| 中学生時代に元横綱琴櫻の佐渡ヶ嶽に勧誘され、最初は周囲が反対し本人も断わろうとしたが、熱心な勧誘に折れて入門した。 |
| 1984年3月場所の新弟子検査を同じ佐渡ヶ嶽部屋の琴錦などとともに受検したが、緊張のあまり血圧が急上昇し不合格とされ初土俵が1場所遅れた。 |
| 5月場所初土俵の同期生には小結・浪乃花がおり、非常に仲が良いことで知られている。 |
| 若い頃は大事な取組に弱く出世も遅れがちだったが琴錦の稽古台にされたことが幸いして力をつけ、1990年7月場所に新十両、2場所で通過し同年11月場所には新入幕を果たした。 |
| 7勝8敗と負け越して跳ね返されたが(この翌場所の番付編成は非常に不可解で、新入幕時には幕内最下位でなかった琴の若(当時)は幕内残留が濃厚と見られていたにも関わらず十両陥落となった)1991年3月場所再入幕、今度は9勝6敗と勝ち越して以後幕内に定着した。 |
| 1993年9月場所には新小結で8勝7敗、その後小結と平幕の往復が続く中1996年7月場所には曙と貴乃花の両横綱を撫で斬りにして9勝6敗、三賞(殊勲賞)を獲得した。 |
| 1998年11月場所に小結で10勝5敗と勝ち越してやっと関脇に昇進。 |
| 過去にも小結での勝ち越しはあったが番付運に恵まれず、2桁勝ってようやく同期生の琴錦に最高位で追いついた。 |
| 新関脇となる1999年1月場所も8勝7敗と勝ち越したが左膝の負傷で三役を明け渡し低迷。 |
| その後は三役に戻る事はなかった。 |
| それでも時折実力のあるところを示し横綱や大関を幾度か倒すなど地力のある所を見せ、その甘いマスクと伴って人気は衰えなかった。 |
| 膝の故障にはその後も何度も苦しまされ、晩年は4本ある膝の靱帯のうち3本が切れて1本しかなくなり、医者が「この膝でどうやって相撲を取るの?」と言うほどだった。 |
| それでも得意の上手を取れば全盛期同様豪快な上手投げも見せた。 |
| 末は横綱と思わせるほどの堂々とした体躯で素質は十分。 |
| 大関昇進を期待されたが故障が多く実現できなかった。 |
| しかし本人は「もう1回三役に」を目標に取り続けた。 |
| 攻めが遅く「ミスター1分」のあだ名を持っていた。 |
| この特徴は速攻相撲には弱点になるが、一旦相手の速攻を止め水入りに近い大相撲になると「攻められ強く、しぶとい」という長所にもなる。 |
| 実際水入りも4度経験した。 |
| しかし、この攻めの遅さが災いした。 |
| 1996年4月に師匠の長女と婿入りの形で結婚。 |
| この時点で佐渡ヶ嶽部屋を継承することが決まった。 |
| 2004年に佐渡ヶ嶽が体調を崩し入院すると、部屋付き親方が5名いる中で師匠代理を務めた。 |
| 佐渡ヶ嶽の体調が回復し無事に停年(定年)を迎えた2005年11月場所13日目(11月25日)の駿傑戦に敗れ、5勝8敗と負け越し、この取組を最後に現役を引退し、年寄・13代佐渡ヶ嶽を襲名した(翌日の稀勢の里戦は不戦敗となった)。 |
| 衰えたとはいえ幕内を維持する実力は十分にあったが、場所中に停年を迎える年寄は千秋楽まで協会には在籍できるが師匠を続けることはできず、それにより師匠不在ではその部屋所属の力士が場所に出場できなくなるため、現役最後の場所を千秋楽まで務められなかったことについては残念がった。 |
| 二枚鑑札による現役続行を望む声も上がっていたが、やはり実現には至らなかった。 |
| 2006年5月27日、両国国技館で引退相撲を行った。 |
| 引退相撲は長男と行い、入門後には「琴ノ若」の四股名を継承させることを約束した。 |
| 引退時は、蔵前国技館の土俵に立った経験のある唯一の現役関取・かつ幕内力士だった。 |
| 力士としての息の長さと、長時間にわたる取組の多さから、「最も長い時間本場所で相撲を取った力士」、「相撲が好きな力士」と呼ばれた。 |
| 2010年3月場所より審判部の所属となり土俵下にその姿を見ることができたが、2010年7月場所直前に弟子の琴光喜が大相撲野球賭博問題により解雇処分となり、責任をとる形で同場所を謹慎処分となり、さらに9月場所前にこの問題の責任をとる形で委員から平年寄へと2階級降格処分となり、同時に審判部から巡業部へ異動となったため、審判委員を務めた時期は実質2場所のみである。 |
| さらに2011年4月には弟子の琴春日が大相撲八百長問題により引退勧告処分となり、責任を取る形で昇格停止3年の処分を受けた。 |