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プロフィール
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白隠慧鶴(はくいんえかく、1686年1月19日(貞享2年12月25日)-1768年1月18日(明和5年12月11日))は、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧である。諡は神機独妙禅師、正宗国師。駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)にあった長沢家の三男として生まれた白隠は、15歳で出家して諸国を行脚して修行を重ね、24歳の時に鐘の音を聞いて悟りを開くも満足せず、修行を続け、のちに病となるも、内観法を授かって回復し、信濃(長野県)飯山の正受老人( 道鏡慧端)の厳しい指導を受けて、悟りを完成させた。また、禅を行うと起こる禅病を治す治療法を考案し、多くの若い修行僧を救った。以後は地元に帰って布教を続け、曹洞宗 ...
略歴
| 1685年 駿河の原宿で生誕。 |
| 1700年 地元の松蔭寺の単嶺祖伝のもとで出家する。 |
| 沼津の大聖寺息道に師事する。 |
| 1703年 清水の禅叢寺の僧堂に掛錫するが、禅に失望し詩文に耽る。 |
| 雲棲袾宏の『禅関策進』によって修行に開眼、諸国を遊方する。 |
| 美濃(岐阜県)の瑞雲寺で修行。 |
| 1708年 越後(新潟県)高田の英巌寺性徹のもとで「趙州無字」の公案によって開悟。 |
| その後、信州(長野県)飯山の道鏡慧端(正受老人)のもとで大悟、嗣法となる。 |
| 1710年 京都の北白川で白幽子という仙人に内観法を学び、禅病が完治する。 |
| 1716年 諸方の遊歴より、松蔭寺に帰郷。 |
| 1763年 三島(静岡県)の龍澤寺を中興開山。 |
| 1768年 松蔭寺にて示寂。 |
思想
| 彼は初めて悟りの後の修行(悟後の修行)の重要性を説き、生涯に三六回の悟りを開いたと自称した。 |
| また、これまでの語録を再編して公案を洗練させ、体系化した。 |
| 中でも自らの悟りの機縁となった「隻手音声」と「趙州無字」の問いを、公案の第一に位置づけ、以後の修行者に必ず参究するようにさせた。 |
禅画
| 白隠は禅の教えを表した絵を数多く描いたことでも知られる。 |
| 絵はおそらく独学と思われるが、製作年がわかる最も早い作である「達磨図」(個人蔵、享保4年(1719年))ではすでに巧みな画技を見せている。 |
| しかし、技巧を拒否するような白隠独自の表現が、縦220cm以上にも及ぶ大作「達磨図」(豊橋市正宗寺、寛延4年(1751年))あたりから見え始める。 |
| 代表作の一つ「大燈国師像」(永青文庫蔵)では、両手のデッサンは狂い、両足の位置もおかしく、身を包む衣や笠は平板で稚拙な線の寄せ集めで、紙面には下書きや描き直しの跡が残る。 |
| しかし、これらの写実性を描く描写が厳しく恐ろしい顔貌表現と併置されることで、現実の肉体を超越した精神の限りない気高さを表象している。 |
| このような拙によって巧を超え、醜を転じて聖となす、殆ど絵画の反則技とも言える技法は、後の曾我蕭白などに強い感銘与えたと想像できる佐藤康宏「江戸美術の畸人たち」、『美術史論叢』東京大学大学院人文社会系研究科・文学部美術史研究室、24号、2008年22-23頁。 |
| 白隠の書画の代表的コレクターに、細川護立と山本発次郎がおり、前者のコレクションは永青文庫に収められ、後者は大阪市立近代美術館建設準備室に寄贈されている。 |
文献
| 『白隠和尚全集』全8巻 龍吟社 昭和10年。 |
| 芳澤勝弘訳注 『白隠禅師法語全集』全14巻+別冊『総索引』、禅文化研究所、平成15年完結。 |
| 常盤義伸訳 『白隠』<大乗仏典 中国・日本篇27>中央公論社、昭和63年ISBN978-4-124-02647-4。 |
| 鎌田茂雄訳著 『白隠 夜船閑話・遠羅天釜・薮柑子』 新版<禅入門11>講談社、平成6年 ISBN978-4-062-50211-5。 |
| 展覧会図録 『白隠禅師生誕320年白隠禅と書画』京都文化博物館、平成16年。 |
| 芳澤勝弘 『白隠 禅画の世界』 中公新書、平成17年ISBN978-4-121-01799-4。 |
| 芳澤勝弘 『白隠禅師の不思議な世界』 ウェッジ選書、平成20年ISBN978-4-863-10026-8。 |
| 上村貞嘉 『白隠禅師物語』 淡交社、平成21年ISBN978-4-473-03580-6。 |
| 花園大学国際禅学研究所編 『白隠禅画墨蹟』 二玄社、平成21年ISBN978-4-544-01393-1。 |
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