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プロフィール
- 田宮二郎とは
- 出生〜デビューと名声
- 映画界追放
- テレビ界進出〜復活
- 撮影のさなかに〜多額の債務・うつ病との闘い〜
- ドラマの終わりと共に
- 衝撃の死
- 逸話
- 大映専属時代
- 独立以後
- テレビドラマ
- 教養・バラエティ番組
- ラジオ
- シングルレコード
- 関連書籍
田宮二郎(たみやじろう、-)は、日本の俳優・司会者。本名は柴田吾郎(しばたごろう)。1960年代から1970年代にかけて活躍し、代表作は映画『悪名』シリーズ、『白い巨塔』、 クイズ番組『クイズタイムショック』、テレビドラマ『白い巨塔』など。身長180cm、血液型B型。妻は元女優の 藤由紀子。長男は俳優・テレビレポーターの 柴田光太郎。次男は俳優の 田宮五郎。元俳優の南川直は従兄。__TOC__
出生〜デビューと名声
| 大阪府大阪市北区出身。 |
| 生後4日で住友財閥の大番頭だった父を失い、戦後まもなく母とも死別。 |
| そのため幼少から高校時代にかけては京都にて親族に育てられる。 |
| 京都府立鴨沂高等学校、学習院大学政経学部経済学科卒。 |
| 学生時代は、シェイクスピア劇研究会に所属し、外交官志望だったが、大学在学中の、スポーツニッポン社主催の「ミスターニッポンコンテスト」で優勝したのがきっかけで、大映演技研究所10期生として入社。 |
| 同期には叶順子・市田ひろみがいた。 |
| 、ファッション雑誌『男子専科』の専属モデルに応募し合格、以後数年間は俳優業を兼ね活動する。 |
| に本名の「柴田吾郎」でデビュー。 |
| 、大映の永田雅一社長がオーナーを兼務する大毎オリオンズの強打者・田宮謙次郎にあやかりたいという永田の意思に強制される形で「田宮二郎」と改名。 |
| 長らく端役が多かったが、に『女の勲章』(吉村公三郎監督、山崎豊子原作)の演技で注目を集めた。 |
| 同年秋に勝新太郎と共演した『悪名』(田中徳三監督、今東光原作)にて勝の相棒「モートルの貞」役に抜擢され、人気スターの仲間入りを果たす。 |
| 「モートルの貞」は『続悪名』(田中徳三監督、今東光原作)で絶命するが、その後シリーズ化が決定、田宮は3作目から貞の弟「清次」を演じ「勝-田宮」コンビが復活、長きにわたる人気シリーズとなった。 |
| またこれらの演技が評価され、のエランドール新人賞を獲得した。 |
| 端整なルックスと、身長180cmでスリムでありながら筋肉質であることに加え、甘い二枚目から冷酷なエリート、ユーモラスな拳銃使い、ヤクザ、欲望のためなら手段を選ばない悪役までもこなす演技力から犬シリーズ、黒シリーズなどにも主演、大映の看板俳優として活躍した。 |
| また若尾文子の相手役として名画を多く残した。 |
| に『黒の爆走』『黒の超特急』などで共演した藤由紀子と結婚。 |
| 、『白い巨塔』(山本薩夫監督、山崎豊子原作、大映作品)で財前五郎役を演じたことで、その名声は決定的なものになり、「昭和のクールガイ」と呼ばれた。 |
| 同じ大映に所属していたビッグスター市川雷蔵とは一度も共演していない。 |
| 理由は永田社長の方針によるものと言われている。 |
映画界追放
| 田宮は撮影所長に抗議したが、「この作品は女性映画として売りたいからこうなった。 |
| 私の首にかけてもこの序列を変えることはない」と断られ、その場で永田秀雅副社長(永田雅一社長の息子)に電話。 |
| すると「役者ごときが注文をつけることではない」と叱責され再び却下されたことから元ヤクザで黒幕とさえ言われる永田雅一に対抗するためか、右翼の許斐氏利を伴い、永田社長と直談判する。 |
| すると「主役のお前がアタマに書かれるのが当たり前や」となった。 |
| しかし「首をかけてもと撮影所長に言われたのだから、俳優の私が辞める(か所長が辞める)しかない」と田宮が言うに及び、永田社長は「おい、思い上がるのもいい加減にしろ。 |
| お前は横綱・大関クラスの役者だと思っているんだろうが、まだ三役クラスの役者だ。 |
| 人事に口を出すな」と憤慨。 |
| 結果的に刷り直したポスターの序列は希望通り田宮がトップとなったが、永田社長は田宮を一方的に解雇。 |
| ただでさえスター不足で経営難の大映はますます屋台骨が傾くことになった。 |
| 記者会見では記者から「田宮を辞めさせて興行的に困らないか」との声が永田社長に飛んだ。 |
| しかし永田社長は「失礼な、それほどの大物じゃない」と反論、さらに五社協定を持ち出し、他社の映画にもテレビドラマにも田宮を使わないように通達した。 |
テレビ界進出〜復活
| 完全に干されてしまった田宮は、家族を養うために舞台俳優・司会者・歌手として活動し、片やナイトクラブ、キャバレー回りなどの地方巡業もしていた。 |
| からは、NET(現・テレビ朝日)系列で放送が始まったクイズ番組『クイズタイムショック』の初代司会を務め、映画でのクールな雰囲気から一転したソフトなキャラクター、加えて軽快で巧みな話術ときわめて的確な番組進行が視聴者の好感を呼んだ。 |
| また同年、東京12チャンネルの音楽番組『田宮二郎ショー』の司会も務めた。 |
| 映画俳優としての仕事ができず、このようなテレビの仕事をすることは、この時代の映画人にとって不本意とされていたが、当時のテレビの家庭普及率はすでにほぼ100%に近く、カラーテレビの普及も進んでいた頃で、他の映画俳優たちのテレビへの出演も珍しくなくなる時期でもあり、田宮の司会姿は視聴者たちの記憶に長く残ることとなり、結果として田宮の名声を保つことにつながった。 |
撮影のさなかに〜多額の債務・うつ病との闘い〜
| 第18話まで撮影したところで撮影は1カ月の休暇に入り、田宮は7月29日にロンドンへ旅行に出発。 |
| 戻って来ないのではないかという周囲の心配をよそに9月8日に帰国したが、その時に田宮は鬱状態に入っていた。 |
| 9月17日から後半の収録が始まったが、テンションが高かった旅行前とは一転し、田宮は泣き崩れてばかりでセリフが頭に入らなくなっていた。 |
| 妻やスタッフが必死に彼を励まし続け、共演者の協力もあって撮影は11月15日に無事終了。 |
| 財前五郎の死のシーンに際して、田宮は3日間絶食してすっかり癌患者になりきり、財前の遺書も自らが書き、それを台本に加えさせた。 |
| さらに、全身に白布を掛けられストレッチャーに横たわる遺体役をスタッフの代役ではなく自分自身でやると主張してストレッチャーに乗った。 |
| 収録後には「うまく死ねた」とラストシーンを自賛したという。 |
| この時期の田宮に関しての奇行記事が女性週刊誌などに都市伝説として複数掲載されていた。 |
| 一つはいわゆるM資金詐欺に騙され、巨額の借金を負ったことがその後の自殺の一つの要因であるという説。 |
| もう一つは、現実と役柄の境界が不明瞭となり、航空機にて急病人が出て乗務員が医師を捜すと、たまたま同乗していた田宮が「医師の財前だが」と名乗り出たというもの。 |
| また、自宅を訪れた芸能記者に対し、電話機を指差しながら「この電話はCIAと直に繋がっているのですよ」と述べたという話もある。 |
| ただし息子の柴田光太郎は、『スーパーモーニング』(テレビ朝日)に出演した際に金銭問題を含めた醜聞の内容の大半を否定している。 |
ドラマの終わりと共に
| ドラマ撮影の間、9年に渡って司会を務めてきた『クイズタイムショック』を放送分をもって降板、司会者は山口崇へ引き継がれた。 |
| 『白い巨塔』撮影終了後の田宮はすっかり虚脱状態になり、「財前五郎の後に、どんな役を演じたらいいかわからない」とプロデューサーの小林俊一に漏らすようになっていた。 |
衝撃の死
| ドラマ『白い巨塔』の放映が残り2話となっていた昼過ぎ、家族と別居し1人で住んでいた港区元麻布の自宅で起床した田宮は付き人に赤坂へ仕出し弁当を取りに行くよう命じたあと猟銃自殺を遂げた。 |
| 残された遺書は妻・息子達・二児の家庭教師・2人の弁護士・田宮企画顧問・奈良岡朋子・鬼沢慶一宛の8通あったとされている。 |
| そのうち妻へ宛てた遺書には、感謝の言葉と共に、生きることの苦しみと死への恐怖が綴られ「病気で倒れたと思って諦めて欲しい」と書かれていた |
| この田宮の自殺は、足の指で猟銃用の散弾銃の引金を操作して胸を撃ち抜いたその方法もあいまって、非常に大きな衝撃をもって報道された。 |
| 田宮も映画化された際に出演した小説『華麗なる一族』(山崎豊子原作)において万俵鉄平が猟銃自殺をする場面があり、山崎は田宮の死を電話で知るとすぐに「猟銃でしょう」と悟ったという。 |
| 映画『華麗なる一族』では田宮が望んだ万俵鉄平役がかなわず、試写会の後で「僕ならもっとうまく猟銃自殺をやれるのに」と話していた。 |
| また、生前より自宅の居間で妻を前に「こうすれば死ねるんだ!」と猟銃を抱き抱え足の指を引き金に掛ける真似をしていたことがあった。 |
| この報道渦中での放映となったドラマ『白い巨塔』残り2話は皮肉にもさらなる注目を集めることとなり、視聴率は上昇して最終話は31.4%を記録。 |
| 結果多くの人々の記憶に残り、視聴率的にも大成功をおさめることとなった。 |
| マスコミの報道の中、弔問には伴淳三郎・美輪明宏・萬屋錦之介・草笛光子・中村玉緒・山本学・小沢栄太郎・高橋長英らが駆けつけた。 |
| 葬儀委員長は曾我廼家明蝶が務め、勝新太郎が弔辞を読み上げた。 |
| またドラマ『白い巨塔』で花森ケイ子を演じて田宮と共演した太地喜和子は田宮の遺影に向かって「あんた、ばかねえ」と言い自殺を嘆き、勝はマスコミに対し「さぞ背伸びして、どれほど苦しんだか」と田宮の胸の内を代弁した。 |
| 戒名は「清光院法誉顕映究吾居士」。 |
逸話
| 『悪名』の配役決定後、田中監督は田宮と連絡がつかなかった。 |
| 実は、田宮は端役ばかりの役どころに悩み、映画界を引退し実業の道に進むつもりでいた。 |
| クランク・イン1週間前になってようやく大映京都撮影所へやって来た田宮は、出演を断るつもりでその旨を伝えたという。 |
| しかし、スタッフの説得で田宮は思い直し、映画の完成に至った『日本映画監督列伝 田中徳三』(衛星劇場)より。 |
| 来日したマーロン・ブランドに会っている「スタアの40年 平凡週刊平凡秘蔵写真集」(マガジンハウス刊)より。 |
| 俳優としてはクールなあくの強い役を演じることが多かったが、『クイズタイムショック』をはじめとするテレビ番組の司会では、明るく軽妙で親しみやすいトーク、なおかつ折り目正しく臨機応変な番組進行が多くの視聴者から支持された。 |
| 特に『クイズタイムショック』の収録においては、番組冒頭に「ターイムショック!!」と呼びかける姿も支持され、極度の緊張状態にある出場者にリラックスしてクイズに臨んでもらえるように、司会者として常にきめ細やかな気配りと思いやりを忘れなかった。 |
| TBS「8時だョ!全員集合」(1977年2月26日・第361回放送分)の学校コント内で頭がいい生徒役としてゲスト出演をした際、いかりや長介に「クイズタイムショック」風で「英語で25は?」「フランス語で25は?」「ロシア語で25は?」「中国語で25は?」「スペイン語で25は?」とタイムショック張りに連続して出題された問題に次々と正解した後、「ターイムショック!!」と決めセリフを発したり、志村けんの「○○いかがっすかぁ〜」のネタを用いて、志村と共に「タイムショックいかがですかぁ〜」のギャグを披露したりと、タイムショックを意識したネタを連発した。 |
| 日本酒「大関」のCMに永く出演していたが、田宮本人は酒がほとんど飲めなかった為、収録では水を飲んでの演技だった。 |
| 趣味は麻雀、クレー射撃。 |
大映専属時代
| 夜の蝶(1957年)-船越英二演ずる秀二の旧友役(エキストラ)。 |
| 悪名シリーズ(1961年-1968年)-モートルの貞、後に清次役、14作品に出演。 |
| 白い巨塔(1966年)-財前五郎役。 |
独立以後
| 日本暗殺秘録(1969年、東映)-藤井斉役。 |
| 愛の化石(1970年、石原プロ/日活)。 |
| 必殺仕掛人(1973年、松竹)-藤枝梅安役。 |
| 宮本武蔵(1973年、松竹)-佐々木小次郎役。 |
| 華麗なる一族(1974年、芸苑社/東宝)-美馬中役。 |
テレビドラマ
| 侍(1960年-1961年、関西テレビ)。 |
| うすゆき(1961年、フジテレビ)。 |
| 東芝土曜劇場 肩代り屋(1962年、フジテレビ)。 |
| HawaiiFive-O(1968年-1980年、アメリカCBS)。 |
| 知らない同志(1972年、TBS)-三友竜一役。 |
| 土曜劇場白い巨塔(1978年、フジテレビ)-財前五郎役。 |
教養・バラエティ番組
| ランデブークイズ・ペアでハッスル(毎日放送、1968年10月24日)-第1回ゲスト。 |
| クイズタイムショック(NET、1969年1月9日-1978年9月28日)-司会。 |
| サテスタ23(朝日放送、1969年)-司会(桂三枝がアシスタント)。 |
| あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭(NET、1975年-1977年)-司会。 |
ラジオ
| 白い巨塔(ラジオドラマ)(1965年-1966年、文化放送/ラジオドラマ)。 |
シングルレコード
| 青い犬のブルース(1967年)-大映レコード・・・『勝負犬』主題歌。 |
関連書籍
| 著者は仕事仲間であった(かつて松竹で映画・テレビプロデューサーを務め、のテレビドラマ『白い秘密』ほか、田宮出演作品の企画・製作を通じ深い親交があった)。 |
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1968年
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プレイボーイクラブ(1969年?、TBSラジオ)ラ... |
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1971年
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弱気だぜ/愛して別れたあとで |
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勝新太郎
共演
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山崎豊子
日本の作家、小説家である。本名、杉本豊子(すぎもととよこ)。大阪府堺市在住。 |
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財前五郎
役
『白い巨塔』の主役で、架空の人物。浪速大学病院第一外科助教授、後に第一外科教授。 |
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叶順子
叶順子(かのう じゅんこ)
誕生日: 1968年7月15日
本名: 叶順子
改名歴:
身長: 160 cm
体重: kg
スリーサイズ(B/W/H): 91/62/87
血液型: O 型
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