1124
1228
14077
%E7%8E%8B%E9%99%BD%E6%98%8E
%E7%8E%8B%E9%99%BD%E6%98%8E
%E7%8E%8B%E9%99%BD%E6%98%8E
%E7%8E%8B%E9%99%BD%E6%98%8E
%E7%8E%8B%E9%99%BD%E6%98%8E
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 王陽明の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- 王陽明とは
- 事績
- 功績
- 備考
- 小説
- 外部リンク
- 関連サイト
王陽明(おうようめい、成化8年9月30日(1472年)-嘉靖7年11月29日(1529年1月10日)は、中国の明代の儒学者、思想家。朱子学を批判的に継承し、読書のみによって理に到達することはできないとして、仕事や日常生活の中での実践を通して心に理をもとめる実践儒学陽明学を起こした。
事績
| 諱は守仁(初名は雲、のち守仁と改名された)、陽明は号で、陽明洞(地名)に家を建てたことにちなむ。 |
| 姓名から王守仁とも呼ばれる。 |
| 文成公とおくりなされた。 |
| 浙江省紹興府余姚県(今の寧波市余姚市)の出身で、王導の子孫といわれる。 |
| 父王華(1446-1522)は、1481年(成化17年)に科挙を首席の状元で合格した秀才。 |
| 父の合格当時、陽明はすでに10歳であった。 |
| 父はのち南京吏部尚書に至り、竜山公と称せられた。 |
| 王陽明は、仏教、武芸、詩学など、様々な才能に秀で儒学を志し、万物に理が備わっているという朱子学の理気二元論を学んでいるとき、庭の竹の理を窮めると称して、七日七晩、竹の前に座り続け、ついに倒れたという逸話が残されている。 |
| 1499年(弘治12年)、28歳、3度目の受験で科挙に合格して官吏になったが、儒学の勉強を怠ることはなかった。 |
| 35歳のとき、宦官劉瑾の独断的な政治を批判する上奏文を、皇帝武宗に提出したが容れられず、劉謹の恨みを買って、はるか僻地の貴州省龍場駅の役人に左遷された。 |
| 彼は、この言葉も風俗も異なる少数民族の住む地にあって、厳しい自炊生活を送りながら、思索を続け、「龍場の大悟」(龍場での大いなる悟り)といわれる新学説・陽明学を誕生させた。 |
| なお、龍場は現在の貴陽市の下の修文県に位置する。 |
| 同県は、面積1076平方キロ,2002年で人口は29万人。 |
| 県政府は龍場鎮にある。 |
| やがて、劉瑾の専横が明らかになり、彼が追放されると、王陽明は県知事に任じられたのを皮切りに、江西巡撫や南京兵部尚書などの高官を歴任することとなった。 |
| 1519年には寧王の乱を鎮圧した。 |
| さらに江西巡撫のときには、地方の農民反乱や匪賊の横行に対して、民兵を組織してこれらをことごとく鎮圧した。 |
| 1527年、広西で大規模な反乱が起きると、王陽明にその討伐の命が下った。 |
| 彼は辞退したが許されず、病気をおして討伐軍を指揮し、それらを平定した。 |
| 帰還命令が出ない中、独断で帰郷を図ったが、その帰途、病(結核)が重くなって江西省南安(現在、贛(かん)州市大余県青竜鋪)の船中で死去した。 |
功績
| 彼は、南宋の陸九淵の思想を発展させて、「事物の理は自分の心をおいてなく、それ以外に事物の理を求めても、事物の理はない」という、心即理を明らかにした。 |
| また、天地に通じる理は自己の中にある判断力(良知)にある(良知を致す=致良知の説)と主張した。 |
| また、知と行を切り離して考えるべきでないという知行合一を主張した。 |
| 自分の心に理を求めたり、自己の中にある判断力を求めることは、全ての人に可能なことであり、「満街の人すべて聖人」と言った。 |
| こうして、儒学を広く庶民の学問に押し広げたのである。 |
備考
| この陽明学は、江戸時代の日本にも伝えられ、大塩の乱を起こした元与力大塩平八郎や、倒幕運動した幕末維新の志士を育て、自らも安政の大獄に刑死した長州藩の吉田松陰らは、陽明学者を自称している。 |
| 非常に難解とされ訳されたことが無かった「公移」は、難波江通泰による詳細な訳注で『王陽明全集』第5巻(1985年、明徳出版社全10巻)にて刊行。 |
| 同じ版元で岡田武彦(1908年-2004年)の『全集』にも王陽明関連の著作が半数以上ある。 |
外部リンク
| zh-classical:王守仁。 |
| zh-yue:王守仁。 |
|
1519年
|
寧王の乱を鎮圧した |
|
1985年
|
明徳出版社全10巻)にて刊行 |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
安岡正篤
安岡正篤(やすおかまさひろ、1898年(明治31年)2月13日-1983年(昭和58年)12月13日)は陽明学者・思想家。 |
|
|
芝豪
日本の小説家。北海道生まれ。金沢大学法文学部卒業。三重県桑名市在住、元三重県職員。1977年より同人誌「海」にて執筆。1994年に「士魂の海」(海越出版社... |
|
|
岡田武彦
岡田武彦著『王陽明紀行-王陽明の遺跡を訪ねて-』, 平成九年八月, 登竜館発行, 明徳出版社発売, A5版, 四二七頁(陽明学関係書 紹介と短評) / 安岡正篤述『王... |
|
|
中江藤樹
近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者。近江聖人と称えられた。諱は原(はじめ)、字は惟命(これなが)、通称は与右衛門、藤樹と号した。 |
|
|
山田方谷
幕末期の儒家・陽明学者。名は球、通称は安五郎。方谷は号。備中聖人と称された。 |
|
|
知行合一
「音楽業界の先進性」。「座学と実学の両立」、「知行合一」を胸に探求していきたい。マイプロフィール出身地 埼玉県 定番趣味読書、爆音鑑賞、映画鑑賞、温... |
|
|
林田明大
専務取締役としてアルバイト・パートを含む250名強へのストック・オプションプログラムの実施など先進的な取り組みを行う。現在は、グロービス・インターナシ... |
|
|
河井継之助
河井継之助(かわいつぐのすけ、正字体:繼之助、文政10年1月1日(1827年1月27日)-慶応4年8月16日(1868年10月1日))は幕末期の越後長岡藩牧野家の家臣であ... |
|
|
井上新
井上 新 記事更新日.09.02.02 井上新経営会計事務所 所長
株式会社ACM 代表取締役 ■PROFILE
税理士 中小企業診断士 ITコーディネータ... |
|
|
大塩平八郎
江戸時代後期の儒学者で、大坂町奉行所の与力。大塩平八郎の乱を起こした。平八郎の父も大坂町奉行所与力であり、初代の大塩六兵衛成一から数えて8代目であり... |
|
|
吉田松陰
日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家、である。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。 |
|
|
近江聖
中江藤樹 うじゅ先生 近江聖人 ミニ知識 中江藤樹1608 1648江戸時代初期 平等思想 陽明学 近江国滋賀県出身 徳左衛門 米子市役所 近江聖人中江藤樹記念館館長... |
|
|
熊沢蕃山
熊沢蕃山(くまざわばんざん、元和5年(1619年)-元禄4年8月17日(1691年9月9日))は江戸時代初期の陽明学者である。諱は伯継(しげつぐ)、字は了介(一説... |
|
|
陸象山
南宋の儒学者・官僚。名は九淵、字は子静。象山は号。江西省金谿の人。朱子と同時代に生き、その論敵として知られる。その一族はおよそ二百年間にわたり何世... |
|
|
松岡正剛
日本の編集者、著述家、日本文化研究者。編集工学を提唱。京都府出身。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を歴任。現在、株式会社松岡正剛事務所代表取締... |
|
|
佐藤一斎
美濃国岩村藩出身の著名な儒学者。諱は担。通称は捨蔵。字を大道。号は一斎のほか、愛日楼、老吾軒。 |
|
|
李自成
中国明末の農民反乱指導者。延安府米脂県(現在の陝西省延安)出身。明に対して李自成の乱と呼ばれる反乱を起こし、明を滅ぼしてから清が北京を占領するまで... |
|
|
良寛
良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日〔1758年11月2日〕-天保2年1月6日〔1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。俗名、山本栄蔵... |
|
|
黄宗羲
黄宗羲(こうそうぎホァン・ツォンシー:HuángZōngxī、万暦38年8月8日(1610年9月24日)-康熙34年7月3日(1695年8月12日)は中国明末、清初の儒学者。明の滅亡... |
|
|
吉田公平
名前 :吉田公平 出身地 :宮城県岩沼市 生年月日 :昭和17年8月31日 職業 :東洋大学文学部中国哲学文学科教授 住所 :福岡市東区香住ヶ丘6-22-51 勤務先 ... |
|
|
王陽明さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|