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プロフィール
- 田中好子とは
- 家族
- デビューまで
- キャンディーズ
- 芸能界復帰、女優業
- 福祉活動
- 19年間の闘病と死
- 葬儀
- 伊藤蘭 弔辞
- 死後
- エピソード
- 映画
- テレビドラマ
- 演じた女優
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田中好子(たなかよしこ、1956年4月8日-2011年4月21日)は、日本で活動していた女優、アイドル歌手で、 キャンディーズの元メンバーである。本名、小達好子(おだてよしこ)。旧姓、田中。愛称はスーちゃん、 スーさん(キャンディーズメンバー)。足立区立第四中学校、東京成徳高等学校を経て、東京成徳短期大学卒業。
デビューまで
| 東京都足立区千住生まれ。 |
| 実家は田中屋釣具店。 |
| ビートたけしの実家が近くにあり、たけしは子供の頃いたずらをしに行った事がある2011年4月23日の『情報7daysニュースキャスター』でたけし談。 |
| その愛らしいルックスに反して、子供の頃は男の子をいじめるような腕白振りでガキ大将的な存在だったという。 |
| 小学校4年生で町内の民謡研究会に入りクラシックバレエを習いたかったものの、祖母に「(日本人が)足などを上げるものではない」と反対されため、民謡を選んだ。 |
| 、発表会で「ソーラン節」等を披露。 |
| 後の才能の片鱗を窺わせる。 |
| 1969年(昭和44年)、渡辺プロダクションが経営する東京音楽学院に入学。 |
| 入学後、スクールメイツのメンバーに選抜される。 |
| 同期生には伊藤蘭・太田裕美らがいた。 |
| 1972年10~12月、日本テレビ系のヒーロー作品『突撃!ヒューマン!!』に新聞記者・星山ルミ子役で出演。 |
キャンディーズ
| 1972年(昭和47年)、NHKの歌番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールのオーディションに伊藤蘭、藤村美樹とともに合格。 |
| この3人組は「キャンディーズ」と命名され、マスコットガール兼アシスタント(椅子・マイク運び・代理音合わせ)として活動。 |
| また、この年の紅白歌合戦で、橋幸夫(曲は「子連れ狼」)のバック・コーラスや、南沙織(曲は「純潔」)のバック・ダンスを務めた。 |
| 1973年(昭和48年)9月1日、キャンディーズとして「あなたに夢中」で歌手デビュー(コーラスパートはメゾソプラノ)。 |
| 当時のニックネームは「スーちゃん」(好子の“好”という字が「すき」の「す」であるため)キャンディーズ結成当初のニックネームは「ヨッチ」だったが、「ラン・ミキ・ヨッチ」では語呂が悪いので、ファンに「スー」というニックネームを付けてもらった。 |
| 「はなまるマーケット」2007年12月3日より。 |
| キャンディーズのメンバーでは最年少であった藤村美樹は同い年だが、藤村が早生まれである為1学年違い、伊藤蘭との年齢差は1歳だが、伊藤が早生まれである為2学年違いであった。 |
| デビュー曲の「あなたに夢中」から4曲目の「なみだの季節」までは、歌唱力を評価されてキャンディーズ初期のセンター位置のリードボーカルを担当した。 |
| その間はヒット曲に恵まれず、その後5曲目の「年下の男の子」以降殆どは、メインボーカルを伊藤に譲り、向かって右の立ち位置でコーラスを務めた但し「わな」の時は、メインボーカルのセンターは藤村となり、向かって左が田中、右に伊藤と移動する。 |
| さらに、事実上のラストシングルだった「微笑がえし」は、2番(又は3番)の途中サビの部分で伊藤と入れ替わり、田中がセンターについていた。 |
| 1977年(昭和52年)以降は、歌手としてだけではなく、作詞作曲(共作ふくむ)も行う。 |
| 作品に「LOVEMELOVEME」「ミッドナイト・ハイウェイ」「私の彼を紹介します」「季節の別れ」「一番星さん」「なんとなく」「午前零時の湘南道路」「PLEASECOMEAGAIN」「いけない人」「土曜日の夜」がある。 |
| 1978年(昭和53年)4月4日、キャンディーズは解散した後、一時引退。 |
芸能界復帰、女優業
| 1980年(昭和55年)、芸能界へ復帰復帰の経緯には、骨肉腫で入院していた実弟が田中のテレビでの活躍を期待していたこと、また、萩本欽一の著書「欽ちゃんつんのめり」を読み影響を受けて、萩本本人と会ったことなどがある。 |
| 5月の復帰会見を経て、7月の「欽ちゃんのどこまでやるの!?」にて正式復帰となった。 |
| なお、同年4月から田中を主人公のモデルとしたアニメ『スーキャット』(東京12チャンネル)が放送されていた。 |
| し、ソロシングル1枚を発表。 |
| その後は女優業に専念した。 |
| 1989年(平成元年)に公開された『黒い雨』で、主役・「高丸矢須子」役を演じ、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞・キネマ旬報賞・毎日映画コンクール・報知映画賞などで主演女優賞を受賞。 |
| 日本アカデミー賞などでは作品に対しても大賞を受賞し、第42回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上演された。 |
| また、原爆症の表現の為に、入浴シーンで体の変化を表現する為に敢えてヌードになり話題を呼んだ今作はモノクロ映画だった。 |
| その頃から、演技派女優の評価をされた。 |
| 1991年(平成3年)5月21日、実業家の小達一雄(夏目雅子の実兄で小達は再々婚)と結婚(結婚は夏目が亡くなった後だが、生前から夏目と親交があった)。 |
| 挙式・披露宴には、両家の親族や田中のプロダクション関係者らごく内輪の人たちだけが出席した日刊スポーツ「田中好子青年実業家・小達一男さんと極秘結婚21日に身内だけ20人で」(1991年5月25日)。 |
| テレビでは、1983年(昭和58年)から1984年(昭和59年)の連続テレビ小説『おしん』のおしんの養女「田倉初子」役や、1994年(平成6年)の『家なき子』(日本テレビ)でヒロインの母・「相沢陽子」役、2001年(平成13年)の連続テレビ小説『ちゅらさん』では主役の母・「古波蔵勝子」役などを演じた。 |
| また映画では、1999年(平成11年)の『鉄道員(ぽっぽや)』で同僚の妻・「杉浦明子」役、2003年(平成15年)の『鏡の女たち』で主要キャストの「尾上正子」役などを演じた。 |
| 田中には、継娘にあたる真由子が居たが、自身に子供は生まれなかった。 |
| しかし、女優としては母親の役を当てられることが多く、田中の子供役として共演した経験のある俳優は男22人、女25人で合計47人にものぼる。 |
| 田中の葬儀の際、夫の小達一雄は「(好子は)22男25女、合わせて47人もの子供に恵まれた。 |
| 好子はそのすべての子供たちを心の底から愛していました」と言い、その名母親役ぶりを称えた |
福祉活動
| また女優以外にも、夫の小達一雄が夏目雅子の実兄であることより夏目雅子ひまわり基金の活動、厚生労働省の公衆衛生審議会委員、国立国際医療センター顧問、エイズ予防財団及び日本エイズストップ基金運営委員なども務めた。 |
19年間の闘病と死
| 結婚翌年の1992年(平成4年)に乳がんが見付かり、幾度か再発を繰り返したが、いずれも早期発見で秘密裏に治療を受けながら芸能活動を続けていた。 |
| これらの事実は、田中の死去直後の記者会見において、夫の小達一雄により初めて公式に明らかにされた。 |
| 闘病の事実は親族のみに伝えられ、盟友である伊藤蘭と藤村美樹ですら、伝えられたのは死の約3年前で、共演者には一切明かされていなかったという。 |
| 2010年(平成22年)10月に十二指腸潰瘍を患い、その治療のため絶食をしたことで体力・免疫力が低下、乳がんが再発。 |
| 2011年(平成23年)2月には、がん細胞組織が急激に増殖するラッシュ状態となり、肺や肝臓にもがんが転移した。 |
| 2011年(平成23年)4月21日午後7時4分頃、懸命の治療も甲斐なく、国際医療福祉大学三田病院にて逝去。 |
| 長年の盟友だった伊藤蘭と藤村美樹は、田中が危篤状態になった際、「2人とも家族同然だから」という親族の計らいで病室に呼ばれ、田中が息を引き取るまで、7時間にもわたって田中の名前を呼び続けていたという |
葬儀
| 通夜は4月24日、葬儀・告別式は25日に青山葬儀所でそれぞれ営まれた。 |
| 棺と葬儀場の絨毯は田中のキャンディーズ時代のイメージカラーだった青で彩られた |
| 戒名は、春芳院妙純日好大姉。 |
| 葬儀では藤村美樹が「私たちは永遠にキャンディーズだから」と語りかけ |
| 葬儀の最後の喪主の挨拶の中で、本人のラストメッセージとなるの肉声録音テープ(約3分20秒) |
| 映画の撮影を模した形でテープが公開され、テープが流される前及び流された後に、夫がカチンコを鳴らしたり撮影の掛け声を掛けた |
| その後、棺に花を入れていく「最後の別れ」は、一般より長い40分続いた |
| 出棺の時には、キャンディーズ時代のデビュー曲「あなたに夢中」が流される中、日本キャンディーズ協会のメンバーなどが霊柩車に向けて、青いテープを投げ入れ最後の別れを告げ、遺体は品川区の桐ヶ谷斎場で荼毘に付された。 |
伊藤蘭 弔辞
| お互いにまだ幼い中学生だった頃に出会い、キャンディーズを通して、喜びも悲しみも共に分かち合い、素晴らしい青春時代を過ごすことができました。 |
| スーさんはいつも春のように優しい微笑みでわたしたちを包み、和ませてくれましたね。 |
| その後の女優としての活躍は言うまでもなく、良い仕事をたくさんして多くの人たちに感動を与えてくれました。 |
| 体のこと打ち明けられたときはなぜスーさんがと、悔しい気持ちで一杯でした。 |
| 本当は、つらいはずなのに、いつも3人で会うときは「笑うことが一番の薬なのよ」って言って明るく楽しい時間を過ごし、反対にわたしたちのほうが励まされていたような気がします。 |
| 3人の中では一番年下で甘えん坊だったスーさんが、いつのまに強く頼もしく、心豊かな女性になっていたことに驚かせられた。 |
| お見舞いに行ったときも、体調がおもわしくないにもかかわらず、私たちを気遣い、いつものようにユーモアを忘れない本当にかわいいスーさんでしたね。 |
| 愛情いっぱいのご主人、一雄さんやスーさんが一番気にかけていたお父さん、お姉さん、そのご家族、そしていつもそばに寄り添っていたマネジャーの丸尾さんの気持ちを思うととても胸が傷みます。 |
| 私達は、みんな大好きなあなたの笑顔を、そして最後まで病気と闘い立派に生き抜いたその勇気を決して忘れることはありません。 |
| それを支えになんとか頑張って生きていかなければと自分に言い聞かせています。 |
| どうぞ私たちのことを見守っていてくださいね。 |
| 約束していたのに果たされなかったのが残念でなりません。 |
| スポーツニッポン2011年4月25日閲覧。 |
死後
| 田中の逝去の報に、『家なき子』で共演した安達祐実 |
| 2011年現在における40-50代の男性の中には、未だにキャンディーズの根強いファンが多数いることもあって、民放のワイドショーやニュース番組はもとより、芸能ネタは単なる訃報のみで終わる事が多いNHKさえも、ニュース7やニュースウォッチ9で時間を割いて通夜・告別式の様子を伝えた。 |
| 2011年7月6日放送の徹子の部屋では、追悼特集(番組への出演歴がある故人)として田中の特集も放送され、黒柳は田中との思い出を言葉詰まらせながら語っていた。 |
| 田中の盟友である伊藤蘭の娘・趣里は、2011年8月1日、女優デビュー後初の記者会見の場で、尊敬する女優として田中の名を挙げ、「私もスーちゃんのような女優さんになりたいです」と語った。 |
| 墓所は東京都府中市多磨町多磨霊園の小達家墓所。 |
エピソード
| NHK「趣味悠々」出演を通じて墨彩画に出会い、俳優で墨彩画家でもある片岡鶴太郎に師事。 |
| 水谷豊(伊藤蘭の夫)が『うたばん』(TBSテレビ)に出演した際に、「キャンディーズの3人が家(水谷豊邸)に集まって長い時間談笑しているんだよ」ということを語っていた。 |
| 1979年(昭和54年)に放送されたアニメ『スーキャット』の登場キャラクター「スー」、『おじゃる丸』の登場キャラクター「タナカヨシコ」、『しゅごキャラ!』の登場キャラクター「スゥ」のモデルである。 |
| 映画『モスラ』とザ・ピーナッツが演じた小美人が好きで、『今夜は最高!』のゲスト出演時には怪獣映画ネタでのコントにも出演し、以後に製作された新作映画『ゴジラVSビオランテ』のヒロインと因縁深いモスラ復活の『ゴジラVSモスラ』にも出演している。 |
| 2006年(平成18年)11月24日、『はなまるマーケット』の「はなまるカフェ」にゲスト出演。 |
| 岡江久美子とは1984年(昭和59年)の『金曜日の妻たちへII男たちよ、元気かい?』で共演して以来、22年ぶりに顔を合わせた。 |
映画
| 「土佐の一本釣り」(1980年、松竹)-八千代役 ※「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」(マドンナ役:伊藤蘭)と二本立て。 |
| 「黒い雨」カンヌ国際映画祭高等技術委員会賞受賞作品、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞。 |
テレビドラマ
| 「突撃!ヒューマン!!」(1972年日本テレビ)-星山ルミ子役※歌手デビュー前の出演。 |
| 「心はいつもラムネ色」(1984年-1985年NHK大阪)-メス・ワカナ役。 |
| 緑山スタジオ開局記念番組「ぼくらの時代」(1981年TBSテレビ・木下プロ)。 |
| 花王名人劇場「名物タクシー奮戦記」シリーズ(1981年10月11日、1982年4月25日・6月6日・7月25日・11月7日、1983年3月20日・5月22日関西テレビ)。 |
| テレビ朝日開局45周年記念企画月曜時代劇「忠臣蔵」(2004年テレビ朝日)-大石りく役。 |
| 金曜プレステージ平岩弓枝・作家50年記念「嫁の座」(2009年5月29日、フジテレビ)-鬼島朱美役2011年4月25日、チャンネルα枠(関東ローカル)で追悼番組として再放送。 |
演じた女優
| サエコ-「ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜」(2006年5月、フジテレビ系)。 |
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1981年
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木曜ゴールデンドラマ 「新・哀しみは女だけ... |
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1982年
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「雄気堂々・若き日の渋沢栄一」( NHK) |
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キャンディーズ
ファン
1978年5月21日にリリースされた、キャンディーズの3作目で最後のライブ・アルバム。そしてすべての活動に終止符を打った作品である。 |
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特撮
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