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プロフィール
- 矢沢永吉とは
- 人物概要
- 家族
- キャロル (バンド)|CAROL解散まで
- 1970年代、ソロデビュー
- 1980年代
- 1990年代
- 2000年代
- 関連サイト
矢沢永吉(やざわえいきち、1949年9月14日-)は、広島県広島市出身のロックミュージシャン。血液型はB型。身長180cm。
人物概要
| 愛称は「永ちゃん」「ボス」。 |
| ロゴマークの"E.YAZAWA"は商標登録されており(第1601017号ほか)®が表示されている。 |
| ファンが熱狂的であることで知られている。 |
| ほぼ全曲にわたる作曲、及び数曲における作詞を手掛ける。 |
| クールス「紫のハイウェイ」等他のアーティストに楽曲を提供する際には「五大洋光」名義を使用することもある。 |
| 俳優として映画やドラマの主役を務めたこともあり、CM出演も多数にのぼるが、デビュー以後、特にテレビ媒体に露出することは少ない、『ザ・ベストテン』などの歌番組にノミネートされても、ほとんど出演しなかった時期が長かった。 |
| プロデューサーとして自身の多くのアルバムを手がけ、コンサートの興行や演出なども自身の会社が行い、自らがそれら全てを取り仕切る。 |
| 2011年現在、楽曲数約300曲・ライブ総数約1500本・総動員数約550万人を超える。 |
| オリコンアルバムランキングベスト10入り最多記録。 |
| オリコンDVDミュージック部門で最年長首位記録更新、60代での首位獲得は男女・洋楽邦楽含め史上初となる。 |
| 日本武道館最多公演記録は112回と更新中。 |
家族
| 妻は米国人とのハーフで、1女2男の父親でもある。 |
| また、娘の矢沢洋子は歌手である。 |
| 洋子とは、サントリー「ザ・プレミアム・モルツ」のCMで初共演した。 |
[[キャロル (バンド)|CAROL]]解散まで
| 実母が家を出て、実父は原爆後遺症で早逝したため、幼少期は親戚中をたらい回しにされる。 |
| その後は祖母に育てられ、極貧の少年時代を過ごした。 |
| この頃、近所の裕福な家の子供に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」とケーキの一部を顔に投げつけられるなどの屈辱を受けた。 |
| このような経験が積み重なり「BIGになる」との思いが芽生えたと語っている。 |
| 中学時代、ラジオから流れるザ・ビートルズを聴いてロックミュージックに目覚め、更にザ・ベンチャーズの広島公演に行ったことで、すっかり感化されスターになることを夢見るようになる。 |
| 1968年~1972年。 |
| 高校卒業と同時に、トランクとギターとアルバイトで貯めた5万円を持って、広島から最終の夜行列車で上京する。 |
| しかし、横浜駅で途中下車、チャイナタウンなどで働きながらバンド活動を始める。 |
| 蒲田、川崎、横浜、横須賀などのライブハウスやキャバレー、兵隊の集まるゴーゴークラブで歌う。 |
| 自作の曲「アイ・ラヴ・ユー、OK」のテープを「ビートルズのレコードを出しているから」と言う理由から東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)に持ち込んだが「売れない」と断られる。 |
| 「ザ・ベース」「イーセット」等バンドを経て、「ヤマト」を結成。 |
| 「ヤマト」には、後に「矢沢ファミリー」と呼ばれるNOBODYの木原敏雄(ギター)、大森正治(ドラム)がメンバーに名を連ねていた。 |
| このころ、もう一人のNOBODYである相沢行夫とも知り合う。 |
| 相沢・木原両氏は矢沢永吉の事を「矢沢」と呼び捨て出来る同級生である。 |
| ←NOBODYの項にもある内容なのでコメントアウト-->矢沢本人はこの「ヤマト」で芸能界デビューを望んでいたものの、様々な事情により解散。 |
| 矢沢が張り紙チラシで募集をかけ、ジョニー大倉・内海利勝・ユウ岡崎(この頃は別のドラム担当でユウ岡崎はデビュー後に参加)らとロックバンドCAROLを結成。 |
| ボーカルおよびベースギターを担当。 |
| デビュー時、内田裕也とミッキー・カーチスの二者から誘いを受けたが、内田に詫びを入れ、ミッキーを選ぶ。 |
| しかしこの際、金銭的に著しく不利な契約を長期で結んでしまったため、後にミッキーとは袂を分かつことになる。 |
| ミッキーのプロデュースにより日本フォノグラム(現・ユニバーサルミュージック)からシングル「ルイジアンナ」でデビュー(フジテレビ『リブ・ヤング!』)。 |
| ジョニー大倉のアイディアで革ジャンにリーゼントといったかつてのロカビリースタイルで登場。 |
| 当時はフォークソングと歌謡曲中心でロックバンドが商業的に受け入られなかった音楽界に突如として現れ人気を博すこととなった。 |
| 3月に、パリで行われた山本寛斎のショーにCAROLが出演し、「ルイジアンナ」「ヘイ・タクシー」「憎いあの娘」を演奏。 |
| 解散が決定的になった頃、矢沢はソロ活動を行う際にフォノグラムとの間に起こり得る問題を未然に防ぐため、単身CBSソニーに行き、幹部と面会し、自らのソロ活動を担保とした金銭面・ビジネス面の話をまとめている。 |
| 面会後、CBSソニーから借金をして多大な金額をキャッシュでフォノグラムに払い、すぐに同社のプロジェクトチームが動き始めた。 |
| この時、同社が金銭的な部分を含めて助力を惜しまなかったことが、後の矢沢との信頼関係や、矢沢のキャリア形成に繋がった。 |
| 所属会社の要請で4月13日日比谷野外音楽堂において解散ライブを行う。 |
| ライブには親衛隊としてクールスのメンバーが参加。 |
| 演出の為、雨で湿った爆竹を使用し、火花が舞台セットに燃え移り、ステージが炎上、メンバーは楽器を失うだけではなく、多くの借金を抱えるというアクシデントの中、解散。 |
1970年代、ソロデビュー
| CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント(日本))に移籍後、CAROL関係の人間から離れ、一切のスタッフを総入れ替えし、ロサンゼルスレコーディングによる「ILOVEYOU,OK」でソロデビュー。 |
| 当時のファンは、いわゆる不良少年、無頼者の印象の人間が多く、矢沢自身に非はないが、会場貸出拒否、ファンの暴走、世論等数々の難題を克服して日本のロック・ソロアーティストとしては初の日本武道館単独公演を敢行。 |
| EIKICHIYAZAWACONCERTTOUR1977「TRAVELINGBUSPart1」を1月4日からスタート(8月26日までの日本武道館まで)。 |
| EIKICHIYAZAWACONCERTTOUR1977「TRAVELINGBUSPart2]を9月15日からスタート。 |
| CMソング「時間よ止まれ」が大ヒット。 |
| 同曲はバックバンドの一員として、坂本龍一がピアノを担当。 |
| EIKICHIYAZAWACONCERTTOUR1978「GOLDRUSH'78PART-1」を3月20日からスタート。 |
| 会場周辺を機動隊が取り囲む厳戒態勢の下、8月28日に東京ドームの前身となる後楽園球場で空前の単独公演を敢行。 |
| 自著伝第1弾「成りあがり」を出版。 |
| 100万部を超える大ベストセラーとなる。 |
| ライターを糸井重里が担当し、糸井の出世作にもなった。 |
| 長年、長者番付歌手部門1位の座にあった美空ひばりを抜き、初の第1位を獲得。 |
| 新聞世論調査におけるこの年の「ヒーローと呼べる人物」として第1位王貞治に次ぎ、第2位矢沢永吉として選ばれる。 |
1980年代
| 1980年代に入ると、矢沢は黄金期を迎え、売り上げ・動員数、共にロックスターとしての地位を磐石にする。 |
| 海外市場に活路を求め、アメリカ西海岸に活動の拠点を移し、現地のプロデューサーやドゥービー・ブラザーズなどのミュージシャンを起用したアルバムを何作か世界・全米で発売する。 |
| この頃より、積極的に交友を広げ、自身が有能と判断した人物に関しては、しがらみなどを気にせず、躊躇なく関わりを持つようになる。 |
| 古くからの友人であった大野真澄はフォークミュージックを歌う人間であったし、ソロになった当初より大野と共に相談相手となっていた吉田拓郎も同じである。 |
| 以降もフォークミュージック界の人間であった西岡恭蔵、また歌謡曲の分野で活躍していた大津あきらや山川啓介を作詞に起用している。 |
| 近年でもブリティシュなモッドスタイルのバンド、ザ・コレクターズの加藤ひさしに作詞を依頼したり、その姿勢は変わることがない。 |
| 第1弾ドキュメンタリー映画『RUN&RUN』公開。 |
| ワーナーパイオニア(現・ワーナーミュージック・ジャパン)に移籍。 |
| アメリカでの活動を視野に入れたもの。 |
| 単身渡米し、アサイラム・レコードと契約。 |
| 9月25日、第1弾海外版アルバム『YAZAWA』全世界発売。 |
| 全米での売上げ枚数は約2,000枚だった。 |
| 以後主なる活動拠点をロサンゼルスに定める。 |
| 2月10日第2弾海外版アルバム『YAZAWAIt'sJustRock'nRoll』全米発売。 |
| ビルボードの推薦曲として、シングル『ROCKIN'MYHEART』がジョージ・ハリスン、バリー・マニロウと共に掲載される。 |
| ドゥービー・ブラザーズのメンバーと共に''E.YAZAWA''として“来日”し、凱旋武道館ライブ「MILESANDMILES」を敢行。 |
| このコンサートの模様はNHKで放送される。 |
| EIKICHIYAZAWACONCERTTOUR1984「E'LIVE1984」をスタート。 |
| EIKICHIYAZAWACONCERTTOUR1987「ROCK'N'ROLLKNIGHT2」をスタート。 |
| 第3弾海外版アルバム『FLASHINJAPAN』全米発売。 |
| 全米での売上げ枚数5万枚。 |
| MTVスタッフによるPV製作。 |
| 後に自伝で「FLASHINJAPAN」の印税が800万円だったと回顧。 |
| 日・米・伊合作映画『グッバイ・ヒーロー』の音楽を担当。 |
| サントラが発売される。 |
| アルバム『共犯者』ロンドンレコーディング。 |
| 東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)に移籍。 |
| 日本国内を重視した活動になる。 |
| 前述のアルバム世界発売であるが、ワーナーブラザーズはほぼ関与しておらずその実態は日本のワーナーパイオニア(当時)との契約であり、エレクトラ、アサイラム・レコードは配給だけを行う契約であった。 |
| この事からアメリカでのプロモーションは不十分な物であり、惨憺たる結果となる。 |
| 第3弾『FLASHINJAPAN』だけはワーナーブラザーズが全面バックアップを行ったものの、同様の結果に終わってしまった。 |
| この一件により、矢沢はワーナーへの不信感をつのらせ、同時期、石坂敬一の誘いもあって東芝EMIに移籍することとなる。 |
1990年代
| アルバム『AnytimeWoman』ではビートルズの元ドラマーリンゴ・スターの長男、ザック・スターキーが「AnytimeWoman」と「銀のネックレス」を担当した。 |
| TBS系列のテレビドラマ、アリよさらばで自身初となる、主演(「安部良太」役)と音楽監督を担当。 |
| ウェンブリー・スタジアム(英国ロンドン)で、エルヴィス・プレスリー没後20年を記念して行われたロックフェスティバル「songsandvisions」にアジア代表として選ばれ、ロッド・スチュワート、ジョン・ボン・ジョヴィ、ロバート・パーマー、チャカ・カーン等と競演。 |
| ヘヴィメタルバンド、BOWWOWのギタリスト、山本恭司がツアーに参加。 |
| 10月、世界最大のヨットレース「アメリカズカップ」のテーマソング(「ヘブンリー・クルーズ」)を担当。 |
| 初のアメリカでのツアー「MillenniumAmericaTour」敢行(ホノルル、ロサンゼルス、サンフランシスコ)。 |
2000年代
| ナラダ・マイケルウォールデンプロデュースのチャリティ・クリスマスアルバム『musicoflove〜fortomorrow'schildren〜』にスティーヴィー・ワンダー、スティング、エンヤ等と参加。 |
| ディズニーアニメ『ピノキオ』の主題歌『星に願いを』を担当し、東京ディズニーシーにてゲリラライブを行う。 |
| 7月24日、25日のPOCARISWEATBLUEWAVETHEROCKODYSSEY2004で、エアロスミス、ザ・フー、ブラック・アイド・ピーズ、レニー・クラヴィッツ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズと共に参加。 |
| 12月31日、「第60回NHK紅白歌合戦」に白組サプライズゲストとして出演し、大物歌手揃いの紅白で唯一2曲歌うことを許され「時間よ止まれ」「コバルトの空」を熱唱したが「時間よ止まれ」の中で歌詞を間違えNHK側でテロップを消すという場面も見られた。 |
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1949年
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矢沢 永吉(やざわ えいきち)は、広島県広島... |
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1975年
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アイ・ラヴ・ユー、OK / セクシー・キャット |
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