 50cc、125ccで数多くの優勝と入賞の実績を残すが、スズキが1967年限りで世界GP参戦を中止したため、世界GPでの活躍は終了した。 |
| スズキと契約している時期に、4輪のマツダと2重契約する形になり、1964年の第2回日本グランプリで4輪レースにデビュー(マツダ・キャロル)。 |
| スズキでの世界GP出場と、マツダでの4輪レース活動が並行して行われる格好になった。 |
| 1960年代末以降はマツダでの4輪レースに専念し、主として欧州や東南アジアなどの海外レースで活躍。 |
| 当時マツダが発売したばかりのロータリーエンジン車を駆り、耐久レースなどでロータリーの信頼性の高さを示す役割を果たした。 |
| 1969年末からは日本国内のレースに本格的に参戦。 |
| ロータリーマシンにより、当時ツーリングカーの王者だった日産・スカイラインGT-R打倒を目指す。 |
| 片山をリーダーとするマツダ系ドライバーは、ファミリアロータリークーペ、カペラ、マツダ・サバンナRX-3とマシンを変えながらGT-R勢を追い上げ、1972年末にはGT-Rを圧倒した(ワークスGT-Rのレース参戦を中止に追い込む)。 |
| また1960年代末からカワサキ系2輪チーム「神戸木の実」を主宰。 |
| 金谷秀夫、星野一義、片山敬済、歳森康師などの門下生を育てている。 |
| その後も富士グランチャンピオンレース、F2やFJ1300やFL500などのフォーミュラレース、デイトナ24時間レースやル・マン24時間レースなどの耐久レースで活躍する。 |
| 弟(異父弟)の従野孝司もマツダのロータリーで活躍し、ロータリーブラザーズと呼ばれた。 |
| マツダはル・マン用グループCカーのエンジンを3ローター・ターボと決定しかけていたが、片山が「耐久性と扱いやすさから4ローター・NAが有利」と進言。 |
| 片山の意見が採用されたと言われている。 |
| 長い間トップドライバーとして活躍したが、プロのレーシングドライバーとしては体力が衰えてきたことや、1991年以降はル・マンでロータリー車が出場不可になるらしいと伝えられたこともあり、1990年一杯で現役を引退した。 |
| ただしル・マンは1991年もロータリーを受け入れることになり、マツダが総合優勝を果たすことになった。 |
| 引退後、「カタヤマヨシミプロモーター」を設立、代表取締役社長を務める。 |
| 「KY-PROMOTOR」ブランドのオリジナル商品も開発中。 |
| またマツダの新型車開発におけるテストドライバーを務め、マツダ社内テストドライバーの育成を手がけるなど、引退後もドライバーとして現役である。 |
エピソード
| 継父(従野孝司の父)に阻害されるなど家庭環境が複雑だったと言われ、中学卒業後に「最も死亡率の高い職業は何か」と考えてレーシングライダーを志したという。 |
| バイク店に住み込みで勤め、六甲山の峠道で毎朝バイクを走らせトレーニングを積んだ(いわゆる「六甲伝説」)。 |
| 六甲山でのトレーニングの際、母親が走行タイムを計ったり、片山のバイクの後部座席に母親が同乗して叱咤激励した・・・などという伝説もあるが、雑誌記者などの創作らしい。 |
| ヤマハワークス在籍中、ヤマハのエースだった伊藤史朗より好タイムを出したため、伊藤と確執が生じチームを去る結果になったという。 |
| スズキワークスライダーとしてマン島TTレースに出場した際、当時マイク・ヘイルウッド以外は不可能と言われた前後輪ドリフト走行にぶっつけ本番で挑戦し成功。 |
| 現地紙に「10年に一人の天才ライダー」と書き立てられた。 |
| 日本人ライダーとしては早期にハングオフライディングを行い、先輩格の田中健二郎から「邪道だ」と非難された。 |
| しかし片山の速さや実績から、田中は後に片山のライディングを肯定するようになったと言われる。 |
| スズキ在籍中にマツダと2重契約を結んだのは、知人から「マツダの生意気な奴(某社内テストドライバー)の鼻をあかしてやってほしい」と頼まれたためだという。 |
| 仕方なく受けたマツダのドライバーオーディションで片山は1位のタイムを出したが、契約が破談になるよう高額の契約金を要求した。 |
| それに対しマツダが要求額の現金を積み上げて返答したため、断り切れなくなったらしい。 |
| マツダのエースだった時代、トヨタの引き抜き工作にあったらしい。 |
| しかしトヨタチームの雰囲気や、移籍により座を失うドライバーの立場を考え、移籍には至らなかったという。 |
| 日本のレース界で幅寄せや接触などが横行していた時期も、片山は故意の接触を行わなかったという。 |
| ただし相手から仕掛けられれば必ずやり返したらしい。 |
| ライバル日産の総大将といえる高橋国光も「片山君は汚いことをしなかった。 |
| 僕と同様本当のレース(2輪世界GP)を知っているから」と語っている。 |
| ヨーロッパの某耐久チームが「カタヤマ(片山義美)と契約したいので連絡先を教えてほしい」と日本人の某ジャーナリストに伝えた。 |
| ところが、そのジャーナリストはカタヤマ=片山右京と勘違いしたため、結果として片山右京が抜擢されることになった。 |
| 1980年代、日本の2輪関係者がヨーロッパで「カタヤマはどうしている?」と聞かれ、片山敬済(1977年GP350世界チャンピオン)のことだろうと思ったら、実は師匠である片山義美のことだった。 |
| 2輪世界GPでの活躍に加え、スパ・フランコルシャン(ベルギー)やニュルブルクリンク(ドイツ)の4輪耐久レースにも出場していたため、ヨーロッパでは今も片山義美の名が広く知られていると言われる。 |
| 現役当時の凛とした、しかし野武士のような強烈な佇まいから、ジャーナリストが「日本刀が抜き身で立っているようだ」と評した。 |
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1940年
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片山 義美(かたやま よしみ)は、日本の元レ... |
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弟
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