36004
36286
410016
%E7%9F%A2%E5%86%85%E5%8E%9F%E5%BF%A0%E9%9B%84
%E7%9F%A2%E5%86%85%E5%8E%9F%E5%BF%A0%E9%9B%84
%E7%9F%A2%E5%86%85%E5%8E%9F%E5%BF%A0%E9%9B%84
%E7%9F%A2%E5%86%85%E5%8E%9F%E5%BF%A0%E9%9B%84
%E7%9F%A2%E5%86%85%E5%8E%9F%E5%BF%A0%E9%9B%84
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 矢内原忠雄の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- 矢内原忠雄とは
- 青年期
- 壮年期
- 晩年
- 著作
- 翻訳
- 伝記
- その他
- 関連サイト
矢内原忠雄(やないはらただお、1893年1月27日-1961年12月25日)は、日本の経済学者・植民政策学者。東京大学総長。 日本学士院会員。正三位勲一等瑞宝章。
青年期
| 愛媛県今治市に医者の子として生まれる。 |
| 教育熱心な父の影響で、神戸の従兄弟(望月信治)の家から兵庫県立神戸中学校(兵庫県立神戸高等学校の前身)に通学して卒業。 |
| 旧制第一高等学校に在学中、無教会主義者の内村鑑三が主催していた聖書研究会に入門を許され、キリスト教への信仰を深めていった。 |
| 東大に入学後は、吉野作造の民本主義や、人道主義的な立場から植民政策学を講じていた新渡戸稲造の影響を受け、思想形成を行っていった。 |
| ちなみに、矢内原が卒業した神戸中学校の在校当時の校長鶴崎久米一は、札幌農学校で新渡戸稲造と同期の入学生である。 |
壮年期
| 1917年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業後、住友総本店に入社し、別子銅山に配属される。 |
| 当時の別子銅山には、後に住友を辞して無教会主義のキリスト教伝道者となる黒崎幸吉が先に赴任しており、黒崎の伝道集会で聖書講義を行ったりもした。 |
| 1920年、新渡戸稲造の国際連盟事務次長への転出に伴い、後任として母校の経済学部に呼び戻され助教授となる。 |
| イギリス・ドイツへの留学を経て、1923年に教授に就任し、植民政策を講ずることとなった。 |
| 矢内原の植民政策学は、統治者の立場から統治政策として考えるのではなく、社会現象としての植民を科学的・実証的に分析し、帝国主義論の一環として扱っている点に特色がある。 |
| 前任者の新渡戸の学風を発展的に継承しているものといえよう。 |
| その研究の結実の代表的なものが、各言語に翻訳された『帝国主義下の台湾』(1929年)である。 |
| このような矢内原の姿勢は、しだいに軍国主義的な風潮が強まる中で体制との緊張関係を深めていくこととなった。 |
| 1937年、盧溝橋事件の直後、『中央公論』誌に「国家の理想」と題する評論を寄せた。 |
| 国家が目的とすべき理想は正義であり、正義とは弱者の権利を強者の侵害圧迫から守ることであること、国家が正義に背反したときは国民の中から批判が出てこなければならないことなど、今日では日本でも常識化した民主主義の理念が先取りして述べられており、この論文は大学の内外において矢内原排撃の格好の材料として槍玉に挙げられた。 |
| 同じ頃、矢内原が個人的に発行していたキリスト教個人雑誌『通信』に掲載された南京大虐殺を糾弾する目的で行われた彼の講演の中の一言、「日本の理想を生かすために、一先ず此の国を葬って下さい」が、不穏の言動として問題となった。 |
| 結局1937年12月に、事実上追放される形で教授辞任を余儀なくされた。 |
| 辞職後は『通信』に代わって『嘉信』を発行し、また自宅に土曜学校を開いてキリスト教信仰に基づく信念と平和主義を説き続けた。 |
| 敗戦後の1945年11月、東京帝国大学経済学部に復帰。 |
| その後社会科学研究所長、経済学部長、教養学部長を歴任し、1951年、南原繁の後任として東京大学総長に選出される(1957年まで2期6年務めた)。 |
| 1952年には、学生劇団「ポポロ」公演にて摘発された私服警官のメモから警察による系統的な学内スパイ活動が露見し、東大側と警察が全面対立したが(東大ポポロ事件)、矢内原は総長として大学の自治と学問の自由を守るために毅然とした態度を取った。 |
| 一方、学生のストライキに対しては厳しい姿勢を示し、ストライキを計画指揮した学生(学生自治会委員長、学生大会議長、ストライキ議案提案者の3名)は原則として退学処分とする「矢内原三原則」を打ち出した。 |
| この原則を適用され退学処分を受けた者に、江田五月、今井澄などがいる。 |
| この「矢内原三原則」は東大紛争で廃止に至るまで、学生と大学当局の間でしばしば対立の原因となった。 |
晩年
| 退任後の1958年に名誉教授の称号を授与され、その後も精力的に講演活動を行う。 |
| 1961年、胃癌のため逝去。 |
| 矢内原家は、食事時に私語をせず厳格な忠雄を子息たちは恐れていたという。 |
| 東京大学駒場Iキャンパス内には、かつて「矢内原門」があり、今は「矢内原公園」にその名を残している。 |
著作
| 基督者の信仰聖書研究社1921 。 |
| 英国植民省に就て拓殖局1921 。 |
| 植民政策講義案有斐閣1925。 |
| 植民及植民政策有斐閣1926。 |
| 植民政策の新基調弘文堂書房1927 。 |
| 人口問題岩波書店、1928。 |
| 帝国主義下の台湾岩波書店1929「矢内原忠雄「帝国主義下の台湾」精読」岩波現代文庫。 |
| マルクス主義と基督教一粒社1932 のち角川文庫 。 |
| 満洲問題岩波書店1934。 |
| 南洋群島の研究岩波書店1935。 |
| 民族と平和岩波書店1936 。 |
| 帝国主義下の印度経済特殊研究叢書大同書院1937 。 |
| 余の尊敬する人物岩波新書1940。 |
| イエス伝講話マルコ伝による嘉信社1940 。 |
| 山上垂訓講義向山堂書房1941 。 |
| 訣別遺訓講義ヨハネ伝による嘉信社1943 。 |
| アウグスチヌス「告白」講義教文館1943 のち講談社学術文庫 。 |
| 日本精神と平和国家岩波新書1946。 |
| 日本の傷を医す者白日書院1947。 |
| 内村鑑三と新渡戸稲造日産書房1948。 |
| 帝国主義研究白日書院1948。 |
| 聖書の平和思想とリンコーン高木八尺共著岩波書店1948(新渡戸博士記念講演)。 |
| 聖書講義第1-9角川書店1948-59。 |
| 続余の尊敬する人物岩波新書1949。 |
| キリストの生涯嘉信社1949.2。 |
| 講和問題と平和問題河出書房1950。 |
| 大学について東京大学出版会1952。 |
| キリスト教入門角川新書1952。 |
| 日本のゆくえ東京大学出版会1953。 |
| 銀杏のおちば東京大学出版会1953。 |
| 国際経済論楊井克己共著弘文堂1955(経済学全集)。 |
| 主張と随想世界と日本と沖繩について東京大学出版会1957。 |
| 私の歩んできた道東京大学出版会1958。 |
| 政治と人間民主化と人間形成のために東京大学出版会1960。 |
| 人生と自然東京大学出版会1960。 |
| 教育と人間 民主主義と平和のために東京大学出版会1961。 |
| 内村鑑三とともに東京大学出版会1962。 |
| 『矢内原忠雄全集』全29巻(岩波書店、1963-64年)。 |
翻訳
| ヨブ記向山堂書房1935。 |
| イザヤ書向山堂1936。 |
| 奉天三十年ドゥガルド・クリスティー岩波新書1938。 |
| 武士道新渡戸稲造岩波文庫1938。 |
| 帝国主義論ジョン・アトキンソン・ホブスン岩波文庫1951。 |
伝記
| 矢内原伊作『矢内原忠雄伝』みすず書房、1998年ISBN4622032007。 |
| 『朝日ジャーナル』誌に1974年-1975年に連載されたものをまとめたもの。 |
| ただし連載は東大辞職事件の直前のくだりで中断され、著者はその後も完成を企てたが果たせず未完のまま刊行された。 |
その他
| 矢内原と親交があった長谷川町子は、『サザエさんうちあけ話』の第29章でその思い出について触れている。 |
|
1917年
|
東京帝国大学法科大学政治学科を卒業後、住友... |
|
1937年
|
盧溝橋事件の直後、『中央公論』誌に「国家の... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
新渡戸稲造
同期
流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。日本銀行券のD五千円券の肖像としても知られる。拓殖大学名誉教授。 |
|
|
内村鑑三
日本人のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。 |
|
|
南原繁
南原繁(なんばらしげる、1889年(明治22年)9月5日-1974年(昭和49年)5月19日)は日本の政治学者。東京帝国大学の総長を務めた。東京大学名誉教授。 |
|
|
ダンテ
彼をニューヨークに引き戻し、もう1度だけ、夢の実現に掛けてみることをダンテに決意させる。そしてデモ・テープをあちこちのスタジオや音楽関係者に聞いても... |
|
|
塚本虎二
キリスト教無教会派の伝道者、新約聖書研究家。 |
|
|
矢内原勝
日本の経済学者。慶應義塾大学名誉教授。元作新学院大学学長。 |
|
|
クリスティー
日本の女性ファッションモデル。本名、クリスティー・夏実・コーサル(ChristyNatsumiKosal)。愛称はクリス。北海道出身、アメリカ合衆国育ち。『天才てれび... |
|
|
家永三郎
日本の歴史家(日本思想史)・東京教育大学名誉教授。文学博士(東京大学)。 |
|
|
日蓮
鎌倉時代の仏教の僧。鎌倉仏教の宗旨のひとつ日蓮宗(法華宗)の宗祖。死後に皇室から日蓮大菩薩(後光厳天皇、1358年)と立正大師(大正天皇、1922年)の諡... |
|
|
大内兵衛
大正・昭和期の日本のマルクス経済学者。専攻は財政学。日本学士院会員。 |
|
|
吉野作造
大正年間を中心に活躍した政治学者、思想家である。東京帝国大学で教壇に立ち、大正デモクラシーの立役者となった。号は「古川学人」。弟は商工官僚・政治家... |
|
|
津田左右吉
20世紀前半の日本史学者である。『日本書紀』『古事記』を近代的な史料批判の観点から批判・否定したことで知られる。従三位勲一等瑞宝章。 |
|
|
佐藤全弘
宗教学者、大阪市立大学名誉教授。大阪生まれ。大阪市立大学文学部卒。同大学助教授、教授、1993年定年退官、名誉教授、関西外国語大学教授、四国学院大学教... |
|
|
岬龍一郎
講師:岬 龍一郎先生のプロフィール
作家、評論家。
1946年長崎生まれの東京育ち。
早稲田大学卒業。後、情報会社・出版社等の役員を歴任。退職後、著述... |
|
|
和辻哲郎
『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られる日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。その倫理学の体系は、和辻倫理学と呼ばれる。日本的な思想と西... |
|
|
イザヤ
旧約聖書に登場する預言者。ユダ王国後期の人。ウジヤ王からヒゼキヤ王の頃、活動した(イザヤ1:1)。また、歴代誌によれば、イザヤはウジヤの業績の書を書き... |
|
|
石橋湛山
日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階は従二位。勲等は勲一等。大蔵大臣(第50代)、通商産業大臣(... |
|
|
芥川龍之介
日本の小説家。号は澄江堂主人、俳号は我鬼。その作品の多くは短編である。また、「芋粥」「藪の中」「地獄変」「歯車」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語... |
|
|
西脇順三郎
西脇順三郎(にしわきじゅんざぶろう、1894年(明治27年)1月20日-1982年(昭和57年)6月5日)は日本の詩人、英文学者。小千谷市名誉市民。 |
|
|
矢内原忠雄さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|