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プロフィール
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田中均(たなかひとし、1947年1月15日-)は、日本の元外交官。財団法人日本国際交流センターシニア・フェロー、東京大学公共政策大学院客員教授、日本総合研究所国際戦略研究所所長。
来歴
| 京都府京都市生まれ。 |
| 府立洛北高校を経て、1969年京都大学法学部卒業後、外務省に入省。 |
| 1972年オックスフォード大学政治経済学修士課程修了。 |
| 父親は総合商社日商岩井(のち双日)元会長の田中正一。 |
人物
| 2002年の日朝首脳会談を巡って一躍有名となったが、在職中から総合雑誌などを通じて様々な主張を行なっており、外務省の論客として知られた存在であった。 |
| 政策横断的な「ストラテジック・シンカー」とも評される。 |
| 入省当初はインドネシア関係など援助外交を多く手がけたが、1979年の米大使館赴任以降は対米関係の専門家として、安保・政治・経済いずれのポストも経験した。 |
| 日米経済関係を担当する北米第二課長時代は日米半導体交渉で、安保を担当する北米局審議官時代は1996年4月の在日米軍普天間基地返還合意で、それぞれ第一線で活躍したとされる(船橋洋一『同盟漂流』)。 |
| また1996年の日米安保共同宣言の外務省における責任者も努めた。 |
| 東アジア外交との関わりは1987年の北東アジア課長就任以降と比較的遅いが、以後朝鮮半島情勢に様々な形で関与することになっていった。 |
| 同課長時代に起きた大韓航空機爆破事件を巡って、犯人の金賢姫とソウルで面会している。 |
| 北朝鮮核危機(1993年)後、米朝枠組み合意からKEDO設立に至る日本側の実務責任者でもあった。 |
| 小泉純一郎政権の2001年にアジア大洋州局長に就任すると、同年末から30回以上に及ぶ北朝鮮代表者「ミスターX」との水面下の交渉を担当。 |
| 官邸・外務省の限られたスタッフしか交渉の詳細を知らないという極秘の形で進められたが、総理とはこの間80回に渡って面談して官邸主導のスタイルで北朝鮮側との信頼関係を築き、2002年9月の歴史的な首脳会談実現の立役者となった。 |
| 首脳会談そのものは高く評価されたが、田中はこれらの交渉の中で日朝国交正常化を優先し、拉致被害者問題を軽視したとの批判に曝され、普天間基地交渉でも行なわれた隠密交渉を好む「秘密外交」スタイルとも相俟って、一官僚としては異例な程に、一部のマスコミから激しく糾弾された。 |
| なお、同年10月に帰国した拉致被害者5人については、北朝鮮への一時帰国が事実上合意されていたことを明らかにしている。 |
| こうした批判は一部でエスカレートし、政治家もそれに加担した。 |
| 2003年9月には「建国義勇軍国賊征伐隊」を名乗る右翼団体によって、自宅ガレージに爆発物が仕掛けられる事件が発生。 |
| この事件に対し、石原慎太郎東京都都知事は「(売国的行為をしたのだから)当ったり前の話だと思う」とコメントした。 |
| 同年12月12日の東京国際フォーラムで開かれた日本とASEANとの交流を記念したレセプションでは、拉致議連の顧問を務めている中川昭一経産相(当時)に対して「大臣、北朝鮮のような小さな問題ではなく、もっと大きな事に関心をもってくださいよ」と発言し、中川は「北朝鮮による拉致で、子どもや家族が26年間も帰ってこない人たちがいる。 |
| それでも小さい問題なのか。 |
| あなたみたいに北朝鮮のスパイみたいなようなことをしていては駄目なのだ」と激怒したとされる(『週刊新潮』2004年1月1・8日合併号)。 |
| 2005年、外務審議官(政治担当)を最後に退官。 |
| 大使への転出打診を辞退し、研究職について執筆・評論活動を行っている。 |
| 第45回衆議院議員総選挙において大勝した民主党の鳩山由紀夫政権に起用されるとの報道が一部でなされ、拉致被害者の家族会とそれを支援する「救う会」が強く反対する声明を発表した |
| ただ具体的に田中が起用される動きがあったわけではなく、民主党政権の対米・東アジア外交について、批判的な立場からの批評をすることが多い。 |
経歴
| 1972年 在インドネシア大使館。 |
| 1974年 経済協力局経済協力第一課。 |
| 1976年 経済協力局政策課。 |
| 1977年 アジア局南東アジア二課。 |
| 1983年 北米局北米第一課首席事務官。 |
| 1985年 北米局北米第二課長。 |
| 1987年 アジア局北東アジア課長。 |
| 1989年 英国国際戦略研究所(IISS)研究員。 |
| 1990年 在英大使館公使。 |
| 1993年 総合外交政策局総務課長。 |
| 1996年 北米局審議官。 |
| 1998年 在サンフランシスコ総領事。 |
| 2000年 経済局長。 |
| 2001年 アジア大洋州局長。 |
| 2002年 外務審議官(政務担当)。 |
| 2005年 退官(8月)、日本国際交流センターシニア・フェロー(9月)。 |
同期
| 遠藤乙彦(財務副大臣、公明党衆議院議員)。 |
| 野坂康夫(鳥取県米子市長、文部省審議官)。 |
| 谷内正太郎(外務事務次官)。 |
| 高須幸雄(国連大使、国際社会協力部長)。 |
| 藤崎一郎(駐米大使、外務審議官)。 |
| 宮本雄二(駐中国大使、中国課長)。 |
| 重家俊範(駐韓大使、中東アフリカ局長)。 |
| 小町恭士(駐タイ大使、駐オランダ大使、官房長、欧州局長)。 |
| 飯村豊(駐仏大使、経済協力局長)。 |
| 堀村隆彦(自治体国際化協会常務理事、駐ブラジル大使、中南米局長)。 |
| 今井正(沖縄大使、駐マレーシア大使、国際情報局長)。 |
| 高橋恒一(三井住友海上火災保険顧問、元外務省研修所長、駐チェコ大使、法務省審議官、国際社会協力部長)。 |
| 林梓(駐ベルギー大使、文化交流部長、岩手県警察本部長)。 |
| 天木直人(評論家、駐レバノン大使、内閣審議官)。 |
| 辻本甫(中日本高速道路顧問、駐アラブ首長国連邦大使、衆議院外務調査室長)。 |
| 松井靖夫(科学技術協力担当大使、駐コスタリカ大使、国際協力事業団理事、内閣審議官)。 |
著書
| 『東大vs』(東京大学公共政策大学院編、朝日新聞社、2005年)。 |
| 『国家と外交』(田原総一朗と共著、講談社、2005年)。 |
| 『外交の力』(日本経済新聞出版社、2009年)。 |
| 『プロフェッショナルの交渉力』(講談社、2009年)。 |
雑誌論文(抜粋)
| 「駐米大使館"外注"外交の挫折か?―日米関係の最前線から考える」『中央公論』1986年5月号。 |
| 「日米安保について」『国民外交』151号(1996年6月)。 |
| 「見識ある世論形成のために」『外交フォーラム』1996年9月号。 |
| 「新時代の日米安保体制を考える」『中央公論』1996年12月号。 |
| 「『平和国家日本』再考」『外交フォーラム』1997年7月号。 |
| 「ダイナミックな変化を是とする社会をサンフランシスコに見た」『外交フォーラム』1999年4月号。 |
| 「九州・沖縄サミットを顧みて」『国民外交』164号(2000年10月)。 |
| 「日本経済外交の新展開」『中央公論』2000年11月号。 |
| 「外交の今日的課題――国際協調主義と日米同盟の両立をめざし、能動的外交を」『外交フォーラム』2004年2月号。 |
| 「ASEMがアジアの地域統合を醸成する――2005年京都外相会合に向けて」『外交フォーラム』2005年5月号。 |
| 「21世紀日本外交の戦略的課題」『外交フォーラム』2005年10月号。 |
| 「日朝首脳会談を実現した男の初手記『タブーを破らずして日本の未来はない』」『論座』2005年11月号。 |
| 「北朝鮮との極秘交渉、私が見た小泉外交4年間の真実」『月刊現代』2005年11月号。 |
| 「東アジア外交『停滞した関係』の再構築に向けて」『現代』2006年2月号。 |
| 「『ベター・アジア』と日本の役割」『公明』2006年8月号。 |
| 「新政権の外交課題」『東亜』2006年11月号。 |
| 「六者合意は北朝鮮への最後通牒になる」『中央公論』2007年4月号。 |
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1947年
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田中 均(たなか ひとし)は、日本の元外交官... |
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1986年
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「駐米大使館"外注"外交の挫折か?―日米関係の... |
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たなかひとし
田中 均 (たなか ひとし) 氏
【講師プロフィール】
昭和22年生まれ
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昭和44. 3 京都大学法学部卒業
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