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プロフィール
- 田上富久とは
- 市職員時代
- 市長選への立候補
- 長崎市長として
- 人物
- 関連項目
- 関連サイト
田上富久(たうえとみひさ、1956年12月10日-)は、日本の政治家。長崎県長崎市長(第32、33代)。
市職員時代
| 1980年九州大学法学部卒業後、10月長崎市役所に入庁。 |
| 以後本島等、伊藤一長両市長の下で、四半世紀余りにわたり職員として市政を支えた。 |
| 広報担当を経て、2002年4月観光部観光振興課主幹、2004年4月企画部統計課長を歴任。 |
| 「NNU21(NagasakiNewUmidasu21)」や広報活動に携わる。 |
| 広報や観光担当などとして市民や観光客と接する場も多かった。 |
| 2006年に行われた『長崎さるく博』の提案者で、統計課長となってからも「さるくガイド」として参加した。 |
| 2007年4月17日に起きた長崎市長射殺事件で伊藤一長市長が死亡したことを受け、4月19日、長崎市長選挙に補充立候補。 |
| 公職選挙法の規定により市職員は失職となった。 |
市長選への立候補
| 補充立候補には田上と、伊藤の娘婿で西日本新聞記者の横尾誠が届け出た。 |
| 立候補に必要な戸籍謄本を取り寄せに親族が本籍地の五島まで戻っていたため、田上の届け出が完了したのは受付締切の直前だった。 |
| 選挙事務所は4月20日に借り、ポスターは一晩で印刷し、立候補を聞いて駆けつけた友人・知人が一晩、夜通しで掲示板に貼り付けた。 |
| 田上や支援者は2日間で数時間しか寝られないほどの多忙だったという。 |
| 田上は選挙戦で「市政は、一人のものでもなければ、もちろん、家族(伊藤・横尾両家)のものでもありません。 |
| このような形で、新しい市長が決まっていいのだろうかと…」と、故人や遺族への同情で票が流れやすいと言われる弔い選挙の中で自らの主張を貫いた。 |
| 「市民力」を合言葉に長崎市民の力で市政を行うべきだと訴え、急ごしらえの選挙活動で超短期決戦を制した。 |
| 立候補は各政党関係者にとっても突然の話であったが、伊藤を支持していた一部の経済関係者や県選出の国会議員、市職員時代に携わったイベントの関係者などの支持を受け、横尾を953票差で降して当選した。 |
| なお、伊藤の死亡に伴って立候補した経緯から、万歳三唱を行うことは自粛し、支持・支援をしてくれた人々への感謝の気持ちを込めた拍手のみとした。 |
長崎市長として
| 2007年4月25日に市長として初登庁。 |
| 5月末には中核市市長会会長に選出されたほか、6月8日から市長と市民が顔を合わせる「ちゃんぽんミーティング」を行っている。 |
| また、6月10日には「長崎さるく博」で市職員としてガイドを17回務めた経験を生かし、観光客に映画「解夏」(原作さだまさし)のロケ地である聖福寺のガイドを行った。 |
| 事前の知らせは無かったため、観光客は驚いたという。 |
| 6月30日に久間章生防衛大臣が長崎への原爆投下について「しょうがない」と発言したと伝えられたことを受け、「高校生平和大使」10周年記念会に出席していた田上は「事実とすれば、被爆地として容認できない」と強く非難した。 |
| さらには7月3日に上京、久間と面会し「被爆者の心情を踏みにじるものとして看過できない」という内容の要請文を手渡した。 |
| 久間からは釈明の場を設けて欲しい旨の提案があったという。 |
| 午後には安倍晋三首相に面会し、政府に抗議した。 |
| 安倍は田上に対し、核廃絶を目指す政府の方針を改めて表明した。 |
| 久間はこの日の午後、辞意を表明したが、夕方に長崎市役所で行った記者会見で田上は「決着がついたわけではない」と強調した。 |
| なお、7月7日に行われた「平和宣言文」起草委員会では抗議をすべしという意見が相次いだ。 |
| しかし委員長である田上は、久間の発言に特化することなく、核廃絶と逆の方向に向かう意見に対する抗議を述べるほうが良いと考えたため、8月9日の平和祈念式典で読み上げられた平和宣言文には、発言を直接的に批判する言葉は盛り込まれていない。 |
| 9月18日には、山崎拓が北朝鮮の核実験について「やらせてよかった」と発言した。 |
| これに対し田上は同月21日に抗議文を出し、山崎は同月22日付けで「今後とも核兵器廃絶に向け全力を尽くす」とした回答書を提出した。 |
| 2009年8月1日未明に放送された『今夜も生でさだまさし奈良よし!鹿よし!あをによし!』(NHK総合)に実名で投稿した。 |
| 長崎市出身のさだに、9日の原爆忌に関連し平和を目指す取り組みへの訴えに協力を要請する趣旨の内容であった。 |
| 同年8月9日に発表された平和宣言は、米国大統領バラク・オバマが同年4月にチェコ共和国・プラハで行った核廃絶を目指す内容の演説を支持し、賛同の輪を広げるよう呼びかけるものとなったほか、核保有・同疑惑国首脳の実名を挙げ、長崎市を訪問するよう求めた。 |
| 2011年4月の市長選挙(第17回統一地方選挙)では2期目を目指して立候補した。 |
| 4月24日に投開票が行われ、長崎市長選で過去最多となる15万票を得て再選した。 |
| 立候補の際、政党に推薦願は出さなかったが、自民党や民主党はそれぞれ独自に支持という形を取った。 |
人物
| 好きな食べ物-皿うどん、長崎サラダ。 |
| 血液型-O型。 |
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1956年
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田上 富久(たうえ とみひさ)は、日本の政治... |
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2006年
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行われた『長崎さるく博』の提案者で、統計課... |
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つながりの強いひと
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伊藤一長
日本の政治家。前長崎市長。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。「いっちょう」は通名である。 |
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横尾誠
横尾誠(よこおまこと、1967年4月14日-)は日本の新聞記者、政治活動家。大阪府東大阪市出身。 |
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本島等
日本の政治家。1979年から1995年の4期にわたり、長崎市の市長を務めた。 |
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山本誠一
第22回参議院議員選挙 山本 誠一 (やまもと せいいち) 性別 男 生年月日 1971年10月01日 年齢 38 党派 無所属 派閥 新旧 新 当選回数 ... |
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東洋一
日本の古生物学者。日本の恐竜研究第一人者で、福井県立恐竜博物館特別館長。広島県呉市出身。小学5年の時、学習塾の先生に連れられ庄原市の西条川に化石採集... |
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金子原二郎
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岡田克也(おかだかつや、1953年(昭和28年)7月14日-)は日本の政治家。民主党最高顧問。民主党所属の衆議院議員(7期)。外務大臣(第142代・第143代)、民... |
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永井隆
永井隆(ながいたかし、1908年(明治41年)2月3日-1951年(昭和26年)5月1日)は医学博士。「長崎の鐘」、「この子を残して」の著書がある。 |
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釘宮磐
日本の政治家。大分県大分市長(2期)。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)、大分県議会議員(2期)を務めた。 |
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松本 崇の名刺 松本 崇 会社/団体 株式会社エヌエーエスコーポレーション 業種 インターネット 職種分類 クリエイティブ PR 基本情報 職種 WEBクリエーター ... |
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日本オリンピック委員会(JOC)会長。ミュンヘンオリンピック・モントリオールオリンピック馬術日本代表。東京都出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。旧皇... |
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藤田雄山
日本の政治家。第6代広島県知事。元参議院議員。 |
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久間章生
日本の元農林官僚である政治家。長崎県議会議員、衆議院議員、防衛庁長官(第59・73代)、防衛大臣(初代)などを歴任した。 |
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藤倉肇
前夕張市長。現夕張市議会議員。日本の実業家、政治家。北海道夕張市出身。 |
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田上富久さんについてのひとこと紹介
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