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プロフィール
- 畠山尚順とは
- クーデター
- 反撃
- 両畠山家の和睦・上洛
- 晩年
- 参考文献
畠山 尚順(はたけやまひさより/ひさのぶ)は、戦国時代の守護大名。室町幕府紀伊・河内・越中守護。足利氏の支流畠山氏出身で畠山氏の一派畠山尾州家の当主。 畠山政長の子。稙長、長経、政国、晴熙の父。初名は尚慶、後に尚長とも称した。通称は次郎、官位は尾張守。号は卜山。法号は勝仙院竜源徳陽。
クーデター
| 父政長は応仁の乱で畠山義就(総州家)と東西に分かれ壮絶な家督争いを展開したことで有名である。 |
| 延徳2年12月(1491年)には義就が没し、尾州家の優勢は決定的となっていた。 |
| 尚順は9代将軍足利義尚の一字を貰い元服するなど、名門守護家の後継者として歴史に登場する。 |
| 延徳4年(1492年)、10代将軍足利義材(義材)に従っての近江への遠征(長享・延徳の乱)など、実績を重ねてゆく。 |
| 明応2年(1493年)に父は義材を動かし宿敵である河内の畠山義豊(義就の子)を討伐し、尚順もこれに同行した。 |
| しかし、義材と政長に反発する細川政元は日野富子・伊勢貞宗と結んでクーデターを起こし、新たな将軍として義材の従兄に当たる義遐を擁立する(明応の政変)。 |
| 逆に孤立無援となった政長は河内正覚寺において、重臣の多くと共に自決する。 |
| 尚順は辛くも逃げ延び、尾州家の家督を継承したものの、畠山氏の家督は総州家の義豊に奪われてしまった。 |
| 政長と共に自決した重臣の中には、河内守護代であった遊佐長直など、これまでの政長の統治を支えた多くの人材が含まれており、在国していた越中守護代の神保長誠は健在であったが、既に病身であり、政元の監禁から逃れた義材を迎えることに成功したものの(越中公方)、長誠は越中の尾州家の地盤をおさえるのがやっとの状態であった。 |
| 尚順は紀伊に逃亡する。 |
| 義豊の紀伊侵攻があったものの、これはすべて退けており、政長時代に確立した紀伊においての尾州家の軍事的優位は動かなかったものの、河内への反攻はしばらく後のことになる。 |
反撃
| 明応6年(1497年)、河内を奪回するため尚順は挙兵し、明応8年(1499年)には高屋城を奪い、さらに河内十七箇所に逃れた義豊を攻撃、殺害した。 |
| ほぼ同時期に大和で尚順派の国人筒井順賢・十市遠治らが蜂起、義豊派の越智家栄・家令父子と古市澄胤を追い落とし、越前の朝倉貞景を頼っていた義尹(義材)が近江坂本に進撃するなど、政元を挟撃するチャンスであったが、義豊の子の義英と結んだ政元と摂津天王寺で戦い、大敗を喫したため、実権の回復は果たせなかった。 |
| 前将軍の義尹もやはり敗れ周防に去っていった。 |
| 大和も赤沢朝経が二上山城に入城して筒井氏側の国人を討伐、筒井派は没落して大和は政元の支配に入った。 |
| 翌明応9年(1500年)には和泉岸和田城を攻撃し、離反した細川元有を殺害するも、赤沢朝経に討伐され、やはり実権の回復は果たせなかった。 |
両畠山家の和睦・上洛
| 永正元年(1504年)になると、摂津守護代の薬師寺元一が反乱を起こすなど、政元政権における内部対立が表面化する。 |
| 尚順はこの動きを利用し、総州家の義英を抱き込み、12月に和睦を結ぶことによって政元に対抗しようとするも、永正3年(1506年)に政元に誉田城と高屋城を攻略され、義英と共に没落した。 |
| 越中においては、神保長誠の没後不安定となっていた領国支配を分家である能登畠山家と越後守護代の長尾能景と結ぶことにより加賀一向一揆に対抗しようとするも、長誠の子である神保慶宗の離反が起きて能景は戦死(般若野の戦い)、ここでもその対策に追われる。 |
| 永正4年(1507年)に政元が暗殺されると(永正の錯乱)、永正5年(1508年)には政元死後の混乱に乗じ細川高国と結び細川澄元及び義英と敵対、赤沢長経・古市澄胤など澄元方の有力者を破った。 |
| 前将軍足利義尹が周防守護大内義興に奉じられ上洛するが、尚順は高国と共に堺においてこれを出迎え支持を表明した。 |
| 船岡山合戦で勝利、義澄方についた義英と戦いこれを大いに破った。 |
| 将軍足利義稙(義尹)の下で実権を回復した尚順であるが、管領は高国、山城の守護職は義興が任命され、政長時代の権力を完全に回復するまでは至らなかった。 |
| 永正12年(1515年)には家督を嫡男の稙長に譲り隠居、分国である越中と紀伊の統治に専念した。 |
晩年
| 越中においては、能登守護である畠山義総や越後守護代長尾為景と結び、謀反を起こした神保慶宗を滅ぼすことに成功したが、紀伊においては、熊野衆と結び領国統治の強化を目論むが失敗、永正17年(1520年)に家臣の離反にあって追放され、堺に逃亡した。 |
| 大永元年(1521年)に将軍義稙が高国と対立し追放されると、義稙を擁して総州家の義英と結び再挙を図ったが、新たに将軍足利義晴を擁立した高国の命を受けた稙長に阻止され、復権を果たせないまま大永2年(1522年)、淡路で死去した。 |
参考文献
| 弓倉弘年『中世後期畿内近国守護の研究』清文堂出版、2006年。 |
| 福島克彦『戦争の日本史11畿内・近国の戦国合戦』吉川弘文館、2009年。 |
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1491年
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義就が没し、尾州家の優勢は決定的となっていた |
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1493年
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父は義材を動かし宿敵である河内の畠山義豊(... |
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