| 全日本学生選手権ではフリー、グレコの両部門にて制覇しており様々な大会を制する。 |
| 大学卒業後の2001年4月、新日本プロレス傘下の闘魂クラブに入団し、2002年より新日本プロレスに入団。 |
| 同年5月18日にブルー・ウルフ戦でデビューを果たした。 |
| 2003年8月31日にはパンクラス両国大会に出場し、渋谷修身を相手に総合ルールに挑戦し敗退するも、内外から評価を得た。 |
| 2004年から、金髪・田吾作タイツ・半被・下駄という酒飲みキャラに扮する。 |
| 矢野曰く「これが自分の本性を出した第2のデビュー戦」とのこと。 |
| ヒロ斎藤、後藤達俊というヒール職人に師事し、反則負けを幾度となくやってきた。 |
| 2005年2月、蝶野正洋のバックアップを受けて海外武者修行に出発した。 |
| 同年5月に帰国後、ブラックニュージャパン入りし、真壁刀義とともに反則三昧のプレーを展開した。 |
| しかし、長州力現場監督の「あいつは正統派ならもっと上にいける」という方針から11月に突然ベビーターンした。 |
| スコット・ノートンのタッグパートナーを務めている。 |
| 2006年5月からは石井智宏と「平成の極道コンビ」という名目でタッグを組むようになった。 |
| 2006年より天山広吉ら「G・B・H」に石井と共に合流。 |
| 以降は天山・真壁をサポートする役割に徹していたが、2007年7月29日に金村キンタローを破りWEWヘビー級王座を奪取した。 |
| 2007年9月22日にマンモス佐々木に敗れ同王座から陥落した。 |
| 2008年1月4日のレッスルキングダムでブラザー・レイ、ブラザー・ディーボン組(以後チーム3D)とハードコアマッチルールで対戦。 |
| 凶器をうまく使用し追い詰める場面も多く見られたが敗北。 |
| 同年2月14日、ひたちなか大会でジャイアント・バーナードを相手に、シングルで初勝利を果たすと2月17日、真壁刀義と組みIWGPタッグ王座を獲得。 |
| 以降4度の防衛を果たすも2009年1月4日、チーム3DとIWGPタッグ王座を賭けてリベンジマッチに挑むもののこの試合でも敗北。 |
| IWGPタッグベルトが海外流出を許してしまう。 |
| 2月15日に3度目の正直でチーム3Dに挑むがここでも敗北。 |
| 3連敗を喫してしまった。 |
| 同年4月5日、タッグパートナーだったはずの真壁に対して椅子で側頭部を殴打し決別。 |
| この日、真壁と対戦した中邑真輔と共闘を宣言。 |
| 後に真壁、本間朋晃を除いたG・B・Hメンバーと共にCHAOSを結成した。 |
| 6月20日に真壁とシングルマッチで対戦。 |
| 乱入してきた中邑のアシストを経て、真壁を鬼殺しで葬ったが、7月シリーズに幾度となく真壁が乱入。 |
| 7月20日に再度シングルマッチが組まれるも、キングコングニードロップでピンフォール負けを献上。 |
| 2010年に入ると棚橋弘至に標的を定め、2月14日に対戦。 |
| 敗れはしたが、ハサミを持ち出し棚橋の髪を切るという暴挙に出て両者に遺恨が勃発。 |
| 5月3日のレスリングどんたくにて清算を晴らすべく再戦。 |
| ここでも棚橋を新技ハーフネルソン式サイドバスター(後に鏡割と命名)でピンフォールを奪う。 |
| 試合後、バリカンを持ち出し棚橋の髪を刈ろうと襲い掛かるも失敗に終わる。 |
| 6月19日にルーザー・ボールド・ルールで完全決着を果たすべく3度目の対戦。 |
| 最後は十字架固めでピンフォールを負けを喫するも、髪を切られるのに抵抗。 |
| しかし、駆けつけて来たKUSHIDA、TAJIRIに押さえつけられとうとう髪を刈られてしまった。 |
| 7月11日、髪を切られた事で標的をTAJIRIに変更。 |
| 4人タッグマッチで入場中だったTAJIRIを自前の椅子で攻撃、TAJIRIの右ひざ外側靭帯及び後十字靱帯一部断裂、半月板損傷に追いやったが試合終盤にTAJIRIのグリーンミストを食らい痛み分けとなった。 |
| 翌19日の北海道大会で右ひざを負傷したままのTAJIRIと対戦、スタンディングニーロックでタップを奪い、追い打ちを掛けようとするも再びグリーンミストを食らい、再び痛み分けとなった。 |
| 同年11月に右ひざを完治させたTAJIRIと2度に渡ってシングルで対戦。 |
| 番傘を使ったグリーンミスト対策と赤い毒霧でTAJIRIに勝利する。 |
| しかし2度目のシングルマッチでは番傘を逆に利用され、傘の中での至近距離グリーンミストを食らってフォール負けとなったこの試合でTAJIRIに番傘を破壊されるが、リング下に隠していたスペアの番傘を取り出した。 |
| 2011年1月4日、レッスルキングダムにおいて、ハードコアマッチルールでTNAのロブ・ヴァン・ダムと対戦するも敗北。 |
| その後は、ロブ・ヴァン・ダムをマネして「ヤノ・トー・ルー」と言ってアピールするようになり、日を追うごとにコミカルキャラが顕著に見られるようになった。 |
| 3月のNJCに出場、1回戦に井上亘、2回戦に天山広吉に勝利し、準決勝に永田裕志と対戦するも敗退する。 |
| 5月、新日本初のアメリカ大会のIWGPインターコンチネンタル王座決定戦トーナメントに出場、持ち前のヒール殺法を駆使してダン・マッフ、高橋裕二郎に快勝するも、決勝戦にMVPのプレイメーカーからのTTBに敗れ、準優勝。 |
| 翌6月18日にMVPのIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦。 |
| MVPのレッグロールクラッチホールドでフォール負けするも、仕返しとばかりにMVPの髪の毛をハサミで切り落とし、2010年の棚橋弘至以来の髪切り抗争を展開し始め、再戦を表明する。 |
| 7月13日、前哨戦となるタッグマッチでエクトール・ガルサとタッグを組み、MVP・獣神サンダー・ライガー組と対戦(試合はガルサがライガーからフォールを奪い勝利)。 |
| 退場中にヤングライオンの高橋広夢を襲い、広夢の髪をハサミで切る。 |
| 翌18日にMVPとIWGPインターコンチネンタルを賭けて3度目の対戦を行うも敗北。 |
| 試合後、6月に切り取ったMVPの髪を口に押し込められた。 |
| 8月、G1CLIMAXに出場。 |
| 初遭遇のランス・アーチャー戦ではMVPのIWGPインターコンチネンタル戦で見せた握手による不意打ちを行うも返り討ちに遭うというコミカルな一面を見せつつも、9日目の棚橋弘至戦では観客から盛大な「ヤノ・トール」コールを受け、棚橋にはブーイングが鳴るという意外な展開となり、その応援を背に棚橋に完勝した。 |
| 結局、最終戦のジャイアント・バーナードに敗れ決勝には進めなかったが、5勝4敗(勝ち点10点)という好成績をマークし、存在確立による「バイプレーヤー」脱却の期待を見せた。 |