| この年に、鄧禹軍に加えて赤眉軍が西進してくる。 |
| 張卬は諸将に対し、「南陽に引き返すべきだ。 |
| 敗北しても、再び緑林の生活に戻ればいい」旨を主張する。 |
| この提案は、王匡を筆頭に多くの将の同意を得た。 |
| こうして王匡は、張卬・廖湛・胡殷・申屠建とともに、いったん南陽へ逃れることを更始帝に進言する。 |
| しかし更始帝は、これを拒否した。 |
| やむなく王匡は更始帝の命に従い、陳牧・成丹・趙萌とともに新豊(京兆尹)で赤眉軍を迎え撃つことになる。 |
| まもなく長安城内で張卬らが兵変を起こし、更始帝が新豊へ逃亡してくる。 |
| 猜疑心を募らせた更始帝は、姻戚である趙萌以外の新豊の諸将も張卬の一味ではないかと疑った。 |
| そして、陳牧・成丹を呼び出し、これに応じた2人をまとめて誅殺してしまったのである。 |
| 驚き恐れた王匡は、長安の張卬を頼って逃走し、更始帝に叛旗を翻した。 |
| しかし王匡・張卬らは、更始帝・趙萌・李松(更始政権の丞相)の反撃に遭い、激戦の末に敗走した。 |
| 進退窮まった王匡・張卬らは、赤眉軍に降伏してこれを長安まで導く。 |
| 同年9月、長安は陥落して更始政権は滅亡した。 |
| 同年、王匡・胡殷は、光武帝(劉秀)が関中に派遣した尚書宗広に降伏し、これに従って洛陽の光武帝の下に向かうことになる。 |
| ところが王匡・胡殷は、変心して安邑(河東郡)で逃亡を図ったために、宗広に捕えられ処刑された。 |