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プロフィール
- 田中康夫とは
- 来歴
- 親小沢・反小泉
- ウルトラ無党派
- 経済への考え方
- 対石原
- 対外思想
- 地方自治への意見
- 在野時代
- 長野県知事選出馬
- 就任直後
- 「脱ダム」宣言
- 市町村合併
- 県職員に民間人登用
- 「新党日本」結成
- 国政進出
- 2007年参院選で初当選
- 衆議院への鞍替え当選
- 執筆活動
- 評論活動
- 出版社との関係
- テレビ
- 関連サイト
田中康夫(たなかやすお、1956年4月12日–)は、日本の政治家、作家。新党日本代表、衆議院議員(1期)。愛称は ヤッシー。参議院議員(1期)、長野県知事(民選第15・16代)を歴任。同姓同名で獨協医科大学名誉教授、東海大学副学長等がいるが、別人である。なお、父が非常勤講師を務めていた関係で松本歯科大学客員教授(入門歯科医学I担当)を務めたことがある。
来歴
| 1956年4月12日、東京都武蔵野市に生まれる。 |
| 本籍地は静岡県庵原郡富士川町(現・富士市) |
| 父の田中博正(心理学者)が信州大学教授に就任した為、1964年4月に家族全員で長野県上田市に、さらに1966年には松本市に引っ越す。 |
| 1969年4月、信州大学教育学部附属松本中学校に入学。 |
| 中学在学中は、初代サッカー部部長を務めた。 |
| 1975年、東京大学教養学部文科2類を受験。 |
| 英語、国語、数学が得意科目であった一方、歴史の知識問題などは、そのような分野で点数をとるのは邪道と勉強を放棄した。 |
| 東大受験前に受けた模擬試験「東大オープン」では、英語、国語、数学、地理、歴史等の全科目の総合得点で全国80位程度、英語だけなら全国3位という好成績であった |
| 同年3月、長野県松本深志高等学校を卒業。 |
| 上京し、東京の駿台予備学校で浪人生活を送る。 |
| この際、駿台文庫の『基本英文700選』を愛用し、後に著書『田中康夫の大学受験講座』(1988年、マガジンハウス)においても同書を激賞している。 |
| この予備校時代は、服などブランドものを買いあさる生活を送った。 |
| この日々が後に、大学在学中に執筆し、作家デビュー作となった『なんとなく、クリスタル』(文藝賞受賞)のモチーフとなっている。 |
| 1976年4月、一橋大学法学部入学。 |
| しばしば田中は法学部出身であることを表す際に「方角を間違えて阿呆学部に入った僕は…」との表現を用いる。 |
| 1980年、第1作・小説『なんとなく、クリスタル』を執筆し、同年同作で「文藝賞」を受賞する。 |
| 同作が執筆された背景には田中の所属していたサークル「一橋マーキュリー」での横領事件(サークル員の合意を取らずに資金を流用してサークル用に神宮前のマンションを借りていた事件)がある。 |
| 当時田中は日本興業銀行(現みずほコーポレート銀行ないしみずほフィナンシャルグループ)から内定を得ていたが、事件を起こしたとして卒業予定日の直前に停学処分を受け留年し、そのあおりで日本興業銀行からもらっていた内定は取り消された。 |
| この停学期間を利用して、『なんとなく、クリスタル』は執筆された。 |
| 1981年3月、一橋大学法学部卒業。 |
| 同年4月モービル石油「なお、フジテレビからも内定があった」に入社。 |
| 横浜市内で新入社員研修を受けるなど当初は作家業との両立を志向していたものの3ヶ月で退社する。 |
| 『なんとなく、クリスタル』の発表以降人気を得ていたこともあり、以後、文筆活動やテレビ、ラジオ出演などを行う。 |
| 1991年には、柄谷行人や中上健次らと共に、湾岸戦争への日本加担に反対する声明に参加している。 |
| こうした声明には、田中は元来否定的だったが、声明文を「我々は」や「私たちは」ではなく「私は」とし、個人の連帯とすることで参加した。 |
| なお、同声明に参加した作家は、他にいとうせいこう、島田雅彦、高橋源一郎などがいる。 |
| 一方でこの声明を四方田犬彦は批判した。 |
| 1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生する。 |
| 小説『オン・ハッピネス』(1994年、新潮社)の舞台でもある神戸市の被災に衝撃を受け、ボランティア活動に従事した。 |
| また「活動を続けるうちに神戸と自らは多面性を持つ点で共通しているのではないかと思うようになった」とも述懐している『神戸震災日記』巻末1996年、新潮社ISBN978-4103651031。 |
| 1998年「神戸市民投票を実現する会」の代表に就任。 |
| 阪神・淡路大震災後のボランティア活動を通じて、神戸市の公共事業関連の問題を知り、神戸空港建設反対運動を行う。 |
| 2000年、長野県知事選挙に出馬し、当選。 |
| 2期務めるが、3選を目指した2006年知事選では、落選(詳細は#長野県知事時代を参照)。 |
| 2007年、参議院議員選挙比例区に新党日本から立候補し、初当選した。 |
親小沢・反小泉
| 田中が政治的マキャベリストとしてしばしば賞賛する小沢一郎、鳩山由紀夫とは比較的近い距離にあり、民主党が野党であった2003年11月には閣僚予定者名簿(当時の民主党「次の内閣」の閣僚名簿とは異なる)で無任所大臣(地方主権担当)に指名された。 |
| 一方で松下政経塾出身者、特に前原誠司に対しては「机上の空論」 |
| 松下政経塾出身者以外にも菅直人や仙谷由人、岡田克也などへの批判をしばしば行っている。 |
| 2009年に民主党が政権を獲った後は田中が代表を務める新党日本は与党として取り扱われている。 |
| ただしその形態は鳩山内閣時には民主党と統一会派を組んでいたのに対して、菅内閣になってからは亀井静香が代表を務める国民新党と統一会派を組んでいる。 |
| 小沢や鳩山と必ずしも意見が一致しておらず、民主党の2009年マニフェストの結果として成立した農業者戸別所得補償制度や子供手当て法、事業仕分けなどにも批判を加えたり、内閣の状況を「スポットライト症候群(個々の閣僚の意見が拡散していく状況)に陥っている」「お子ちゃま内閣」などと評したりもしている。 |
| さらに民主党の支持基盤である労働組合、特に日本労働組合総連合会(連合)や全日本自治団体労働組合(自治労)に対しては「組織率の低くなった組合は労働者の声を反映していない」と批判的立場を取っており「発展的に解消すべき」「労働貴族の集まり」との意見を持っている。 |
| 連合は2000年と2002年の長野県知事選では田中を支援したものの、2006年の知事選、2009年の衆院選ではいずれも対立候補の支援に回った。 |
| 小沢に対しても、1990年代前中期(小沢が自民党幹事長、離党して新生党、さらに新進党に所属していた時期)はある程度政策や政治姿勢は評価しつつも、やや批判寄りだった(後述)。 |
| この時期にはむしろ(小沢とは対立関係にあったとされる)梶山静六を高く評価していた(同項目も参照)。 |
| 自由民主党については左右幅広い立場の議員が所属し実態がつかみづらいことから「鵺のような存在」としている。 |
| ただし民主党が政権を取った後は当初は閣内でさまざまな意見が出ていても、最終的には意見が収斂していく「大人の政治」を行っていたと自由民主党時代の政治を再評価もしている。 |
| また水制度改革議員連盟の共同代表を務める中川秀直など、自由民主党所属議員の中にも親しい人物はいる。 |
| 小泉純一郎と竹中平蔵の打ち出したアメリカ的な経済政策を導入する新自由主義経済路線を弱肉強食だと強く批判し、ある程度の経済格差は認めつつも最下層の幸せを確保する最小不幸社会を主張している。 |
| 小泉の路線と自らの改革とは、車座集会とタウンミーティングその他や就任当時の高支持率など類似性が多いと『サンデープロジェクト』など政治番組で問われた場面もあったが、その際には小泉路線はまやかしであると答えた。 |
ウルトラ無党派
| 旧来の自民党的なばらまき政治・土建屋行政、官僚主導の政治を批判・解体する一方で、左派の労働組合主義にも否定的であり、草の根市民運動に携わってきたことから自らを「ウルトラ無党派」「真の『保守』」 |
| 官僚や労組以外でも(個々の構成員は純粋でも全体になると)「人の顔が見えない」組織・団体やそこに存在する利権を嫌悪する傾向にある。 |
経済への考え方
| サッチャーの様に利権にまみれた旧体制を壊した後に、ブレアの様にクリーンで公正な社会を再構築する、という両方の役割を一人でこなす政治家だと自負している様に、イギリスの(市場原理を積極的に取り入れつつも福祉を重視する)第三の道に考え方が近い |
| さらにハイエクとケインズの融合を目指しているほか |
対石原
| 石原慎太郎については一橋大学出身の作家、それぞれ「太陽族」「クリスタル族」の生みの親であるなど共通点がある一方で思想的に大きく異なる部分もあることから自著内で取り上げることも多い。 |
| 知事在職時に日本外国特派員協会での講演で「彼自身がカワード(coward:臆病者)だから、失うものがあるから強い自分を演出している」と評したこともある(一方、石原も「どっちがカワードだよ」などと返している)。 |
| また、築地市場の豊洲への移転構想や新銀行東京への資金投入など、石原都政への批判も行っている。 |
| 知事就任以前にも、石原の『「NO」と言える日本』や三国人発言について批判している。 |
| ただし、「是々非々」をモットーとするという言葉通りに、義務教育費国庫負担の一般財源化が議論された際は協調したことや |
対外思想
| アフガニスタン侵攻やイラク戦争を引き起こしたジョージ・W・ブッシュ政権とそれを支持する自民党親米保守派を批判し、「反米」や「嫌米」ならぬ、アメリカと友好関係は保ちつつも言うべき意見は言う「諌米」と他国に依存しない自立外交を主張している。 |
| 一方、ビル・クリントン政権については、好意的な見方をすることが多く、モニカ・ルインスキーとのスキャンダル時にも擁護的な意見を述べていた。 |
| また、政権下で副大統領を務めたアル・ゴアについても評価しており、ベネズエラのウゴ・チャベス反米左派政権の自立路線を賞賛している。 |
| マニフェストでは日本の位置が要衝であるとして「交差点外交」や、自衛隊を「サンダーバード隊」に改組して国際的に災害救助を行うことを提案している。 |
| 外国人参政権の立法化にも一時期は積極的な見解を持っていたようで、相互主義の観点から、在留日本人に選挙権を付与している国の場合に限り、日本に在留するその国の国民に選挙権を与えるべきとの意見をかつては表明していた。 |
地方自治への意見
| 道州制に対しては「全国知事会の提言は総務省の官僚が作成したもので新たな利権を生み出すだけ」「明治から様々な面が大きく変化しており新たな枠組みを考えるべき」としてマニフェストで否定している。 |
| 宮崎県知事の東国原英夫に対しては2007年の就任当初は期待を寄せていたが |
| また大阪府知事の橋下徹に対してはダム建設の直轄負担金を拒否しなかった点を批判したり |
| 鳥取県知事を務めた片山善博に対しては長野県知事1期目就任当初から自らと同じく改革に取り組む知事として評価しており、特に地方公務員の退職手当債発行を停止し、調整額も廃止したことを賞賛した。 |
在野時代
| 1991年の東京都知事選で小沢一郎が磯村尚徳を支援したのに対し、田中は『神なき国のガリバー』にて当時現職の鈴木俊一への支持を表明したなお田中はそれ以前に鈴木を取材している。 |
長野県知事選出馬
| 1995年1月に発生した阪神・淡路大震災の復興ボランティアに参加した後、神戸空港の建設に反対し、住民投票を求めて1998年2月に「神戸市民投票を実現する会」を結成し、その代表として活動した。 |
| このような市民運動への積極的に参加と、精力的な活動から長野県の市民団体などから2000年の知事選への立候補を打診され、出馬した。 |
| 田中の出馬表明時には現職知事吉村午良の後継と目されていた前副知事が日本共産党以外の県議会議員や農業協同組合や建設業団体など多くの業界団体の支持を得ていて当選確実だと言われていたが、旧態依然とした長野県政の現状に加え長野オリンピックの運営費をめぐる使途不明などのスキャンダルに批判が集中した。 |
| 連合の組織的な支援に加え、若さと清新なイメージで幅広い支持を受け初当選を果たし、2000年10月26日に長野県知事に就任する(なお疑惑の中心人物として名が挙がっていた「ミスターナガノ」こと吉田総一郎は、その後田中康夫の後援会「しなやか会」の幹部となった)。 |
就任直後
| マスメディアの注目を集め、中でも1階ガラス張り知事室や当時の企業局長による「名刺折り曲げ事件」(上司である知事からの名刺の手渡しに異議を唱えた企業局長が、受取り時に田中の名刺を「メールアドレス以外はなかったことに」として折り曲げたもの)は大きく取り上げられた。 |
「脱ダム」宣言
| その後、暫定案として、本来は100年に1度の洪水に対応する治水計画を立案するところを、50年に1度の洪水の対応となる計画として、既存の2箇所の溜池を改修し、貯留能力を持たせる事(堰堤が15m未満は法律上ダムとならないため)を中心とした治水計画を発表したが、国土交通省との協議が、安全性の低下が原因で不調となり、追加で河川と別に地下配水管を建設する事を発表した(ダム建設とのコスト比較はなされなかった)。 |
市町村合併
| 中山間地域などの合併が困難な町村に対して自立を支援する「長野モデル」を打ち出したり、「市町村合併をしない宣言」をした福島県東白川郡矢祭町を視察し、また、合併の是非を問う住民投票が行われた千葉県四街道市や長崎県北松浦郡小値賀町などを訪れて、合併反対派を応援したり合併反対の講演を行ったりした。 |
県職員に民間人登用
| 2003年に任期付き職員の採用を可能とする条例が長野県議会で制定されたのを受け、同年2月に任期付き職員第1号として前GEキャピタル・エジソン生命取締役の丸山康幸(のちにフェニックスリゾート社長や、行政刷新会議評価者等を歴任)が、長野県産業活性化・雇用創出推進室長(2003年4月から商工部産業活性化・雇用創出推進局長)に就任した。 |
「新党日本」結成
| かつてナチズムに抵抗するために共産主義者と手を結んだド・ゴールの話を引用し、小異を捨てて大同に付くべきだ(協力して自民党親米保守の新自由主義に抵抗すべき)として、2005年8月21日にパレスホテルで長野県知事在職中ながら、郵政民営化問題で離党した自民党保守本流派と新党日本立党に参加し、代表に就任する。 |
国政進出
| 知事を退任した翌2007年には、4月の統一地方選挙で東京都知事選や北海道夕張市長選挙への立候補を示唆したものの、最終的に見送った。 |
2007年参院選で初当選
| 2007年7月の第21回参議院議員通常選挙には、新党日本からジャーナリストの有田芳生らとともに比例区から立候補した。 |
衆議院への鞍替え当選
| 衆議院が解散された2009年7月21日には、同年8月30日が投開票の総選挙に兵庫8区(尼崎市)より出馬することが発表された{{Citenews。 |
執筆活動
| 第17回文藝賞受賞作品となり、社会現象とまで言われたデビュー作『なんとなく、クリスタル』(爆笑問題の太田光にはこの作品しか世間から知られていないことを逆手に取られて「一発屋」と称された)、既成の文学の形態から逸脱した文体や視点(ややポストモダン文学寄りと言われている)は、当時日本の文学界に衝撃を与え、『純文学』的なものを良しとする風潮がまだまだ強かった文学界やマスコミを中心に賛否両論を巻き起こした。 |
| 『なんとなく、クリスタル』の脚注に対しての「作者の批評精神あらわれ」江藤淳「三作を同時に推す」『文藝』、1980年12月号、269ページ(江藤淳)、「80年代以降の都市風俗に取材した稀有な記録文学の書き手」斎藤美奈子『文壇アイドル論』2002年、岩波書店、237ページISBN978-4000246132(斎藤美奈子)、「近代文学における保守本流の批判的継承者」佐藤清文 |
評論活動
| 運輸、サービス業界に対しては、1980年代後半には、当時半官半民体制であったJALの閉鎖的体質を、1990年代前半には事実上の独占状態であることについてJRを、1990年代後半には日本航空に代わり閉鎖的体質になったとして全日空を批判した。 |
出版社との関係
| 前出「ファディッシュ考現学」時代は、講談社について当時の「FRIDAY」の副編集長が創刊時に述べた「雑誌としての理念なんてない」という発言を引き合いに出し、編集姿勢や他社刊行の雑誌との類似性(例:「FRIDAY」と「FOCUS」、「Hot-DogPRESS」と「POPEYE」など)を批判し、「大日本雄弁会講談社(講談社の旧社名)に連載や執筆の類を行ったことがないのを誇りに思っているのはこの私」とまで述べていた。 |
テレビ
| 「なんとなく、クリスタル」で話題を呼んだ後、フジテレビ「笑っていいとも!」金曜日のコーナー「五つの焦点(フォーカス)」にレギュラー出演したのを皮切りに、テレビ朝日の女性向け情報番組「Oh!エルくらぶ」(1986年-1992年、番組自体は1997年まで)、読売テレビのワイドショー「Beアップル2時!」(1992年-1993年)では司会も務めた。 |
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1930年
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父は、心理学者で元上越教育大学副学長の田中... |
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田中 康夫(たなか やすお、 – )は、日本の... |
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