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プロフィール
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白井晟一(しらいせいいち、1905年(明治38年)2月5日-1983年(昭和58年)11月22日)は、日本の建築家。京都市出身。白井七蔵・えんの長男。下京区間之町五条下ルの白井七蔵(造)は銅延業者で第1・2回内国勧業博覧会に出品した当時の代表的な銅板職人であったが、明治後期には工場主名簿から姿を消しており、近代伸銅工場の台頭により、廃業したと見られ、呉服の行商に転じていたという。1917年、12歳で父を亡くし、画家 近藤浩一路に16歳で嫁いだ姉のもとに身を寄せた。東京府本郷区湯島同朋町である。1918年4月、 青山学院中等部に入学。その後東京での転居を経て、1923年関東大震災で近藤邸が ...
建築作品
| right|200px|thumb|渋谷区立松濤美術館。 |
| 1938年河村邸(現存せず)。 |
| 1938年歓帰荘(解体保管中?)。 |
| 1938年近藤浩一路旧邸(現存せず)。 |
| 1941年山中山荘(現存せず)。 |
| 1941年関根邸(東京都杉並区)。 |
| 1941年嶋中山荘(長野県軽井沢町)。 |
| 1941年清沢山荘(長野県軽井沢町)。 |
| 1948年羽後病院(秋田県羽後町/現存せず)。 |
| 1951年旧秋ノ宮村役場(現・稲住温泉友誼館/秋田県湯沢市)。 |
| 1951年滝瀬邸(東京都練馬区)。 |
| 1951年白井旧邸(滴々居)(東京都中野区/現存せず)。 |
| 1952年白井アトリエ(東京都中野区)。 |
| 1952年土筆居(東京都豊島区)。 |
| 1953年試作小住宅(東京都世田谷区/秋田県湯沢市に移築)。 |
| 1953年半宵亭(秋田県湯沢市)。 |
| 1953年大館木材会館(秋田県大館市)。 |
| 1953年雄勝中央病院(秋田県湯沢市)。 |
| 1953年稲住温泉浮雲(秋田県湯沢市)。 |
| 1953年H氏邸(東京都練馬区)。 |
| 1953年知宵亭(現存せず)。 |
| 1954年小平の家(東京都東村山市)。 |
| 1954年煥乎堂(群馬県前橋市/現存せず)。 |
| 1955年原爆堂計画。 |
| 1955年アトリエNo.6(東京都練馬区)。 |
| 1955年中山邸(東京都品川区)。 |
| 1956年旧雄勝町役場(現・湯沢市役所雄勝支所/秋田県湯沢市)。 |
| 1956年旧松井田町役場(群馬県安中市)。 |
| 1956年料亭岡本(長野県長野市/現存せず)。 |
| 1957年奥田邸(秋田県大仙市)。 |
| 1958年善照寺本堂(東京都台東区)。 |
| 1958年鳴子ホテル(宮城県鳴子町)。 |
| 1959年湯沢酒造会館(秋田県湯沢市)。 |
| 1959年四同舎(秋田県湯沢市)。 |
| 1959年増田夫妻のアトリエ(東京都世田谷区)。 |
| 1959年萩島邸及び萩島小児科医院(東京都調布市)。 |
| 1960年日本電業工作株式会社(東京都練馬区)。 |
| 1962年飯塚邸及び飯塚病院(長野県長野市)。 |
| 1962年近藤浩一路墓碑(東京都台東区)。 |
| 1962年横手興生病院病棟(秋田県横手市/1965年厨房棟、1970年管理棟)。 |
| 1963年親和銀行東京支店(東京都中央区/現存せず)。 |
| 1963年親和銀行親和銀行大波止支店(長崎県長崎市)。 |
| 1963年稲住温泉浮雲離れ(秋田県湯沢市)。 |
| 1965年鹿子木邸(千葉県流山市)。 |
| 1965年呉羽の舎(富山県富山市)。 |
| 1968年海山居(千葉県富津市)。 |
| 1970年親和銀行本店(長崎県佐世保市)。 |
| 1970年虚白庵(自邸)(東京都中野区/現存せず)。 |
| 1971年昨雪軒(秋田県横手市)。 |
| 1972年茨城キリスト教大学サン・セバスチャン館(茨城県日立市)。 |
| 1974年ノアビル(東京都港区)。 |
| 1974年茨城キリスト教大学サンタ・キアラ館(茨城県日立市)。 |
| 1975年親和銀行懐霄館(長崎県佐世保市)。 |
| 1980年渋谷区立松濤美術館(東京都渋谷区)。 |
| 1981年芹沢銈介美術館(静岡県静岡市駿河区)。 |
| 1984年雲伴居(京都府京都市)。 |
その他
| 「羽後病院」「雄勝中央病院」の図面は「白井晟一研究会」(本部・京都市・石沢加津子主宰が2006年2月に探し湯沢市内の建設会社、丸臣高久建設で見つかった。 |
| なお、京都市出身の白井が、秋田で多くの仕事の機会を得ることができた理由は、疎開中に秋田の知人宅に家財道具を預けた縁によるものである。 |
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1917年
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12歳で父を亡くし、画家近藤浩一路に16歳で嫁... |
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1933年
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帰国し、義兄邸をはじめ建築設計を手がけるよ... |
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